町の平安を求め、
その町のために祈りなさい。
その町の平安があってこそ、
あなたたちにも
平安があるのだから。エレミヤ書29:7
あなたがたは地の塩である。マタイ5:13
ロマ書9:14~23(24~26)
使徒16:16~22(通読箇所)
(ローズンゲン『日々の聖句』7/5;火)
―――― ☆ ――—―
捕囚(捕虜)として連れて行かれた敵の町のことは、
私たちは呪ってやりたいですよね。
ヨナがニネベに災いが下ることを願ったように。
けれども、天の神、【主】、
「『わたしはある(I am)』という者」と
名乗られる方(出エジプト3:14)は
エレミヤを通して言われるのですね。
「その町(バビロン)の平安のために祈りなさい。
その町の平安があってこそ
あなたがたにも、平安があるのだから」と。
神は私たちを地の塩、世の光として
用いようとして、この世から選び出してくださったようです。
この方は、と言われます。
「わたしはあわれもうとする者をあわれみ、
いつくしもうと思う者をいつくしむ」と。
しかしそれは、ある人たちを憐み、
ある人たちはあわれまない、
いつくしまないということではなく、
すべての人を愛し、あわれんでくださっているのですね。
イエスは、ある特定の人のためだけにではなく、
すべての人の「的外れ」の責任をご自分の身に背負って
十字架刑での処刑を受けられたのですから。
また、「だれも滅びることがなく、
すべての人が悔い改め(神に立ち返ること)に進むことを
望んでおられる」(Ⅱペテロ3:9)と書かれているように。
ただ、ご自分に反発し、心をかたくなにして
あわれみを受け取ろうとせず、
自分の思う道を行き続ける者を、
その行くままにしておかれるということはあるようです。
エジプト王ファラオがモーセの申し入れを無視した時のように。
神は、滅ぼされるはずの怒りの器を、
豊かな寛容をもって耐え忍ばれ、
ご自分の豊かな栄光の中に
入れようとしていてくださるのだそうですから。
「わたしは、わたしの民でない者をわたしの民と呼び、
愛されないを愛される者と呼ぶ。
あなたがたはわたしの民ではない、と言われたその場所で、
彼らは生ける神の子らと呼ばれる」
と言っておられるように。(ロマ9:14~26)
ピリピでのこと、祈り場に行く途中のパウロたちに出会った、
占いの霊につかれた若い女奴隷が、
パウロたちの後について来て、
「この人たちは、いと高き神の僕たちで、
救いの道をあなたがたに説いています」
と叫び続けるただそうです。
何日もこんなことをするので、
困り果てたパウロが振り向いて、その霊に
「イエス・キリストの名によっておまえに命じる。
この女から出て行け」と言うと、
その霊はただちにその女から出て行きました。
それで、彼女の主人たちは、
彼女が占いができなくなり、金儲けをする望みがなくなったので、パウロとシラスを捕らえて引き立て、
長官の前に引き出しました。
町の人たちも二人に反対して立ったので、
長官は彼らの衣をはぎ取って、
むちで打つように命じたのだそうです。
「この人たちは、いと高き神のしもべたちで、
救いの道をあなたがたに説いています」という、
占いの霊につかれた女の言うことに
心を留めることもなく。(使徒16:16~22)
神は、愛される資格などなく、
滅びるはずの私たちをあわれんでくださり、
生ける神の子たちと呼んでくださっているのだそうです。
地の塩とし、その町の平安を祈る者として。
イエスを通して来てくださる
「聖である霊」と呼ばれる方によって。
今日も。
~~~~~~~~
(聖書のことばへの疑問やご意見、
近くの教会を知りたい等の方、
また、婚活で広く出会いを求めたい、
教会に行っていないけれど、
葬儀をキリスト教でしたい、等の方、
お問い合わせは、
shkhknsyg4@yahoo.co.jpへどうぞ。)
〈(株)プレス・ ユア・ ホーム https://christ-sougi.com/ 所属〉)
〈日本仲人協会 https://www.omiaink.com/ 認定〉
〈クリスチャンの結婚相談所
Lita marriage service 〉
〈復活社 http://www.sougi8849.jp/index.html 〉
