大炊之介祐綱かくしつ風にてむなしくなりて(桐生代々の事、付けたり、細川滅亡の事・その 3)
此の時、浄土宗西方寺を開く(桐生代々の事、付けたり、細川滅亡の事・その 2)
其の軍功により頼朝公より桐生を給はり(桐生代々の事、付けたり、細川滅亡の事・その 1)
黒柴との生活を始めてもうじき20年になります。現在は4名の黒柴と1名の白柴の計5名と、にぎやかに暮らしています。ある時ここが葛塚城堀之内だと知りました。失われた歴史が語りかけてくるになりました。
フォロー中フォローするフォローする