青に恋

好きなことについて書いていきます

嵐New Album『untitled』

2017-10-18 21:13:45 | 
始めに・・・

こちらの記事はブログを解説してまだ不馴れでやり方を間違ってかなり前に書いた記事を

公開できなかったものです。そのためタイムラグのある内容になっています。


昨日、フラゲして既に聴いたという人も多いが、私も初回限定版を

入手でき、フォト&歌詞ブックレットを片手に一通り聴いてみた。

リード曲である『未完』は先日のミュージックステーションで披露

されたが、あれがフルバージョンであったことに少し驚いた。相葉雅紀

が「まとまりのない曲」といったのは、彼のvocabularyの問題による

ところもあるのであって「多面性がある」「表情が豊か」だともいえ、

良い意味に捉えれば、あながち間違ってはいないように思えた。今年の

アルバムでは新たに組曲として10分を超えるものがあると聞いていた。

それが『Song for you』のことで、曲冒頭の大野智がソロで歌う

メロディが先日のミュージックステーションでメドレーとして『未完』

と共に披露されたのだ。そのイントロを聴いた時、一瞬『花より男子

ファイナル』の主題歌である『One Love』を思い起こさせたが、それも

そのはずスタッフの一人が被ってるのだそうだ。振り付けでは『愛をさけべ』

にも少しだけ感じが似ていたし、大野智のソロ部だけ聴いている

とアリーナツアーの『ただいま』の同ソロ部を彷彿とさせた

わけだが、曲全体を聴いてみると、店長に次ぐ転調で『ん?』となる展開。

まるで目隠しされてくるくると体を回された後のように、曲の

方向性が急に見えなくなってしまった。一貫性がないというのか。

これは今回のアルバムの全曲について言えることなのだが。

これまでの嵐の曲が持っていた嵐の独特の「匂い」というものが

とても薄まっている気がする。出来上がった曲の良し悪しという

よりも「テイスト」が違う気がするのだ。嵐性を離れることに

よって、ジャニーズのアーティストとしてはかなりアイドル離

れした曲層になっているといってよいと思う。多分、嵐メンバー

ではない誰かの声で歌われたとしたら、普通に誰かJ-POP歌手の

曲だと思うだろう。裏を返せば、これまで嵐がジャニーズアイドル

として歌い続けてきた曲のベースとなる曲層からの卒業を模索し

始めているのではないかとさえ思った。「歌詞」においても嵐の

過去の曲は歌詞を聴けば曲名が思い浮かぶか「判別」できる

というか。歌詞の表現しようとしている風景が捉えやすいと

いう特徴があったと思う。それが今年のアルバムについては

歌詞を見ながら音楽を聴いていても、何故か「言葉」に引っ掛

かりがなく、おおきな「感情」のくくり―楽しいのか、悲しいのか

―というようなことはわかっても、感情移入できるほど明確なものが

なくただ漠然としてピンとこないのだ。曲は綺麗なのだが、形なく

流れてゆく雲のようにすぐに消え、何かを伝え留めることがない。

それが、今風の、一般的なJ-POP風といわれると確かにそうかも

知れない。とは思う。

さて。今年のアルバムのタイトル『untitled』は直訳は「無題」で

あるが、「嵐が自分自身をまだ何者とは決めつけられない(決めつけて

欲しくない)まだまだ進化し続ける未完成でポジティブな存在」を標榜して

いるタイトルなのだろうと思う。人気絶頂の嵐といえどメンバー全員が

30歳の半ばである今、これまでのやり方がずっと永遠に続くはずが

ないこと、何かを変えていかないといけないことを十分過ぎるくらい

感じているだろうし、その「何か」を懸命に模索しているはずだ。

折しも、彼らが常にその背中を追い続けて目標にしてきたSMAPが解散し、

そのメンバーが事務所を辞めるという節目に遭遇したのであるから、

嵐自体が解散や事務所を辞めるという選択肢はないにしても、SMAPの

栄枯盛衰をみて、彼らが我が身に当てはめて考えないわけはないだろう。

嵐は今、自分たちがどういう方向に行きたいのかを考え、そのことに

苦辛し悩んでいるのではないだろうか。その中で「試行錯誤」も大事

なのだが、それらの全てが上手くいくわけではない。嵐は結成18周年を

迎え、年齢的にも「アイドル」という見た目にだけ左右される存在ではなくなり

つつある。現在の彼らは日本を代表するスーパースターであり、彼らから

発進される芸術性を愛する人たちがたくさんいるのである。それゆえ

彼らは彼らの好む曲を選び、ダンスパフォーマンスに力を入れ、個々

に役者という自己表現のできる場所へと活躍の範囲を広げていっている

のである。少し話がそれるが。

コンサートの演出を主に手掛けているのは松本潤なのだが、最近公開

された彼の映画『ナラタージュ』は「演技する」という行為や行定監督

の演出を通して、自身の芸術的なセンスや表現方法を多いに学ぶ機会

になったのであろう。作品を見て、これまでの彼とはひと味違っていて

素人がいうのもなんだが、役者として成長が見てとれた。嵐のメンバーは

どこで何をしていても自分たちが「嵐」であることを自覚していると宣言

している。松本潤も日頃の仕事、つまり「役者」という仕事からであっても

コンサートの演出のアイデアとなるものにアンテナを張っているに違いない

のだ。話は元に戻る。

