Sabbath、安息日、何もしてはならない日、もちろんいかなる労働であれ微々たる労働であれ労働という労働は論の外。そもそも何もすることなかれという訳だから、あとで苦を感じるかもしれない設営、BBQなどを含むキャンピングも、身体を使う運動も、頭を自然に使っている軽い読み物さえ、何かする範疇に入ろう。
料理も同様にもっての他なので、こんにちの日本なら、安息日が同日でない食事処へ行ったりテイクアウトできるならそれぐらいの作業は認められようからそうしたり空いている宅配便で食べ物をオーダーしたりする解釈が成り立つ。
経済的に最底辺にいる私のような者は最低限に甘んじるしかなく、それでは趣旨が修業としての全てを断て、になっておうじょうするが、ともかくかくして安息日には飲食を提供してもらい、あとは排泄しているかじっとしているか、そうすることぐらいだろう。これはこれで何か罪の償いのようではある。
Sabbathはいにしえの宗教上の言葉であったものが語源とみられる。こんにち英語におけるsabbathがどこまでどうやってそこから変化したのか或いはアクセント記号を抜いたならアルファベット上同じなのかそれは私はよく知らぬ。ただ、辞書を紐解くと、sabbathはsab・bathと2つの語に分割される。bathといえば現代語として見立て訳するなら、まさしくお風呂のことになる。
私はかれこれ1年は休息も取らず土日の概念もうっちゃり働き詰めである。たとえば休息を取ろうと横になってでもすれば、興奮した幻声が私を追いかけてくる。されど、私が私に何かすることをあてがってやっているときは、自分の前に従事することがある限り、幻声は軽減される。そして私は失われた30年を取り戻すべく、したい事ならいくらでも山ほどある。こうして私はオーヴァーワークとなって、働いては統合失調症等の餌食となり、統合失調症等の餌食となっては又働くを繰り返すことになる。生活リズムが狂うが、唯一食後に仮眠をとることを頻繁にするだけで、私の生活サイクルはかろうじて回っているという有り様である。友人がいればいいのになと思う。
私は先立って、するべき名目が何本も立っていたので疲れが膿のように溜まってしまい、これではいけないと、丸一日を休息日にすることに決めた。あてがう事柄が必要なのでスパに行くことに決めた。そういえば久しく行っていない。sab・bathじゃないが、これくらいしか思い付かなかったのである。そしてこれは文字通り、休息日というより安息日と呼ぶにふさわしい。何もしてはならない、汝、何もすることなかれと半ば強制や義務感が私の生活に食い入るのが必然というものだからだ。それほど私は歯車の中を走るネズミであるから。創造的にではあるが。
インスタントの昼食を摂りシャワーを浴びて私は出た。行きがけにスーパーに寄り、お腹がすくだろうことを予期して弁当を、そして水分も併せて買い、それらをリュックに仕込んだならあとは電車一本で行ける。その代わり、阪急から大阪メトロへの一本の接続だから電車賃は結構とられるが。
着いた私は大いに湯を楽しむことができた。サウナと水風呂があることも欠かせない。露天とその横に畳敷きの空間があるのも見逃せない。こうして私は幾分であれデトックス出来てリセットされていく私を感じながら、ある湯場から次の湯場へとはしごしていった。
湯から上がり、館内着を着用すると、個別ナンバーの記された腕にくぐらせる輪っか状の代物を使って、このスパワールドを出る直前の精算での後払いに拠る、自販機で無銭でビールを買ってはおもむろに大きな休憩室へと向かった。私はそこにストックされてある青色の毛布を片手で取り、寝る場所とリクライニングチェアのある所の内、まずリクライニングに座り一杯やった。そのあと、寝床でくつろぎ、又リクライニングへ行き、今度は傾斜をつけて目をつむり毛布をかぶり身体から汗が引くまでデトックスの仕上げをした。不思議なことにそこで食する予定でいた先程の弁当をたいらげる食欲はついぞなく、私はそれを帰ってからの夕飯にすることに決めた。
帰りの「動物園前」駅で、私はふと撮影することを思い付いた。撮影も仕事になるので禁じ手だが、気が緩んで記念にと思ったのだ。
肌が明らかに若返っている。ただその分、目の下のしわが目立っている。
電車に乗り、束の間過ぎてそれも地上へ出た。するとたちまちのように、向かいの座席の背後の窓ガラス越しに、虹を私は見た。きれいだった。私にはなにかしら運気のような機縁のような奇跡に感じられた。
電車を降り、私はその虹の出ていた方を確認した。
それはもう薄らいでいたものの、なんと、より地平線からの角度が低い位置にもう一筋の明瞭あらかたな虹が出ており、私を驚かせ喜ばせた。二本の虹の共演だ。
私は傍のメイシアターの階段を昇って視界にその絵をあらたにした。上に1本目があるのをお分かり頂けるだろうか。
やがて二本目の虹も薄らいでいくのだが、一本目も同じ程度のうすらやかさを保っていた。裸眼ではそれが確認できた。
この後私が帰宅すると、私には統合失調症様態が待ち伏せしていることをこの時点で私には分からなかった。
私は二本の虹がすっかり消え入るのを待つのでなしに、そこで踵を返すことに決めた。全く失せてしまわない内に、それらを背に帰路に着いた方が首尾良く私が守られるような感じがしたからだ。
マンションの4階に到着すると、景色はまばゆいばかりのパノラマがそこにあって、私はたとえ精神病が続いてもまだ生き続けていいと思った。