朝明けに

聖書のことばから、うれしい一日一日の糧を!

人にしてもらいたいと思うことは、何でも、人にする者へ、と

2019-10-17 08:23:23 | 聖書から
あなたは
隣人に物を売り、
また隣人から物を買うときは、
互いに欺(あざむ)いてはならない。レビ記25:14(口語訳)



 人にしてもらいたいと思うことは何でも、
あなたがたも人にしなさい。
これこそ律法と預言者である。マタイ7:12



 使徒5:34~42
 マタイ23:1~12(通読箇所)
   (ローズンゲン日々聖句10/17;木) 


 天の神、【主】、「『わたしはある(I am)』という者」と名乗られる方は、
私たちが物を売ったり買ったりするときにも、
相手を欺いて害を与えたりしないように、と仰るのですね。



 【父である神】、【御子である神】、【聖である霊】と呼ばれる神は、
互いに、相手にしてもらいたいと思うことは、相手にしておられる方、
愛において、
相手の思うことが成って行くことを願っておられる方なのだから、なのでしょうか。



 神から出たこと、
神がこうしようと思われたことは
そのとおりに成って行くのだそうですから(使徒5:38~39)。
私たちにも。



 私たちは宴会の上席や、広場であいさつされたり、
人から先生、師と呼ばれることが好きで、
なんとか、自分を人よりも高くしたいものです。



 けれども、天の神、【主】は、
互いに仕える人になってほしいのだそうです(マタイ23:1~12)。



 十字架刑での処刑を受け、
死んで墓に葬られ、
三日目、死人の中から新しい霊のからだに復活し、
天の、父である神】の右の座に復帰されたイエス。



 そのイエスが受け入れる者に派遣してくださる
【聖である霊】と呼ばれる方は、
受け入れる者の心に、
その、【父である神】の御思い、
「相手に仕えていきたい」という思いも置いてくださるのだそうですから。

今日も。



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引き止めるものを振り切って

2019-10-16 08:34:33 | 聖書から
私を、お引止めにならないでください。
この旅の目的をかなえさせてくださったのは
主なのですから。創世記24:56



 イエスは、
マタイという人が収税所に座っているのを見かけて、
「わたしに従いなさい」と言われた。
彼は立ち上がってイエスに従った。マタイ9:9



 ルカ7:1~10
 マタイ22:34~46(通読箇所)ひ
   (ローズンゲン日々聖句10/16;水)


 すべてのことは、【父である神】の御思いから発し、
この方によって成り、
この方に至るのだそうです(ロマ11:36)。



 それで、主人アブラハムから、
息子イサクに妻をむかえるようにと言われ、
アブラハムの故郷、アラム・ナハライムに行ったアブラハムのしもべは、
神が、アブラハムの兄弟ナホルの妻ミルカの子ベトエルの娘
リベカに出会わせてくださり、
リベカもイサクのもとへ行くことを承知したとき、
10日ほど、別れを惜しんでから送り出したいというリベカの兄と母の申し出に、
このように答えて、すぐ帰ることを選んだのだそうです。



 取税人マタイも、
イエスから「わたしに従いなさい」と言われて、
すぐ、立ち上がってイエスに従ったのですね。



 兵士が上官の命令を、すぐ、そのとおりにするように、
イエスが言われたことはすぐ、そのとおりに実現するのだそうです。
死にかけていた百人隊長のしもべの病気がいやされるようなことも(ルカ7:1~10)。



 【聖である神】と呼ばれる方は、
私たちの身代わりとなって十字架刑での処刑を受け、
死んで墓に葬られ、
三日目、日曜日の早朝、
死人の中から新しい霊のからだに復活し、
40日にわたって何度も弟子たちに現れ、
御自分が生きていることを証明し、
神の国について語ったのち、
オリーブ山で弟子たちが見守る中、上げられ、
天の、【父である神】の右の座に復帰されたイエスを通して
受け入れる者に来てくださり、
私たちの心に【父である神】の御思いを置き、
書きしるしてくださるのだそうです。



 「心を尽くし、思いを尽くし、知力を尽くして、
私たちの神である主を愛する」思いも、
「隣人(となりびと)を自分自身のように愛する」思いも(マタイ22:37~39)。



