朝明けに

聖書のことばから、うれしい一日一日の糧を!

喜びと平和、希望に満ちあふれさせて

2020-01-24 21:09:21 | 聖書から
あなたは知らないのか。
聞いた事はないのか。
主は永遠にいます神、
地の果てに及ぶ全てのものの造り主。
倦(う)むことなく疲れることなく、
その英知は極めがたい。イザヤ書40:28



 希望の源である神が、
信仰によって得られるあらゆる喜びと平和とで
あなたがたを満たし、
聖霊の力によって
希望に満ちあふれさせてくださるように。ロマ書15:13



 申命記33:1~4(7、12~16)
 Ⅰコリント2:10~16 (通読箇所)
  (ローズンゲン日々聖句1/25;土)


 私たちは、とかく、思うのですね。
「神は見てくださらない。私の訴えを聞いてくださらない」と。



 しかし、天の神、【主】、

「『わたしはある(I am)』という者」と名乗られる方(出エジプト3:14)は、
永遠の神、
この宇宙の果て果てまでのすべてのものを創造した方。
飽きていやになったり、疲れることも、弱ることもないお方。
そして、その英知は、測り知れなく、
私たち人間が極めることができないお方なのですね。



 そして、私たちの希望の源であってくださる方。
神なく、望みなく生きている私たちを、
イエス・キリストによって喜びと平和、平安で満たし、
【聖である霊】と呼ばれる方によって
希望に満ちあふれさせてくださるのだそうですから。


「【主】はシナイから来て、
セイルから彼らを照らし、
パランの山から光を放ち、
幾万もの聖なる者のところから
近づいてこられる。
その右手に彼らのみ使いたちを伴って。」(申命記33:2新改訳)


 【父である神】は、恵み、ご自身の側での一方的な出来事として
「目が見たことのないもの、
耳が聞いたことのないもの、
人の心に思い浮かんだことがないものを、
神は、神を愛する者たちに備えてくださって」
それを、【聖である霊】と呼ばれる方によって私たちに啓示してくださっているのだそうです。


 それで、私たちは、この方をお迎えするとき、この方によって、
【父である神】が恵みとして私たちに与えていてくださるものを知ることができ、
死の向こうにさえも続く希望を持つ者ともしていただけるのだそうです。
この方によってキリストと同じ心を持つようにもしていただき、(Ⅰコリント2:9、12、16)
キリストと同じ栄光を着せていただける者にと。
今日も。



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その日、神は、御心のとおりを実行されるのだそうですから

2020-01-23 21:40:26 | 聖書から
その日には、
人間の高ぶる目は低くされ、
高慢なものは卑しめられ、
主はただひとり、高く上げられる。イザヤ書2:11



 思い違いをしてはいけません。
神は、人から侮られることはありません。ガラテヤ書6:7



 エレミヤ書14:1~9
 Ⅰコリント2:1~9(通読箇所)
  (ローズンゲン日々聖句1/24;金)


 その日、終わりの日には、多くの民族が来て言う。
「さあ、【主】の山(エルサレム)に上ろう。
主はご自分の道を私たちに教えてくださる。
私たちはその道筋を進もう」、と。
それは、シオンからみおしえが、
エルサレムから【主】のことばが出るからだ。
主は国々の間をさばき、多くの民族に判決を下す。
彼らはその剣を鋤(すき)に、
その槍(やり)を鎌(かま)に打ち直す。
国は国に向かって剣を上げず、もう戦うことを学ばない、
ようになるのだそうです。(イザヤ2:2~4)



 そして、人間の高ぶりはかがめられ、
人々の思い上がりは低くされ、
偽りの神々、人間が考え出した神々は消え去る、のだそうですから。



 だから、神が、今すぐに裁きをなさらないからと言って、
神の忍耐と寛容を軽んじ、
神はいない、神は何もしないと思い違いをしてはいけないのですね。



 人は種を蒔けば、刈り取りもすることになる。
自分の肉(生まれたときからの私という霊)に蒔けば、
肉から滅びを刈り取り、
御霊に蒔く者は、
御霊から永遠のいのちを刈り取ることになるのだそうですから。(ガラテヤ6:7~8新改訳)



