主を畏れることは悪を憎むこと。箴言8:13
私たちは神の作品へと、
善い行いのために、
キリスト・イエスにあって
造られたからです。エフェソ書2:10
Ⅰコリント10:9~13
ヨハネ12:12~19(通読箇所)
(ローズンゲン『日々の聖句』3/9;水)
―――― ☆ ――――
聖書が啓示している神、
天の神、【主】、
「『わたしはある(I am)』という者」と
名乗られる方(出エジプト3:14)をおそれ敬うことは、
悪を憎むことにつながるのですね。
この方は、高ぶりと、おごりと、悪の道と、
ねじれごとを言う口を憎まれるのですから。
神は私たちを、イエスによって善い行いをするよう、
新しく生まれさせてくださったのですから。
使徒パウロは書き送っています。
「また私たちは、彼らのうちのある人たちがしたように、
キリストを試みることのないようにしましょう。
彼らは蛇によって滅んでいきました。
また、彼らのうちのある人たちがしたように、
不平を言ってはいけません。
彼らは滅ぼす者によって滅ぼされました。
これらのことが彼らに起こったのは、戒めのためであり、
それが書かれたのは、世の終わりに臨んでいる私たちへの
教訓とするためです。
ですから、立っていると思う者は、
倒れないように気をつけなさい。
あなたがたの経験した試練はみな、
人の知らないものではありません。
神は真実な方です。
あなたがたを耐えられない試練にあわせることはなさいません。
むしろ、耐えられるように、試練とともに脱出の道も
備えていてくださいます。(1コリント10:9~13)
12弟子のひとり、ヨハネはイエスの
最後のエルサレム入城のことを次のように書き記しています。
その翌日、(過越の)祭りに来ていた大勢の群衆は、
イエスがエルサレムに来られると聞いて、
なつめ椰子(やし)の枝を持って迎えに出て行き、こう叫んだ。
「ホサナ。
祝福あれ、
主の御名によって来られる方に。イ
スラエルの王に。」
イエスはろばの子を見つけて、それに乗られた。
次のように(ゼカリヤ9:9に)書いてあるとおりである。
「恐れるな、娘シオン。
見よ、あなたの王が来られる。
ろばの子に乗って。」
これらのことは、初め、弟子たちには分からなかった。
しかし、イエスが栄光を受けられた(十字架に架かって)後、
これがイエスについて書かれていることで、
それを人々がイエスに行ったのだと、彼らは思い起こした。
さて、イエスがラザロを墓から呼び出して、
死人の中からよみがえらせたときにイエスと一緒にいた群衆は、
そのことを証し続けていた。
群衆がイエスを出迎えたのは、
イエスがこのしるしを行われたことを聞いたからであった。
それで、(イエスを殺そうとしていた)パリサイ人たちは
互いに言った。
「見てみなさい。何一つうまくいっていない。
見なさい。世はこぞって
あの人の後について行ってしまった。」(ヨハネ12:12~19)
私たちもイエスによって完成している、
【聖である霊】と呼ばれる方によって新しく造られる神の業に
与(あずか)って、善い行い、
【父である神】と思いを一つにして生きる生き方へと
進むのですね。
今日も。
(聖書のことばへの疑問やご意見、
近くの教会を知りたい等の方、
また、婚活で広く出会いを求めたい、教会に行っていないけれど、
葬儀をキリスト教でしたい、等の方、
お問い合わせは、
shkhknsyg4@yahoo.co.jpへどうぞ。)
〈(株)ブレス・ ユア・ ホーム https://christ-sougi.com/ 所属〉)
〈日本仲人協会 https://www.omiaink.com/ 認定〉
〈クリスチャンの結婚相談所
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善い行いのために、
キリスト・イエスにあって
造られたからです。エフェソ書2:10
Ⅰコリント10:9~13
ヨハネ12:12~19(通読箇所)
(ローズンゲン『日々の聖句』3/9;水)
―――― ☆ ――――
聖書が啓示している神、
天の神、【主】、
「『わたしはある(I am)』という者」と
名乗られる方(出エジプト3:14)をおそれ敬うことは、
悪を憎むことにつながるのですね。
この方は、高ぶりと、おごりと、悪の道と、
ねじれごとを言う口を憎まれるのですから。
神は私たちを、イエスによって善い行いをするよう、
新しく生まれさせてくださったのですから。
使徒パウロは書き送っています。
「また私たちは、彼らのうちのある人たちがしたように、
キリストを試みることのないようにしましょう。
彼らは蛇によって滅んでいきました。
また、彼らのうちのある人たちがしたように、
不平を言ってはいけません。
彼らは滅ぼす者によって滅ぼされました。
これらのことが彼らに起こったのは、戒めのためであり、
それが書かれたのは、世の終わりに臨んでいる私たちへの
教訓とするためです。
ですから、立っていると思う者は、
倒れないように気をつけなさい。
あなたがたの経験した試練はみな、
人の知らないものではありません。
神は真実な方です。
あなたがたを耐えられない試練にあわせることはなさいません。
むしろ、耐えられるように、試練とともに脱出の道も
備えていてくださいます。(1コリント10:9~13)
12弟子のひとり、ヨハネはイエスの
最後のエルサレム入城のことを次のように書き記しています。
その翌日、(過越の)祭りに来ていた大勢の群衆は、
イエスがエルサレムに来られると聞いて、
なつめ椰子(やし)の枝を持って迎えに出て行き、こう叫んだ。
「ホサナ。
祝福あれ、
主の御名によって来られる方に。イ
スラエルの王に。」
イエスはろばの子を見つけて、それに乗られた。
次のように(ゼカリヤ9:9に)書いてあるとおりである。
「恐れるな、娘シオン。
見よ、あなたの王が来られる。
ろばの子に乗って。」
これらのことは、初め、弟子たちには分からなかった。
しかし、イエスが栄光を受けられた(十字架に架かって)後、
これがイエスについて書かれていることで、
それを人々がイエスに行ったのだと、彼らは思い起こした。
さて、イエスがラザロを墓から呼び出して、
死人の中からよみがえらせたときにイエスと一緒にいた群衆は、
そのことを証し続けていた。
群衆がイエスを出迎えたのは、
イエスがこのしるしを行われたことを聞いたからであった。
それで、(イエスを殺そうとしていた)パリサイ人たちは
互いに言った。
「見てみなさい。何一つうまくいっていない。
見なさい。世はこぞって
あの人の後について行ってしまった。」(ヨハネ12:12~19)
私たちもイエスによって完成している、
【聖である霊】と呼ばれる方によって新しく造られる神の業に
与(あずか)って、善い行い、
【父である神】と思いを一つにして生きる生き方へと
進むのですね。
今日も。
(聖書のことばへの疑問やご意見、
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また、婚活で広く出会いを求めたい、教会に行っていないけれど、
葬儀をキリスト教でしたい、等の方、
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