 それで私たちも、
〔生まれたときからの私〕という霊から来る「引き止める」思いを振り切って、
すぐ、行動に移すと、
その御思いのとおりが成ることを体験させてもらえるのだそうです。

今日も。



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イエスによる救いにあずかって

2019-10-15 09:17:46 | 聖書から
主の言葉:
わたしはあなたを国々の光とし、
わたしの救いを
地の果てまで、もたらす者とする。イザヤ書49:6



 神はキリストを高く上げ、
あらゆる名に勝る名をお与えになりました。フィリピ書2:9



 ヤコブ書1:1~6(7~11)12~13
 マタイ22:23~33(通読箇所)
   (ローズンゲン日々聖句10/15;火)


 天の神、【主】、
「『わたしはある(I am)』という者」と名乗られる方は、
選民イスラエルを、
そして、イエスによってご自身の子、ご自身の民としてくださった者を、
国々の光、世の光とし、地の果てまで
イエスによって完了した救いを届ける者として用いてくださる、
と仰るのですね。



 イエスは、神の御姿である方なのに、
神のあり方を捨てられないとは考えず、
私たちの救いのために、ご自分を無にして、仕える者の姿をとり、
人間のようになられて、人としての性質を持って現れ、
自分を卑しくし、死にまで従い、
実に十字架の死にまで従われたのだそうです。



 それで、【父である神】は、
このイエスを高く上げ、
すべての名、あらゆる名にまさる名をお与えになり、
ご自分の右の座に復帰させなさったのですから。



 それで、私たちも、別のキリストではなく、
このイエスによる救いを地の果てにまで伝えるのですね。



 たとえ、試練に遭うことがあっても、
イエスを通して来てくださるもう一人の助け主、
【聖である霊】と呼ばれる方は、
試練を通しても信頼関係を強くしてくださり、
忍耐と知恵を与え、
何一つ掛けたところのない、
成長した、完全な者としてくださるのだそうですから。



 試練に耐え抜き、良しと認められ、
神を愛する人に約束された
いのちの冠を受けるように、と(ヤコブ1:2~5、12)。



 死によってこのからだを脱ぐことになっても、
初穂として復活されたイエスに続いて私たちにも、
天使のような新しい霊のからだを着せてくださる(マタイ22:23~30)のだそうですから。



 イエスによるこの救いを地の果てにまで。
今日も。



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すべての汚(けが)れから救い

2019-10-14 09:54:43 | 聖書から
世に打ち勝つ勝利、
それは私たちの信仰です。Ⅰヨハネ5:4(10/ 13の週の聖句)



 わたしはお前たちを、
すべての汚れから救う。エゼキエル書36:29



 従って、
今や、
キリスト・イエスに結ばれている者は
罪に定められることはありません。ロマ書8:1



 ヘブル書11:1~7(8~10)
 マタイ22:15~22(通読箇所)
   (ローズンゲン日々聖句10/14;月・祝)


 天の神、【主】、
「『わたしはある(I am)』という者」と名乗られる方は、
力のある方、言ったことをそのとおりに実行なさる方。



 この方が言われるのですね。
「お前たちを、すべての汚れから救う」と。



 そのためには、
御子である神が人として人の世に来られて、
私たちすべての人間の、すべての「的外れ」、「背き」の責任を
ご自身の身に負われて、十字架刑での処刑を受けられて、
私たちの〔生まれたときからの私〕という霊を
処刑が終わっている者、死んだものとしてくださるのですね。



 そして、金曜日の朝、九時ころに十字架にかけられたこの方は、
午後三時ころ、「完了した」と仰って息を引き取られ、
夕方、近くにあったアリマタヤのヨセフが自分のために掘っておいた墓に葬られ、
三日目、日曜日の早朝、
死人の中から新しい霊のからだに復活し、
40日にわたって何度も弟子たちに現れて、
自分が確かに生きていることを証明し、神の国のことを語ったのち、
オリーブ山で弟子たちが見守る中、上げられ、
天の、【父である神】の右の座に復帰なさったのだそうです。