松本潤がそうであるように、嵐のメンバーのアイドルの仕事以外に

個人として新しい場所で一層の活躍をしている今年は、本業である

嵐というグループの方向性については相当に悩んだような気がする。

かといって、彼らは夢を売る仕事。彼らの悩みや葛藤を全面に押し

出すことなどできない。表向きは「自分たちの楽しいと思えることを

考えたらこうなった」というしかないだろう。しかし、新しい何かを

生み出すために悩まない者などいない。「苦しんで苦しんでこのアルバム

を作りました。」といわない。それが嵐の美学なのではないだろうか。

ソロを無くしたことについても賛否両論、いや、反対意見がやや優勢かも

知れない。長らく続けてきて、一定以上の評価を受けていることを止めて

しまうにはやはり勇気がいるものだ。新たなステージへ向かうための

「試行錯誤」。彼らが産みの苦しみを味わおうとしているのなら、それ

に付き合うのもファンの勤めなのかもしれない。ソロがない。そのこと

に嵐とてプレッシャーを感じているのではとも思う。例えどんなに良い

曲だと思っても、5人のハーモニーがとても心地よい楽曲だとしても

自分の応援しているメンバーの声を耳で探してしまう。ファンとはそう

いうモノだ。「もう少し長く」「ここの、このフレーズを『彼(自分の

応援しているメンバー)』に歌って欲しい・・・」でも5人だと歌割り

は予め決められていて、ファンの思い通りにならないジレンマ。「ソロ

曲」があれば単純に解決してくれるのだ。100%「彼」の声で、

「彼」が自分で選んだ曲を歌うのだから当然、ファンは喜ぶ。

そのソロ曲を無くしてしまうことで、ファンはストレスを感じて

しまうのだ。大好きな嵐の曲を聴いて、ストレスを感じるという

パラドックスに陥るのだ。そして、今回そのジレンマをもっとも

感じているのが、こと「歌」に関しては某番組で10代が選ん

だもっとも歌の上手いアーティスト、嵐のリーダーであり

メインボーカル、大野智のファンだ。全曲に美しい歌声を

響かせ嵐の美しいハーモニーを下支えする役割は存分に果

たしている。が、決してでしゃばるわけでもなく、縁の下の

力持ち的な存在といえる。その彼の歌声を唯一独り占めできる

のが「ソロ曲」だったのだから、それがなくなった落胆度は

他のメンバーのファンより深刻なのだ。他のメンバーがどう

というわけでも、嵐の曲が嫌いというわけではない。ただ

彼の歌声にとっぷりと浸っていられる場所が欲しいだけなの

だ。昨今、彼のソロアルバムが熱望されているのも、そういう

切ない願いから来ている。

他のグループにおいては例えば関ジャニ∞の渋谷すばるのソロ

があったり、最近では亀梨和也のソロコンサートがあったり

(尤も今、KAT-TUNは活動休止しているからソロでしか仕事を

していないからソロも当然なのだが)。その上、大野智自身、

過去にはソロコンサートを行っていたはず。何故今はできな

いのか?大人の事情なのかも知れないが。役者として3ヶ月

拘束される期間があるのなら、同じ期間でソロコンサート

の準備を整えることも可能なのではないのか?と素人である

私は考えてしまうのである。大体が他の人たちにできて、大野智

には何故無理なのか。ドラマなら、オファーがなければ難しい

こともあろう。だがソロコンサートなどはジャニーズの「お家芸」

であろう。一体、誰がストップをかけているのか?ファンが久しく

熱望している企画が通らないのは不思議で仕方がない。そのような

状況下、今回、ソロ曲を無くしたことで、この声は必然的に大きく

なることだろう。

アルバムの感想を書くつもりがいろんな方向に話が飛んでしまった。

私はここ6、7年の間、年に一度、有志で結成される合唱団に入り

歌っている。今年も歌った。そして遠い昔になるが、学生時代に合唱

の経験もある。だからといって本格的な音楽の知識もないし、楽器

を演奏することもできないので専門的な知識に裏打ちされた音楽評

などできるわけもない。が、しかし、純粋に音を聴くことには自信が

ある。それぞれのフレーズを演奏している楽器の名前などは知らない

けれど。同様に歌の上手い、下手はわかるつもりだ。今回の嵐のアル

バム曲は全て音は素晴らしいし、音の組み合わせがアバンギャルドで

今まで聴いてきた嵐の楽曲を踏まえ、次はこう来るだろうという、経験

値として蓄積された曲の流れの予想を裏切り、期待をかわされたりする。

それを「嵐らしくない曲」だと、忌んでばかりいては新しい風は起こら

ない。現在の、今の嵐を作り上げてきたもの、それはとりもなおさず彼

らのこれまでの音楽性を多いに愛してきたファンであり、そのファン

の全てが嵐の今回のアルバムのような、大胆な変貌を歓迎できる体質で

はないということも肝に銘じておかなければ、置いてけぼりにたファン

からの大きなしっぺ返しをくらう可能性は否定できず、それがひとたび

暴走してしまうと、嵐といえど、人気が命、浮き沈みの激しい芸能界の

荒波に飲み込まれることになってしまうだろう。

今回のアルバム作りにおける彼らの挑戦が果たしてファンにどう受け止

められていくのか?20周年を前に自らの意思で嵐は自分たちの行く手

を切り開くための勝負をしかけてきたのかも知れない。

嵐にはまだまだ勝負に勝ち続け、ファンを喜ばせる存在であり続けて

いて欲しいと願っている。