シリーズ👏
秋蒸し、またぞろアラン・ドロンとロミー・シュナイダーの特集上映が東京で始まって、そこへ先行していたジャンヌ・モローも合わせると、誰得な、懐かし嬉しフランス映画月間
絶賛強化中!👏
本日は仕事休みにつき、ご予定は朝からアラン・ドロン「太陽がいっぱい」
その後は駆け足でジャンヌ・モロー「思春期」をリレー鑑賞の巻
どっちも30年前位に鑑賞済みのはず、なのに全くもってからきし憶えていませ〜ん😅
歳月怖し
「太陽がいっぱい」はアラン・ドロンの代名詞的な映画という事も去ることながら、自分はそんな前提を外してニーノ・ロータの超有名なあの曲を、ただただ聞きに行きましょうという、そっち?系な堪能会を実践
最初のタイトルバックからのメインテーマのアレンジが、意外にニーノ・ロータっぽくなくて、まずは開口一番でやられたと思った
ニーノ・ロータがそんな、らしからぬ意表を突いた技を使って来るんかいと
軽飛行機が海面に轟音をたて着水するシーンに合わせてのアレンジだったんでしょう
もし気になった方に敢えてお伝えするならば、ホントに面食らうほどの意外なアレンジです
お久しゅうの往年の映画との再会ですが
やっぱ忘れっぽいのは素敵さ(中島みゆきじゃないけど)
だってそんな驚きを今になって、かましてくれるんだから
ニーノ・ロータはかつて、あの偉大な映画評論家の淀川長治センセが激推ししていた作曲家で、淀川さんのラジオ番組でニーノ・ロータ賛辞を散々聞いていた関係上の自分は、ニーノ・ロータと言ったらフェリーニ映画というイメージがまず一番、まさしくTHEイタリア色な作曲家というしかない
しかし
実際はイタリア産以外の「ゴッドファーザー」や「ナイル殺人事件」なんかもニーノ・ロータが関わっていたという事実は、ついついほくそ笑んでしまうほどの嬉しい成果でないかいと、ずっと一人思っている
「太陽がいっぱい」もフランスの映画なんだろうけど、曲調の中にイタリアっぽさが感じられ、やっぱニーノ・ロータがちゃんといる、とつくづく再認識
アラン・ドロンが太陽に眩しげに目を傾げる終盤、何も知らずにテラスで読書の姿
ニーノ・ロータのこれでもかの音楽
言いしれない切なさ、物憂げな余韻を滲ませつつ
転じて新宿のジャンヌ・モローへ
さて、ジャンヌ・モローはどうなった
ジャンヌ・モローはどうして映画を撮ろうと思ったのだろう
演者側が映画製作にまわるのはあるあるだが、そこでマシなものが出来ましたという事例をまず聞いたためしがほぼない
この度「リュミエール」と「思春期」の二つを観て、ジャンヌ・モロー監督けっこう予想に反してやるじゃんと思った
画面のカメラワーク一つにしても、普通に無難に遜色ない仕上がりで、素人とは思えない安心感があった
周りにいた取り巻きが優秀で、彼女に様々なアドバイスをくれていたのか
もしくはジャンヌ・モローに映画製作のセンスが元から備わっていたのか
そんな「思春期」は、取り立てて何かやらかしてしまうような話でもなく、日常の田舎でのバカンスのひと夏のストーリーでありました
「思春期」が東京で公開されたン十年前、実は「フランスの思い出」という似たような雰囲気の映画が続けざまに公開されていて、どちらも子供が主人公で、そういえばと急に思い出した
「フランスの思い出」はまったく地味で、「思春期」に比べたら陰のような存在
これまた田舎でひと夏を過ごすという、少年が出てくる話
しかし、この双子のような二つの映画がたまたま偶然おなじ時期に製作され日本で公開された妙
「フランスの思い出」も良ければどう?
っていう
長々と全然ちがう映画をオススメの回でした