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詳細版・続き2010/01/24
心の透明度が落ちてくると、守護霊の指導が受け取れなくなる。
ガラスが曇って生活をしていると天上界から助言したくなったり
光を降ろしたくなっても薄汚れていると通らなくなる。
修行して錆、垢を落とすと直接光が入ったり、アドバイスを受け取れる
ようになったりする。
これをアラカンという。精舎、未来館、なになに館というのがある。
そこで宿泊研修をしていると透明度が上がり、祈願など受けてると同通する
ようになり、直接光が入ったり、導きを受けられるようになる。
守護霊のアドバイスが受け取れるようになってくる。それをアラカンという。
さらには守護霊で足りなければ、当会の指導霊が、その人の職業、分野に
あった指導霊が指導くださるようになる。
これがアラカンを目指しているとそうなる。これは本来の自己確立を
求める修行。
これで良しとする考えもある。アラカン状態で、これで悟ったということで、
これでよしという考えもあるが、これだけでは人類を救うことはできない。
真実を知らない人を目覚めさせる仕事がある。
無明の中で手探りで生きている人を目覚めさせる仕事、修行があるはず。
これを菩薩行という。
真理の世界で、人間の本質として、霊的存在があると知って、あの世があると言うことを知って生きている人と、死んだら何もかもなくなる。
肉体は飾りだと思っている人との2種類がある。
唯物論と科学が結びついて宗教的考えが押しやられている。真理がどっちにあるか。どちらかです。
唯物論はマルクスの考えが中心になっています。食べ物を豊かにするのは
大事ですし、お金も家もあった方がいいと理解している。
唯物論が全部間違っているとは言えない。学問の進化に役立ったこともある。
ただ真実から見たら、死んだら(魂が)体から抜け出していくのは事実。
私自身、過去、霊人からの霊言を降ろして実証して来ましたし、自動書記で降ろすことができる。
今年は坂本龍馬、松下幸之助の霊言を取り直して、現代社会に何を言うか問うて公開でしました。
そのように日常的に同通しているので、100か0、どちらかの選択で、
100%であるしかいいようがない。
真実はこちらにあると考えていい。仏教では菩薩、キリスト教では天使という。
世の人を救おうとしている霊的存在はあの世にも、この世の人の中にもいて、天使の方が肉体を持って修行している。
この世的地位とは関係ない。全然関係ない立場で生活していて、宗教的目覚めで活動される中にいる人も多い。
会員さんで信仰心を持っていれば必ず、亡くなった方で地獄に行った方は
見たことがない。
私はまだ地獄に行った会員を知らない。事故とかでもいいところに還ってます。
拠点長で大黒天だった開業医、歯医者をやっている方が50くらいで
亡くなった。
奥さんに会ったら本人はガンで亡くなったので迷っているんじゃないか
と心配していると言っていたが反対です。
羽が生えてピンピン生えて活動しています。なぜ50くらいだったかは
本人の計画なのでわからないけど、苦しんでない。
あの世で天使として仕事のある方もいる。それで呼ばれる人もある。
寿命の長い短いとは関係がない。教えに賛同して伝道もされ熱心にされて
いたのにガンになっていた。検診をしてなかったんですね。
アレッと思ったらコロンとして、ある日突然そのまま死んでしまった。
相当信仰していた・・ピンピンコロリで、逝ってしまった。
50くらいで逝かれるのはかなわないという気持ちはあるけど、霊視すると
羽が生えてて呼ばれたに違いない。天使としての仕事がある。
当会は高齢の信者も抱えているので、順番に逝くが、向こうの受け入れ態勢がいるのである程度天使が要るのでその準備のために呼ばれているんだろうと思います。
人は計画がそれぞれなのでそういう方もいます。事故とか病気で死んでも
その後は順調。また、生きていた時に私に直接影響を与える立場の方が魔にやられることがある。魔は実際にいる。
それ以前の段階として、昔話に聞く悪魔の存在、悪霊(あくれい)、
不成仏霊という、単に死んで気付かずに迷っている人がいる。
しかしそれがわからない唯物論者はいる。宗教を知らずに事故で死んだら
わからない。家族や会社でウロウロしている。
坊さんも最近は唯物論で、哲学みたいに仏教を理解している。
釈迦の教えの中に三法印がある。諸行無常、諸法無我、涅槃寂静。
移ろいやすくて形がない。
死んだら静かさの中にあるらしい。この世は変転する。変化する。