 そして、その位にあって、受け入れる者に
もう一人の助け主、【聖である霊】と呼ばれる方を派遣してくださるのだそうです。



 私たちの心から石の心を取り除き、やわらかな、柔和な心にして、
この方によって、私たちの心に
【父である神】の御思いを置き、書きしるしてくださって、
受け入れる者が
【父である神】と思いを一つにして生きる心にしてくださるのだそうですから
(エレミヤ31:31~34、エゼキエル36:25~28)。



 それは、私たちをイエスと同じ心にしてくださるということでもあるようです。

イエスは、
「自分からは何事もせず、
ご自身を遣わした方、
【父である神】の御思いがなるように」(ヨハネ6:38、8:28)と
【父である神】と心を一つにして行動された方なのだそうですから。


 だから、【聖である霊】と呼ばれる方によってイエスに結ばれた心、
思いがイエスの思いの中にいるようにしていただいている者は、
「罪に定められる」、
「的外れの者」、「そむく者」との有罪の判決を受けることはない、のだそうです。



 この神との信頼関係の中を歩む者は、
この方のお言葉、約束のとおりを体験することになるのだそうですから。
アベルのように。エノクのように。
ノア、アブラハム、サラのように(ヘブル11:1~12)。



 そして、この神に信頼していく者は、
イエスと同じように神の知恵をもって歩むのだそうです。
パリサイ人たちがイエスをことばのわなにかけようとして、
「税金をカイザル(ローマ皇帝)に納めることは、
律法にかなっているでしょうか」と問うたとき、

「かなっている」と答えればローマへの協力者だとして、
「かなっていない」と答えればローマに反逆する者だとして非難できるその問いに、

イエスは、
「カイザル(ローマ皇帝)のものはカイザルに返しなさい。
そして神のものは神に返しなさい」と答えたので、
パリサイ人たちは驚嘆して、
何もできず、イエスを残して立ち去ったように(マタイ22:15~22)。



 【聖である霊】と呼ばれる方は、
イエスを通して、
信頼する私たちにも来てくださって。
今日も。



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風と波をしかって、ガリラヤ湖の嵐も静められる方が

2019-10-12 17:48:30 | 聖書から
主は高き所にいらせられて、
その勢いは多くの水の轟に勝り、
海の大波に勝って盛んです。詩93:4(口語訳)



 イエスは、
「あなたがたの信仰をどこにあるのか」と言われた。
弟子たちは恐れ驚いて、
「いったい、この方はどなたなのだろう。
命じれば風も波も従うではないか」
と互いに言った。ルカ8:25



 ロマ書4:18~25
 マタイ22:1~14(通読箇所)
   (ローズンゲン日々聖句10/12;土) 

 天の神、【主】、
「『わたしはある(I am)』という者」と名乗られる方は、
いと高き所におられる方。
その勢いは、大水のとどろき、
海の大波の力にもまさって力強くあられる方。

イエスが命じられると、風も波も従い、
ガリラヤ湖の嵐もおさまったのだそうです。



 アブラハムは、天の神、【主】から、
「わたしは確かにあなたを大いに祝福し、
あなたの子孫を、
空の星、海辺の砂のように数多く増し加えよう。
あなたの子孫によって、
地のすべての国々は祝福を受けるようになる」(創世記22:17~18)
との約束を受けていました。



 けれども、アブラハムと妻サラの間には子どもが生まれず、
アブラハムは、およそ100歳、サラは90歳、
自分のからだが死んだも同然であること、
サラの胎の死んでいることを認めても、
約束された方への信頼は弱まらなかったのだそうです。

神には、約束されたことを成就する力があることを
知っていたのだそうですから(ロマ4:19~21)。


 【父である神】は、
王子のために結婚の披露宴を設けた王が、
招待しておいた客が来ないので、
しもべたちを大通りに送って、
良い人でも悪い人でも出会った者をみな、宴会に連れて来たように、
私たちを招いていてくださるのだそうです(マタイ22:1~14)。
礼服は、イエスによって、
ご自身の側で用意して。



 大水のとどろき、海の大波のにもまさる御力によって。
今日も。



(近くの教会を知りたい、

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