今日のよかこと

一日のよかったこと、うれしかったことをメインに日記をつけようと思います。

天国へ

2012年11月14日 | 聖書の言葉
母教会のIさんが天国へ召されました。

礼拝でも祈祷会でも真夏でも、きちっとネクタイを締め、ジャケットを着て、教会に来られ、

誰よりも大きな声で讃美歌を歌っておられました。

祈祷会ではいつも小さなお証をしてくださいました。

Iさんのお証はいつも“イエス様に愛されている喜び”で満ちていました。

Iさんは私の父より年配の方ですが、お証を話される時は“少女”のように純粋に喜んでおられました。

天国でイエス様の腕に抱かれ、喜んでおられる様子が目に浮かびます。


Iさんが下さった誕生日カード

小さいお花も沢山咲いてきました!

2012年04月19日 | 聖書の言葉
雑草と言われる小さい花もかわいいです~!


オオイヌノフグリ(大犬の陰嚢)別名、瑠璃唐草・天人唐草・星の瞳


はこべ(繁縷)

野の花がどのように育つのか、注意してみなさい。働きもせず、紡ぎもしない。

しかし、言っておく。栄華を極めたソロモンでさえ、この花の一つほどにも着飾ってはいなかった。

今日は生えていて、明日は炉に投げ込まれる野の草でさえ、神はこのように装ってくださる。

まして、あなたがたにはなおさらのことではないか、信仰の薄い者たちよ。

だから、「何を食べようか」「何を飲もうか」「何を着ようか」と言って、思い悩むな。

それはみな、異邦人が切に求めているものだ。あなたがたの天の父は、これらのものがみな

あなたがたに必要なことをご存じである。何よりもまず、神の国と神の義を求めなさい。

そうすれば、これらのものはみな加えてあたえられる。だから、明日のことまで思い悩むな。

明日のことは明日自らが思い悩む。その日の苦労は、その日だけで十分である。

(マタイによる福音書6章28節~34節)

洗礼

2011年08月15日 | 聖書の言葉
キリスト教の雑誌「信徒の友」に、日毎の糧という毎日の聖書個所とその講釈が載っているページがありまです。
昨日の箇所は、特に心に響きました。またその講釈もわかりやすかったです。

聖書個所の一節
「洗礼は肉の汚れを取り除くことではなくて、神に正しい良心を願い求めることです。」
(ペトロの手紙一3:21)

講釈の概要:洗礼は天国行きの切符ではありません。キリスト者も人間に過ぎず、正しい人などではありません。「良い、正しい」のは神のみです。「正しい良心」とは「神を喜ばせる良心」「神の前での良心」「神を意識する良心」とさまざまな解釈がありますが、倫理的には「罪責から解放されたやましくない思い」です。ここでは聖霊を受け神と共に物事を判断していくキリスト者のあり方のことです。「肉の汚れ」は割礼を暗示しています。ユダヤ教では無割礼は「汚れ」を意味したからです。キリスト教の洗礼はそうした「不浄」を除去する行為ではありません。ゴールではなく、「神の前での良心を願い求める」思いが与えられる一つの機会です。

ベランダで咲いた朝顔


東側の部屋で咲いたペンタス