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徳川家康・未知との遭遇…「肉人」と「虚舟」の話
2013年4月 4日 (木)転載
徳川家康・未知との遭遇…「肉人」と「虚舟」の話http://indoor-mama.cocolog-nifty.com/turedure/2013/04/44-fe06.html
慶長十四年(1609年)4月4日、徳川家康の居る駿府城の庭園に「肉人」が出現しました。
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それは、あの関ヶ原から9年後の慶長十四年(1609年)の事・・・
すでに、将軍職を三男の秀忠に譲って「大御所」と呼ばれるようになった徳川家康は、自らの隠居の城として構築した駿府城(すんぷじょう=静岡県静岡市葵区)にて、東の秀忠との二極政治を調整しつつ、西の豊臣家の動きに目を光らせるという、「それは隠居か?」的な生活を送っていたわけですが・・・(2月17日参照>>)
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そんなこんなの3月4日・・・
春とは言え、未だ肌寒い季節・・・漆黒の夜空に四角い月が現われ、人々を仰天させました。
「何か不吉な事が起こるかも知れない」
と、巷では口々に気味悪がりましたが、その時は何事も無く、いつしか、その月も消えてしまいました。ところが、その1ヶ月後の慶長十四年(1609年)4月4日・・・駿府城の庭園に、見た事も無い奇怪な「ヒト」が、突然、現われたのです。
「(その姿は)小児のごとくにて、肉人ともいうべく、手はありながら指はなく、指なき手をもて、上を指して立たるものあり」
とにかく、庭園は大騒ぎ・・・
「なんや!アレ?」
「化物か?妖怪か?」
と、ドタバタするものの、誰もどうして良いかわからず、右往左往するばかり・・・中には、捕まえようと試みる者もいましたが、これがけっこうすばしっこくて、それもできず・・・
やがて、庭の大騒ぎが城中に聞こえるようになり、さすがに、
「これは家康公の耳に入れておいたほうが…」
となって、
「いかが、取り計らいましょうか?」
と、お伺いをたてる事に・・・すると家康は・・・
「別に…何をしたってワケでもないよって、どこか、人の見ぃひん山奥にでも、追いやったらエエがな」
と・・・そこで、皆の力を結集して、何とか「その者」を捕まえ、城から追い出して、少し離れた山奥に連れて行って、そこに捨てたとの事・・・
ちなみに、その日は、午後2時頃から4時頃にかけて、空に奇怪な光を放つ雲が東西にたなびいて、やがて東から消えていった・・・なんて事もあったとか・・・
後に、その話を聞いた薬師が
「なんとも惜しい事をしたもんやなぁ…
お前らがガクが無いさかいに、家康公が仙薬を手に入れる千載一遇のチャンスを逃してしもたやないかい!
そいつは、、『白沢図(はくたくず=古代中国の伝説上の妖異鬼神を紹介した物)』にある『封(ほう)』っちゅー者に違いない!
その肉を食べたら、力が強なって武勇も優れるっちゅー話や。
例え家康公が食べへんでも、家臣の誰かが食べたら、絶大な効果を発揮できたもんを…あぁ、もったいない!!」
と悔しがったのです。しかし、それは体の弱い人間が、なんだかんだと健康になる薬に頼ってばかりするのと同じ・・・もともと元気な人は、薬なんか飲まなくても長生きするもの・・・
記紀神話に登場する武勇優れた神様だって、薬に頼ってばかりする事はヨシとしないはず・・・
家康も、そして家臣たちも、きっと『封』の事は知ってたのでしょうが、「奇妙な物を口にして強くなっても、それは卑怯な事…武士として誇れる物ではない!」とばかりに、棚ボタの幸運、他力本願な考えをする事無く、あえて捨てたに違いない・・・。
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てな事だそうですが、これは江戸時代後期の学者=秦鼎(はなかなえ)が書いた随筆『一宵話(ひとよばなし)』に登場するお話・・・
徳川家康が宇宙人と遭遇した話として、知る人ぞ知るお話なのですが・・・どうなんでしょう??
実は、幕府の公式記録である『徳川実記』にも、このお話が出て来るわけですが、そこでは
「手足に指がないボロをまとった乞食が、駿府城内に現われたので、斬らずに追いだした」
という事になってます。なので、いわゆる「肉人」などではなく、単に、普通の誰かが庭にいただけかも知れないわけですが、それはそれで、別の意味で勘ぐりたくなる・・・
そもそも、
駿府城の庭って、そんなに簡単に入る事ができたのかどうか?仮に入れたとして、そんな単なる進入者(間者・不審者なら逮捕・拘束するはず)の侵入を、公式記録に書き残すものなのか?
しかも、この頃の家康って、自分で調合するほど薬に頼りっぱなしじゃなかたっけ?
なんか・・・
『徳川実記』に載ってる事が、逆に、『一宵話』の不思議な話の信憑性を高めている気がしないでもないですね~ところで、「江戸時代の未知との遭遇」とくれば、おそらく、皆さまも思い起こされるであろうと思い、「ついで…」と言っては何ですが、滝沢馬琴(たきざわばきん=曲亭馬琴)の『虚舟(うつろぶね)』のお話もご紹介しておきましょう。
これは、その馬琴が自らが会員だった文化人の集まり=「兎園会(とえんかい)」の中で語られた奇談・怪談をまとめて、『兎園小説』と題して刊行した物の中にあるお話ですが・・・
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常陸国(茨城県)の「はらやどり」という浜の沖合いに、舟のようなものが見えたので、村の漁民たちが多くの小舟を漕ぎ出して捕まえ、浜辺まで引き寄せて来ました。
その舟の形は、直径3間(約5.5m)ほどのお香の入れ物のような丸い形で、上部がガラスと障子を張ったような感じ・・・船底は金属jの板を筋のように張りつけてあったのだとか・・・
すると、中から赤い髪の、いかにも異国っぽい女性が、何やら手に箱のような物を持って出て来ますが、事情を聞こうにも、まったく言葉が通じません。
村の長老は
「きっと異国で罰を受けて流されたのだろう」
と、推測し、事件として「幕府に届け出よう」との声もありましたが、届け出たら出たで大事になるのもめんどくさいので、そのまま、また沖へ流してしまった。
関連ネタ→江戸時代に飛来したUFOと宇宙人〈完全詳報版〉
関連ネタ→江戸時代にUFO出現を伝える瓦版?
似通ってますが同じかな?どちらの星(・ε・ )から来た宇宙人でしょ・・
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白昼、堂々と現れたというのがすごいですね。
天の鳥舟と何か関係があるのでしょうか。
黒魔術の世界で名前がでてきたので、違うのではないかという思いがあり名前を使っております。
もし、黒でもないしグレーでもなければ可哀想なのでということで。
黒かグレーであれば、もちろんネームを変えなければなりませんが。