The Diary of Ka2104-2

短編小説「カッパスーツを着たもの」ー石川勝敏・著

彼はカッパスーツを着ていた。心の懐に何か抱えていた。しかしそれは人々の目にあずからなかった。

この社は内に一人、悪行を働いている者が社員として居た。いつもニコニコしていた。そして別の一人はその内密を普段のおごりと引き換えにそれを黙り通していた。他は誰も何一つ知らなかった。

そこへ、ある日カッパスーツを着たものが中途入社で社内へ入って来た。その社は部署分けがされていなかったので、横のつながりが滞りなく円滑に運ばれていた。なのでカッパスーツを着たもののことは社員一同知るところとなった。

この社は第一次産業に従事しており、富める者であったがあまり世間には知られていなかった。悪行を働いている者はA国に金を融通していた。その過程で金にまみれた人脈を一人、二人と拡散させ続け、今ではもうA国にとって裏では必要不可欠の大人物と成り上がっていた。

日本では岸首相の時代がその当初に当たる。

悪行を働いている者は、A国をカビのように隅から隅まではびこるにその欲は留まらなかった。「何かが欠けている。僕の本当に欲しいもの」と悪行を働いている者は思うのであった。

ある昼時、カッパスーツを着たものと悪行を働いている者が、ランチテーブルで向かい合わせに相席となった。

悪行を働いている者はカッパスーツを着たものに初見だったが(前者はもちろん後者の存在だけは知っていた)、こう会話の口火を切った。「あなたは見返りについてどう思いますか?」「見返りですか?たとえば何へのでしょう」とカッパスーツを着たものは答えた。「いや、一般論ですよ。ある者が他者に借りがある。ある者はもやもやする。一体いつになったら借りは精算してくれるのだろうって」カッパスーツを着たものはこう言った。「誰だって内心では何か抱えています。心の懐に何か収めているもんですよ」「それじゃあ持たん」ピシャリと悪行を働いている者は声を荒げ、こう続けた。「あなたも何か隠し事があるのですか?」「隠し事なら何もありません。ただ、私の心にはその力が発揮されるとき、それはただ事では済まない魔法のようなものが御座います」「魔法ですか・・・」感心めいた悪行を働いている者はニコニコしながらそう応じた。

それはカッパスーツを着たものが入社してから60年後のことだった。モノクロがカラー化されてその見た目が残酷なまでに詳細になる悪行を働いている者に比して、カッパスーツを着たものはまったく代わり映えがせず最初からカラーだったようである。悪行を働いている者の働いている悪行がにわかに世界的に漏れ出した。「○社の悪事を働いている者、A国を侵略」だのとかいう題目が週刊誌等々に挙がって行った。「あいつだ。あのブタ野郎め!」と一人毒づく悪事を働いている者であった。

「僕はA国を砲撃したいくらいですよ。まったく。なんでこうなっちまったんだ」一杯ぐっとやってそう言う悪行を働いている者にカッパスーツを着たものが言った。「まだまだじゃないですか」悪行を働いている者とカッパスーツを着たものはこの数十年でいつの間にやら仲良くなっていた。それもカッパスーツを着たものの大らかさが成さしめた事柄だった。深い付き合いでは無かった。ただ、カッパスーツを着たものはA国の人々が行政に見放され困窮の度を尽きているということは知っていた。

街は冬に入っていた。電子広告板は新しいiPhoneの広告を流していた。「大変だ、大変だ、カッパスーツを着たものさん!僕はかのD広告代理店から吊るし上げされそうになっている。立場を世間の風で逆手に取られそうになっています!」「僕はあなたの60年前を知っている。よおく覚えている。面倒も見させてもらっている義理で言うが、あ、あの魔法とは何だね?」一人で畳みかけるようにまくし立てた悪行を働いている者にカッパスーツを着たものはこう言った。「ないことをあったかのように言うあなたの方こそマジシャンだ」「そ、そんな冷たいことを言わないでおくれ、カッパスーツを着たものさん。後生だから僕を助けてくれ。D広告代理店とのパイプを切りたいんだ、マスメディアとも政界とも強いつながりがある、そこと、そこと絶交だ、金輪際絶交だ!」悪行を働いている者は藁をもつかまん必死なばかりで、もはやかねてよりのニコニコしていた顔は寸部も見当たらず、まるでぬえの如くの形相だった。代わりにカッパスーツを着たものは、これ光栄なりと微笑を湛えていた。彼はこう言った。「交換しましょう。あなたのこれまでの経歴経緯という事実のみを私に授けて下さい。その代わり私は内密だった奇跡を起こします。ご覧のとおり、私はこういうカッパスーツを着たものです。あなたのお役に立ちましょう。ただしこれから10日以降にそれは功を奏します」「バンザーイ!」

10日経った頃、悪行を働いている者の内心は晴ればれとして来た。A国はというと、深く広く内在していたカビが融解し始め、人々は銃を放棄し、同胞同士殺し合いするのを止め、新しい夜明けが一刻一刻開けていった。日だまり公園では子供たちの沢山の歓声が上がり、夜にはビストロでグラスを片手にした腕が交差する大人たちの健康な祝杯がそこここで見られ、朝にはゆとりを持てた夫人たちが小鳥と言葉を交わすようになった。

しかしながら、カビはあまりにもA国を侵食していたため、カビの消滅もろともA国は瓦解し、もとよりあったA国の政治も経済もその形体を0(ゼロ)のものと相成らすのに抗することは誰にも出来なかった。それは誰もが政治家とてかつて想定し得ないものであり、これからA国が立脚するのは0reset(ゼロリセット)の地点であるということだけはみんなが今共有出来た11日目の認識であった。

その11日後のこと、悪行を働いている者はかつてのいつも通りニコニコしていた。いや、そのはずだった。口々に他の社員から「なんで、この頃笑わないの?」と悪行を働いている者は言われるので、彼は社のトイレに入ってみた。鏡に映った自分には口がなかった。髪の毛は抜け、ぬめぬめしていた。目は点1つが対に付いていた。


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