経済も変化する。死んだら何もないとなる。
インドにガンジス川があるけど、雨季は氾濫する。インドの家は泥の家が
建っている。
自分で作っている。洪水で流れてしまう。家が流れるように肉体も洪水に
流される家のように、はかなく亡くなる存在だと言っている。
(釈迦は)肉体に執着するなと言いたかったのに、それを唯物論で死んだら
終わり、と受け取った。
そう捉えている坊さんがいっぱいいる。こんな坊さんに葬式をされても
あの世にいけない。
(死んだのが)わからないので家族にとりついたりする。
その中でも悪い奴、手下を使って、悪さをしようとする奴がいる。
意図的な人がいる。これを悪魔という。地獄から、千年、二千年出れない人がいる。
影響力がある人として生まれるけど、(魔に)入られてそうなるということ。
今でいえば、某政党の某幹事長も悪魔になる思想、素質を持っている。
ああいう方が悪魔になるんです。昔でいえばヒトラー。
この世で社会的地位や権力があって、指導力がある人で腹黒く心で
悪いことを考えてたような人が悪魔になりやすい。
念力が強いので地獄でも多くの手下を使って念力を使って悪いことを画策する。
そういう人は宗教の支部長、教団の幹部、教祖を狙って攻撃をしかける。
釈迦も6~7年の修行の間、つけ狙われてたがとうとう迷わすことはできなかったと書いてある。悟りを開いても一生付きまとってる。
イエスも悪魔に攻撃された。祭りの日の托鉢で何ももらえないで戻ってくると、すかさず悪魔が「もう一回行くともらえるかもしれないぞ」と囁いて、執着を起こそうとしてくる。
キリスト教はベルゼベフ。サタンの次のNo.2。
「本当に神の子だったらこの高台から飛び降りても天使が拾ってくれるだろう」「石をパンに変えてみろ」というと「人はパンのみで生きるにあらず」と
言ったのは有名。空腹のときには試された。
釈迦が亡くなる3か月前には「早く死ね」と言っている。
釈迦は3ヶ月後にクシナガラで死ぬことになっているから早く死ぬわけには
いかないと言った。そのように法を説くもの、それを助ける特使?の邪魔を
するものがいる。
ただ彼らも、もとは人間だった。考え違いをし、人を救う愛の行為、慈悲の
行為を信じなかった人たち。自分の欲得。自我我欲。
自分さえよければいいという考え。自分だけ出世して権力を振るえたらいい。
他の人はどうでもいい。負けたやつは消えていけと言う生き方をした人。
逆に他の人のために生きれる人、
生きようとしている人がいて、菩薩になる人がいる。
そうじゃない人、自分さえ偉くなったらいいという考えの人が悪いことをすれば、悪霊や悪魔になっていく。こう言うのが実際にいることを数多く体験した。
(悪魔たちは)この世に地獄を増やそうとしている。
自分が不幸な時に不幸な人が増えると嬉しいという気持ち(あるでしょ)
あいつも失敗した。うれしい・・そういう気持ちで仲間や地獄を増やしている。
これをやめさせなくてはいけない。うまくいきますようにと言う人を
増やさないといけない。
そういう意味で正しい真理を学ぶ人を増やしていくために伝道をしている。
伝道すると意地悪をされたり、非科学的だと言われたりするけど、
それは私の信用にかかっていると思うが選ばれてこういう仕事をしています。(昔の教えは、仏教でさえ、葬式仏教、観光仏教と馬鹿にされ、救済力がなくなっている。現代語で新しい教えで、人々に生きる道を教えることが
大事であり)手伝ってくれる人が数多く欲しいと思っている。
とりあえず会員になっている人がいる。精舎で説法を聞いたり、顔を出したりしていると、神秘体験があるので、そういう霊的世界の体験をしてください。書いてあることが本当だとわかる。
三帰して、菩薩の道を歩もうと心を固めてくれればありがたいです。
数多くいると、悪を押しとどめ、善を推し進めることができます。
会員でない人は、会員になることをお勧めします。発心して三帰信者に
なることをお勧めします。
会員から三帰信者になったら、料金が高くなるので会員のままでいい・・
というのは違いますよ。
教団を支える尊い使命も担ってくださいと言っています。
正会員になると安くなるのが普通でしょと言うけど、植福、資金提供は
大変だけど、尊い修行です。
執着を断って尊いものに捧げる。自分のためです。
人のためだけど、自分のためでもある。
植福すると執着がわかる。高くなるけど、修行の機会を
与えられていると思ってください。
神秘的修行も与えられているんだと知ってください。
以上です。ありがとうございました。
以上 文責 M