 たとえ、今、神は私たちを置き去りにし、遠く離れてしまって、
救ってくださらないかのように見えていたとしても。(エレミヤ14:8~9)



 【父である神】は、だれ一人滅びることがないように、
すべての人が、
十字架刑での処刑を受けて死なれたイエス・キリスト(Ⅰコリント2:2)を
受け入れて救いに至るようにと、
忍耐と寛容をもって終わりの時、その日を
先延ばしにしていてくださるのだそうですから。(Ⅱペテロ3:9)



十字架刑での処刑を受けて死なれ、
三日目、日曜日の早朝、
死人の中から新しい霊のからだに復活し、
天の、【父である神】の右の座に復帰されたイエス。


そのイエスを通して来てくださる
【聖である霊】と呼ばれる方によって心に来る、
【父である神】の御思いと心を一つにしながら。
 今日も。



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私の魂を死から、目を涙から、足を突き落とそうとする者から助け出し

2020-01-22 23:25:25 | 聖書から
あなたは私の魂を死から、
私の目を涙から、
私の足を突き落とそうとする者から、
助け出してくださった。詩116:8



 イエスは御自分の死によって、
死の恐怖のために一生涯、
奴隷の状態にあった者たちを
解放なさいました。ヘブル書2:15



 使徒15:22~31
 Ⅰコリント1:26~31(通読箇所)
  (ローズンゲン日々聖句1/23;木)


 天の神、【主】、
「『わたしはある(I am)』という者」と名乗られる方(出エジプト3:14)は、
私たちを守り、支えてくださる方。

あらゆる困難から、敵から、死からも。



 イエスが十字架刑での処刑を受けて死んでくださり、
初穂として新しい霊のからだに復活し、
天の、【父である神】の右の座に復帰され、



 そのイエスを通して【聖である霊】と呼ばれる方が来てくださり、
この方によって【父である神】の御思いが私たちの心に置かれ、
私たちが【父である神】と心を一つにして生きる、


「神の一人のようになり、善悪を知る」ようになっている(創世記3:5、22)

〔生まれたときからの私〕を死んだものとし、
【聖である霊】と呼ばれる方によって新しく生きる生き方が来ている今は、
私たちは死の向こうにも希望を与えられているのですね。



 イエスが号令と御使いのかしらの声と
神のラッパの響きとともに天から下って来られる時、
キリストにある死者がよみがえり、
それから、生き残っている私たちが、一瞬のうちに
この肉体を新しい霊のからだに変えられ、
空中に引き上げられ、
いつまでも、イエスがおられる所で
イエスとともにいることになるのだそうですから。
(Ⅰコリント15:50~52、1テサロニケ4:16~17)
イエスと同じ神の子の栄光を着せていただいて。



 それはパウロが言うように、
「私の願いは、世を去ってキリストとともにいることです。
実はそのほうが、はるかにまさっている」(ピリピ1:23)出来事なのだそうですから。

だから死は、絶望ではなく、希望の門なのですね。

今日も。



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信頼関係が、私たちの人生を確かにし、堅く立たせて

2020-01-21 21:11:07 | 聖書から
信じなければ、
あなたがたは確かにされない。イザヤ書7:9



 信仰の戦いを立派に戦い抜き、
永遠の命を手に入れなさい。
命を得るために、あなたは神から召され、
多くの証人の前で立派に信仰を表明したのです。Ⅰテモテ6:12



 ガラテヤ書5:1~6
 Ⅰコリント1:18~25(通読箇所)
  (ローズンゲン日々聖句1/21;水)


 天の神、【主】、
「『わたしはある(I am)』という者」と名乗られる方(出エジプト3:14)への信頼によって、
私たちは確かにされ、堅く立つことができるのだそうです。

【父である神】は、私たちがご自身に信頼して歩む人生を歩み通し、
永遠の命に入るようにと召していてくださるのだそうですから。


 【父である神】は、
【御子である神】を人間イエスとして人の世に派遣し、
この方がおよそ33歳のころ、十字架刑で処刑し、
「神の一人のようになり、善悪を知る」ようになって(創世記3:5、22)、
神の創造の目的から「的外れ」になっている私たちの
〔生まれたときからの私〕という霊を、
処刑が終わったもの、死んだものと手続きしてくださるのだそうです。



