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国歌歌わないのは「恥ずかしい」? 大臣発言の背景は
岐阜大の学長が、今春の卒業式と入学式で国歌を斉唱しないと表明した。伝統の愛唱歌を歌うのだという。それに対して、馳浩文部科学相が「国立大学としてちょっと恥ずかしい」と批判した。歌わないのは、そんなに恥ずかしいことなのか。
馳文科相は21日、記者団に「学長が言及することはちょっと恥ずかしい」と述べた。23日の会見でも、「一つの自主的な判断」としながらも「私が学長なら君が代斉唱が望ましいと思う」と指摘。
国立大には交付金として多額の税金が支払われていることに触れた上で、「我が国社会の支援に感謝の気持ちを示す姿勢も儀式儀礼にはある。日本人として、特に国立大学として、こういうふうにおっしゃることはちょっと恥ずかしい」と再び批判した。
岐阜大の関係者によると、電話やメールで抗議の声が大学に複数寄せられたという。そもそも、大学は国旗国歌をどう扱わないといけないのか。
小中高校は学習指導要領に「入学式や卒業式などでは国旗を掲揚し、国歌を斉唱するよう指導する」とある。1989年の改訂で事実上義務づける表現に変わった。一方、大学の教育内容については国の統一基準はなく、国旗・国歌についてのルールもない。「大学の自治」の原則があるためで、国は式典の方法などに介入できない。(2016.3.5朝日新聞)
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戦前には「修身」という道徳の教科書があって、小学生から日本がどういう国かをしっかり学びます。
そこには、「我が国」「皇室」「伊勢神宮」「國神社」「忠君愛国」「国民の務」「男子の務めと女子の務め」「礼儀」「良心」「孝行」「祖先と家」「忍耐」・・・。
今の教育では考えられないようなことばかりですが、よく考えて下さい。これらを教えないということは日本人らしさを教えないということです。
修身には「国旗」「国歌」があります。「国旗」はこのように書かれています。
「紀元節に家々で日の丸の旗を立てたのを、子供達が見て、喜ばしそうに話をしている。どこの国にもその国の印の旗があります。これを国旗と申します。日の丸の旗は我が国の国旗でございます。
我が国の祝日や祭日には、学校でも家々でも国旗を立てます。そのほか、我が国の船が外国の港に泊まる時にもこれを立てます。
国旗はその国の印ですから、われら日本人は日の丸の旗を大切にしなければなりません。また礼儀を知る国民としては外国の国旗も相当に敬わなければなりません」
昔は国旗国歌は小学4年生で教わりました。
朝日新聞は国旗を理解できないならば、昔の小学生4年生以下ということです。
また「国歌を歌わないのは、そんなに恥ずかしいことなのか。大学は小中学校と違って国の基準がなく義務化されていないから歌う歌わないは大学が決める」と言っています。
大学に国の基準がないのは、大学生になれば国旗・国歌に対する理解があって当然ということです。
国旗国歌はどこの国でもあります。国旗国歌を「強制」と言って否定している姿は、他国から見れば信じられないことでしょう。
日出る処 日没する処。
頼山陽は日本のことを「日出る処」と呼びました。これは神武天皇以来、万世一系の天皇が統治していることを言っています。「日没する処」とは常に日没のようにシナは次々と王朝が入れ替わると言っています。
日本は「日の出」(太陽)を大切にする。神社の拝殿も太陽が拝める方向を向いており、太陽に背を向けることはありません。この太陽こそ日の丸、つまり国旗なのです。
日教組の強い地域では、小・中・高校で「君が代」を歌いません。歌わなければ当然歌詞も覚えず歌うことができません。そのまま大人になると国歌斉唱が出来ない大人になります。しかも同じ地域の周りも歌えないので誰もが歌えなくて当然と思います。
しかし社会に出ると、国歌斉唱する場面ではみんなが歌詞も見ずに声を出して斉唱しています。しかし自分は歌詞がわからないので歌えない。
これが日教組教育なのです。
日本人としてこれほど恥ずかしいことはありません。
日本は「恥の文化」。恥を知るのが日本人。恥を知らないのはシナ人・朝鮮人です。だから彼らはあんな恥知らずのことばかりできるのです。朝日もひょっとしたらあちらの民族ではないか・・・。
今一度、「君が代」を日本の景色とともに聞いてみたい。
君が代独唱 国歌独唱 日本一 野々村彩乃
日本国国歌 君が代 Japanese National Anthem Kimigayo (HD)
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