憲法メモ(1)
川辺賢一氏、ブログ転載
2012-05-09 11:51:03
5月3日の憲法記念日は過ぎてしまいましたが、
今年は中国・北朝鮮の脅威が明確なものになってきて
いるからか、自民・みんな・たち日など保守系野党が
憲法改正案を提示したからか、例年以上に憲法論議が
盛り上がっているように感じます。
幸福実現党は2009年立党してすぐに大川隆法先生より
「新・日本国憲法試案」を賜り、発表しておりますが、
国の基本的なビジョンを示す憲法は非常に重要な
ものであると考えます。
私は政経塾の2年目に入り、1年目の政治哲学や経済思想中心の
勉強から、個別具体的な政策の研究に入るところなのですが、
最初の第1クールのテーマに「大統領制の研究」を入れております。
大統領制について研究するということは、
「日本の統治機構はいかにあるべきか」という問いに
取り組むということですが、統治機構と憲法は切っても
切り離せない関係にあります。
幸福実現党の「試案」は前文を含めて17の条文で構成されており、
大変スリムな内容になっておりますが、そのうち4つの条文
が大統領制についての直接的な規定となっております。
ということで、憲法に関する書籍等に目を通すことが多く、
統治機構の問題に関わらず、憲法について勉強しなおす機会と
なっております。(実は1年目の政治哲学の学習も最終的には
憲法論に帰結するので、去年から憲法問題に取り組み続けて
いると言えばそうなのですが)。
そこで憲法メモということで、憲法について簡単なメモを
書いておきたいと思います。幸福実現党を支持してくださっている
皆様にとっても少しでも有益な情報となれば幸いです。
「試案」の第十条には、
国民には機会の平等と、法律に反しない範囲での
あらゆる自由を保障する。
とあります。
現行の日本国憲法にも、似たような条文がありますが、
このようになっております。
第12条 この憲法が国民に保障する自由及び権利は、
国民の不断の努力によつて、これを保持しなければならない。
又、国民は、これを濫用してはならないのであつて、常に
公共の福祉のためにこれを利用する責任を負ふ。
第13条 すべて国民は、個人として尊重される。
生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、
公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、
最大の尊重を必要とする。
並べてみるといかに現行憲法の条文が日本語として
わかりにくいものであるか、あるいは、いかに「試案」の条文が
すっきりしていて、わかりやすいものであるかがわかります。
それはさておき、「試案」の10条と現行憲法の12・13条は
一見同じことを述べているようでいて違いもあります。
大きな違いは「試案」では、国民の自由が「法律に反しない範囲」
で保障されているのに対して、現行憲法では
「公共の福祉に反しない限り」ということになっております。
この点について、憲法学の参考書として広く読まれている
芦部信喜氏の『憲法』では、現行憲法に対する明治憲法の欠陥として、
「法律に反しない範囲」での自由が挙げられております。
「明治憲法においても、国民の権利・自由は保障されていたが、
国民の自由が法律の範囲内でしか保障されていなかったために、
法律によって国民の自由が制限された」という趣旨のことが
書かれております。
細かいことのように見えますが、芦部氏の『憲法』で憲法を
学んだ人からすると、「国民の自由は『公共の福祉」なら
制限されてもかまわないが、法律によって制限されるならば、
自由はあってないに等しい」ということになってしまうようです。
要するに「憲法」というのは「法律」の上位概念であり、
法律を規定するものです。ところが憲法で保障された自由が
法律によって規定されるというのであれば、
「憲法と法律の上下関係が逆転してしまっているのではないか」
ということです。
しかし、実は「公共の福祉」にも大きな弱点があるということを
芦部『憲法』は見逃しております。
近代的な立憲主義というのは、
「国王の大権に対して国民の自由を守る」という考え方から
生まれましたが、国王の大権、現代的な文脈で言えば、
国家権力ですが、国家権力から国民の自由を守るというのは、
「代表なくして課税なし」という米国独立革命のスローガンに
あらわされているように、具体的に言えば、
「増税から国民を守る」ということでもあります。
つまり近代的な立憲主義が生まれた背景の一に、
「国民の財産を守る」ということがあるわけです。
ところで現代日本では累進課税制度による所得再分配・格差是正
が実施されておりますが、本来、所得再分配・格差是正は
「国民の自由」とぶつかる考え方です。立憲主義や法の支配
という自由の原則に照らして、国民の最低限の
セーフティーネットは肯定されるにしても、格差是正のための
税金を肯定することはできません。
そして累進課税による所得再分配・格差是正が肯定される根拠
となっているのが、「公共の福祉」です。
実は「公共の福祉」によって、立憲主義の原則が侵されていると
いうのが20世紀後半以降の先進国、日本の現状であるということです。
この点が芦部『憲法』では考慮されていないように感じます。
さらに「法律に反しない範囲での自由」というのは、実は
明治憲法の欠陥などではなく、自由の原則そのものでもあります。
ハイエクなどによって見直された英米法の伝統的な考え方として、
法は人間を縛るものではなく、人間を自由にするものであると
いう考え方があります。
つまり法律によって、禁止事項、やってはいけないことだけを
定めるということは、原則、自由であるということを意味
しております。
「車に乗ってどこかに行くのは自由ですが、交通ルール
だけ守って下さいね」ということです。
それに対して、やってよいこと、やるべきことを法で定めると
したら、国民は原則、自由でないことになってしまいます。
話しは少しそれますが、現行憲法には学問や言論や表現、さまざまな
自由が書かれていて、さらに知る権利やプライバシーの権利、
環境権など、新しい自由や権利を明記しようという流れが
あるのに対して、私たちの「試案」では具体的に明記された
自由は「信教の自由」だけです。
これは原則、自由であることを示していて、特に「信教の自由」
は歴史的にも人間にとって根源的な自由であるから、あえて
明文化しているということだと思います。逆に憲法でさまざまな
自由や権利を明記すれば、「憲法に明記された自由や権利
あるけれど、原則、自由はない」ということになってしまいます。
このように「法律に反しない範囲での自由」という言葉に
表されている考え方は、自由の原則そのものなのです。
さらにダメ押し
法(jus)という言葉は語源的には正義(justice)を意味します。
そしてプラトン以来、西洋では国家の目的は正義です。
つまり国家と正義と法は一体のものであるということです。
言葉を代えて言えば、法、法律というのは、公共善、あるいは
公益を目的としたものだということですね。
では「公共の福祉」と同じだと考えることもできるかもしれません。
しかし、実は現行憲法の「公共の福祉」は公共善や公益などと
解釈されていないのです。
例えば宮沢俊義氏の『コメンタール憲法』では、「『公共の福祉』
は、それら(公益)とはちがい、どこまでも個人主義に立脚する」
「公共の福祉の概念も、超個人的な全体の優越を意味すると
した旧形態のイデオロギーと切り放して、個々人の権利を調整し、
それら相互の衝突を規制する原理と見ることができる」と
述べております。
宮沢氏の影響力は大きいもので、上記の解釈が基本的に
公共の福祉の解釈になっているようです。
結局、「公共の福祉」というのは社会の「調整」や「妥協」と
いう意味以上のものではありません。そればかりか、格差是正
のための累進課税を肯定し、国民の自由を侵す口実にも
なってしまっているということです。
改めて、新・日本国憲法試案の第10条は、
国民には機会の平等と、法律に反しない範囲での
あらゆる自由を保障する。
近代的な自由主義・立憲主義の
精神を体現した条文であると感じます。
転載、させていただいた記事です
http://ameblo.jp/kawabe87/entry-11246214493.html
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