 そして、墓に葬られたイエスを、三日目、
日曜日の早朝、死人の中から新しい霊のからだに復活させ、
40日にわたって何度も弟子たちに現れさせ、神の国のことを語らせたのち、
オリーブ山で弟子たちが見守る中、上げられ、
天の、ご自身の右の座に復帰させなさったのだそうです。



 そして、このイエスを通して、もう一人の方、
【聖である霊】と呼ばれる方を私たちに派遣し、
この方の働きで私たちの心にご自身の御思いを置き、
私たちの心にご自身の御思いがあるようにし、
受け入れる者がご自身と一つ心になって生きるようにしてくださるのだそうです。
(エレミヤ31:31~34、エゼキエル36:25~28、ヨハネ17::21~23)



 【聖である霊】と呼ばれる方によって新しく生まれた者(ヨハネ3:3~8)、
キリストの自由の中を生きる者へと。



 だから、神ご自身の側で、もう、そうしていてくださるのだから
まだ、それが成っていないかのように、
自分の力で神の御心に適うよう自分を制御し、
神の義に達しなければならないとする律法の軛(くびき)に、
二度とつながれてはならないとパウロは言うのですね。(ガラテヤ5:1~6)



 自分の理性による善悪の判断は、
「神の一人のようになり、善悪を知る者」になって、
「的外れ」になっている〔生まれたときからの私〕という霊、
イエスの十字架刑での処刑に合わせていただいた、
死んだものから出て来た判断であることを認めて
イエスの御前に投げ捨てながら、
神の約束の言葉に信頼して。
今日も。



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心の欲する所に従えども、矩(のり)を踰(こ)えない生き方を

2020-01-20 21:17:50 | 聖書から
わたしは
あなたたちが奴隷にされていたエジプトの国から
あなたたちを導き出した
あなたたちの神、主である。
わたしはあなたたちの軛(くびき)を打ち砕き、
あなたたちが立って歩けるようにした。レビ記26:13



 キリストは
私たちを自由の身にしてくださったのです。
だから、奴隷の軛(くびき)に
二度とつながれてはなりません。ガラテヤ書5:1



 ロマ書9:31~10:8
 Ⅰコリント1:10~17(通読箇所)
   (ローズンゲン日々聖句1/21;火)


 天の神、【主】、
「『わたしはある(I am)』という者」と名乗られる方(出エジプト3:14)は、

今から3500年ほど前のこと、
エジプトの国で奴隷とされていたイスラエルの民をエジプトから導き出し、
自立して歩めるようになさった方なのですね。



 そして、自分の力で自分を律し、
神の基準に達し、
神から「義なる者」と認めてもらわねばならない、とする軛を
不要なものとし、
私たちを【聖である霊】と呼ばれる方による
自由の律法で生きる者としてくださっているのだそうです。



 だから、その、以前の生き方に帰らないように、と勧められているようですね。
自分の力で、自分の行いによって
神の義に到達しようとする努力は、
神がイエスによって差し出してくださっている恵み、
イエスへの信頼によってすべての人に与えられる救いに
つまずいてしまうほかないのだそうですから。



 【父である神】は、
十字架刑での処刑を受けて、死んで
墓に葬られたイエスを死者の中からよみがえらせ、
天の、ご自身の右の座に復帰させなさせ、
このイエスによって私たちを義と認めてくださるのだそうですから。(ロマ9:31~10:10)



 そして、この出来事を、
すべての人が信頼して受け取ってほしいと願っておられるのだそうです。

イエスが受けられた十字架の死が空しくならないように。(Ⅰコリント1:17) 


 イエスを通して来てくださる【聖である霊】と呼ばれる方によって私たちにも、
「孔子が言う、
「七十にして心の欲する所に従えども、矩(のり)を踰(こ)えず」との
自由な生き方を与えて。

今日も。



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