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その町のために祈りなさい。
その町の平安があってこそ、
あなたたちにも
平安があるのだから。エレミヤ書29:7
あなたがたは地の塩である。マタイ5:13
ロマ書9:14~23(24~26)
使徒16:16~22(通読箇所)
(ローズンゲン『日々の聖句』7/5;火)
―――― ☆ ――—―
捕囚(捕虜)として連れて行かれた敵の町のことは、
私たちは呪ってやりたいですよね。
ヨナがニネベに災いが下ることを願ったように。
けれども、天の神、【主】、
「『わたしはある(I am)』という者」と
名乗られる方(出エジプト3:14)は
エレミヤを通して言われるのですね。
「その町(バビロン)の平安のために祈りなさい。
その町の平安があってこそ
あなたがたにも、平安があるのだから」と。
神は私たちを地の塩、世の光として
用いようとして、この世から選び出してくださったようです。
この方は、と言われます。
「わたしはあわれもうとする者をあわれみ、
いつくしもうと思う者をいつくしむ」と。
しかしそれは、ある人たちを憐み、
ある人たちはあわれまない、
いつくしまないということではなく、
すべての人を愛し、あわれんでくださっているのですね。
イエスは、ある特定の人のためだけにではなく、
すべての人の「的外れ」の責任をご自分の身に背負って
十字架刑での処刑を受けられたのですから。
また、「だれも滅びることがなく、
すべての人が悔い改め(神に立ち返ること)に進むことを
望んでおられる」(Ⅱペテロ3:9)と書かれているように。
ただ、ご自分に反発し、心をかたくなにして
あわれみを受け取ろうとせず、
自分の思う道を行き続ける者を、
その行くままにしておかれるということはあるようです。
エジプト王ファラオがモーセの申し入れを無視した時のように。
神は、滅ぼされるはずの怒りの器を、
豊かな寛容をもって耐え忍ばれ、
ご自分の豊かな栄光の中に
入れようとしていてくださるのだそうですから。
「わたしは、わたしの民でない者をわたしの民と呼び、
愛されないを愛される者と呼ぶ。
あなたがたはわたしの民ではない、と言われたその場所で、
彼らは生ける神の子らと呼ばれる」
と言っておられるように。(ロマ9:14~26)
ピリピでのこと、祈り場に行く途中のパウロたちに出会った、
占いの霊につかれた若い女奴隷が、
パウロたちの後について来て、
「この人たちは、いと高き神の僕たちで、
救いの道をあなたがたに説いています」
と叫び続けるただそうです。
何日もこんなことをするので、
困り果てたパウロが振り向いて、その霊に
「イエス・キリストの名によっておまえに命じる。
この女から出て行け」と言うと、
その霊はただちにその女から出て行きました。
それで、彼女の主人たちは、
彼女が占いができなくなり、金儲けをする望みがなくなったので、パウロとシラスを捕らえて引き立て、
長官の前に引き出しました。
町の人たちも二人に反対して立ったので、
長官は彼らの衣をはぎ取って、
むちで打つように命じたのだそうです。
「この人たちは、いと高き神のしもべたちで、
救いの道をあなたがたに説いています」という、
占いの霊につかれた女の言うことに
心を留めることもなく。(使徒16:16~22)
神は、愛される資格などなく、
滅びるはずの私たちをあわれんでくださり、
生ける神の子たちと呼んでくださっているのだそうです。
地の塩とし、その町の平安を祈る者として。
イエスを通して来てくださる
「聖である霊」と呼ばれる方によって。
今日も。
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(聖書のことばへの疑問やご意見、
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また、婚活で広く出会いを求めたい、
教会に行っていないけれど、
葬儀をキリスト教でしたい、等の方、
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