The Diary of Ka2104-2

小説「田崎と藤谷」第3章 ー 石川勝敏・著

 

第3章

さつきの月の青空は田崎を呆然とさせるばかりだ。彼が前はB型作業所だったが2年してしかも56という歳でまたぞろ今度はデイケアという場に身を寄せようと思い立ったのは他でもない、彼の精神状態が意識混濁に覆われるようになったからだった。いわば自覚のある意識障害だ。この矛盾するような精神状態が生じだしたのも、やはりずっとひとりだからかなと彼は考えたのだった。「またレクリエーションにピクニックときてそれがしかもデイと目と鼻の先の布多公園かよ」誰かが言った。「あら、でも今度は仕出し弁当よ」と違う誰かが返した。代表が人一倍明るい声で彼女に賛同した。「前は男性スタッフがつくったバラエティだったからな」「男が飯つくるもんじゃないですよ」このデイケアのスタッフは男性が多かったので駆り出された格好だった。女性が反駁した。「いやね、あなたったら、お店のシェフはたいてい男性だわ」別の若い男性メンバーが「かつおがちゃんと叩けていたらなね」と思い出し笑いを誘い皆でどっとなった。このデイケアはサービス受給者証に載せる必要のない市の委託事業所でそもそも予算に余裕がない。「ブルーシートに仕出しじゃあ万々歳やわ」と代表。そういえば褪せた青が今日の空の色に似ていると田崎は思った。彼は若い人たちをよそに体を仰向けに横たえながら、そろそろメールで抽選番号が来るなと思った。そうすると結果がわかるのは10日ほど先だな。彼は既にもう去年の6月からふたつきごとに連続で都営住宅に応募してから落選をのまされかれこれ今回で6回目に及ぶ。これで当選すれば万事があとが良ければ全て良しとなり、人が避難のためでなくその住み家として使うのには考えられないワンルームとやらから脱出できる。ワンルームとは田崎がはたちの頃に雨後の竹の子のように日本中をあっという間に席巻した建築様式であり文字通りの間取りである。ひと間が広いならともかく、それは6畳ひと間のアパートと変わりなく狭いユニットバスがついているだけで、日本の住宅事情や日本人の精神文化をいまだに引き継いでいた。愛人との閨(ねや)には向いているかもしれない、と彼は思う。今回の都営住宅応募に外れたひには、新しい大家が動き出すという手筈なのであった。田崎の視界に入る光がなにかしら影で覆われた。最初は雲でも現れたのかしらんそういえば夕方から雨の予報だと思ったのだが、それは藤谷の立ち姿だった。田崎が顔を振り向けるとそこには黒い物体とまばゆい日差しがあった。藤谷は寝転がっている田崎のそばで腰を下ろし体育座りをした。「田崎さんよ、僕は来月58になる。もう還暦だよ。だけれどその実感がなかなかわかない。ただなんとなくこわいよ」「今どきの60なんじゃない」と田崎は言った。「私は今56で次は来年3月早々になる」やはり田崎の予測どおり藤谷は同年代だった、ただほんの少しだけ年上だとは予測しようもなかったし、この歳になると一つや二つは意味を持ちようがなかった。「でもなんとやらこわく感じるんだね。わかりますね」と田崎は続けた。「藤谷さんはおひとり住まい?」「ああ、そうさ」「生活はどうやって暮らしているの?」「母が亡くなったあと、おやじがあとを追うように死んでね、今は遺産で食ってるよ、調布のマンションに住んでる」「間取りは?」「3LDK」調布で3LDKということはかなりゆとりがあるんだと田崎は思った。と同時になんで自分はずっと貧乏暮らしを強いられているんだろうと恨めしくも思った。田崎には正社員時代があったが、新入社員ということで電話番と営業の付き添いぐらいで他になんの教育も施されなかった。家賃補助も出ず生活はぎりぎりでなんとかしのいでいた。後年、ブラック企業という言葉が出回りそれでのちにあそこはブラック企業だったんだと田崎は認知している。そういう理由が他にも確かにあった。モラルハラスメントしかり。その当時はハラスメントという言葉もなかった。結局、現状が変わらず3年その企業で我慢してから彼はそこを一身上の都合ということで辞めた。「あなただけが同年代ということであなたには共感している、まだなんにも話してないけどね」と藤谷が言った。「私もそうだよ」田崎には藤谷の言葉をうれしく思うと同時に内心の吐露を素直にしてくれるのが新鮮に思えた。「じゃあレクここいらで終了、今日はこれで解散や。デイは開けないからな」と代表の言葉が青天の霹靂のように轟いた。「じゃ、またデイで話そう」と藤谷は言うとさっと駆け去りすっと自転車にまたがったと思うとまたたく間に消え去った。どうしよう、藤谷には会いたいが次田崎がデイに来る予定はまだ立っていなかった。


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