やまがた長井食彩館・須藤米店

名馬【ランニングフリー】



1985年9月に中山でデビュー、年を越して4戦目の未勝利戦で初勝利を挙げた。4戦を経て5月に2勝目を挙げるが、その後は秋まで900万下条件で走り続けた。しかし10月の津久井特別で3勝目を挙げると、次走、格上挑戦となったG3福島記念で50キロという軽ハンデを活かして勝利し、オープン馬となった。馬主の希望で次走グランプリ有馬記念に登録するが除外となった。

しかしオープン馬となった後は6戦して2度の5着が最高と苦戦を強いられ、1987年2月には獲得賞金規定により準オープン馬に格下げとなった。しかし直後に内外タイムス杯を2着とした後、芝のオープン戦マーチステークス(当時は中山芝1800のレース、さらにこの年は中山競馬場の改修に伴って、東京競馬場での代替開催)を4馬身差で勝利しオープンに復帰した。次走の春の天皇賞でも、13番人気ながらタマモクロスの2着と健闘し、波乱を演出した。

その後はオープンに定着し、G1戦線で常に掲示板をキープする好走を続けた。7歳時にはアメリカジョッキークラブカップ、日経賞とG2を2連勝するなど活躍した。この日経賞が最後の勝利となったものの、その後も中長距離路線を走り続け、9歳になった年頭のアメリカジョッキークラブカップ3着を最後に引退した。 華々しい活躍こそなかったがコツコツと走り続け、堅実に賞金を稼いでいた事から競走生活の晩年には「馬主孝行」「無事是名馬」の代名詞といわれるようになり、ファンからも愛される存在となった。

晩年の競走成績においては、2度の重賞勝ち、低人気ながら2年連続の有馬記念4着など、中山競馬場に活躍が集中していることから、競走生活の晩年には中山巧者としても注目されたが、福島記念、マーチステークス、春の天皇賞など他場での活躍もあり、陣営はランニングフリーが中山得意という認識はなかったことが、馬主の著書に記されている。

下の動画2本は、【ランニングフリー】の名前がより多く実況されたGⅠ競争です。

でも、勝った馬は何故か、どちらも【イナリワン】です。

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