昨日の山行となりますが…今回の低山紀行は、石巻に位置する『牧山(247m)』を訪れてみました⛰
第1駐車場へ駐車し、時計周りでまいります。案内板には記載がありませんが、目指すは折り返し地点にある神社です。そうです…奥州三観音、残すひとつの牧山観音様が今回の目標です。
往路は急こう配ながら心地好い趣きが続くグラベルロードです。昔、牧山は魔鬼山だったんですね👹
途中、春には家族連れで賑わうであろう規模の大きいアスレチック広場があったり…舗装路を横切ったりしながら、木々の隙間の北側に上品山が望めるようになると、牧山山頂へ到着しました💦
歴史を感じる『零羊崎神社(ひつじさきじんじゃ)』⛩ 参拝を済ませ、山頂付近をウロウロ…。
下調べで、奥州三観音の一つが祀られるのは『梅渓寺』である事を把握していましたが、牧山山頂には梅渓寺という文字が見当たりませんでした。帰宅してからネットで改めて調べてみると、梅渓寺はすぐ近くにあるものの、違う道路から登らないと行けないようでした。更に調べを進めると『本堂は拝殿兼本殿とされ、安置されていた本尊は、当社別当だった長禅寺の支院梅渓寺に移されたが、後の火災で焼失している』そして別のHPでは『梅渓寺は牧山の中腹の建立している曹洞宗の寺院で、当初は「梅谷寺」と称する天台宗の寺院でしたが、貞治2年(1363)、無盡天全が曹洞宗に改宗開山し、寺号を「梅渓寺」に改めています。無盡天全は大梅拈華山正法寺(岩手県奥州市水沢区黒石町)2世月泉印(陸奥本吉郡又は能登出身、能登総持寺の峨山韶碩の法嗣、秋田補陀寺開山。)の法嗣で当地域の曹洞宗布教に尽力しています。一方、牧山には延長5年(927)に編纂された延喜式神名帳に格式の高い名神大社として記載されていた零羊崎神社が鎮座し、延暦17年(798)に延鎮により創建された魔鬼山寺が境内を構えていました。当時、魔鬼山(牧山)には蝦夷の頭領の1人大嶽丸が巣食い周辺に悪事を働いていた事から征夷大将軍に任命された坂上田村麻呂が当地まで侵攻し、苦戦の末、大嶽丸の妻(又は妾)である魔鬼女を討ち取り、その菩提を魔鬼山寺に葬り、祟りを恐れて観世音菩薩(牧山観音)を勧請し安置しました。
その後、零羊崎神社は小祠となり、魔鬼山寺は牧山寺、長禅寺と寺号を改称し、田村麻呂が勧請した観世音菩薩は富山観音(宮城県松島町)、箟峯観音(宮城県涌谷町)共に奥州三観音に数えられ、奥州33観音霊場の第8番札所にも選定され信仰を広げました。しかし、明治初頭に発令された神仏分離令により長禅寺は廃寺となり、堂宇は零羊崎神社の社殿、僧侶は零羊崎神社の神官に還俗し、長禅寺の仏像や仏具は同じ牧山に境内を構えていた梅渓寺に遷され奥州33観音霊場の第8番札所も梅渓寺が引き継ぎました』
とありました。まぁ、まんざら大間違いと言うわけでもないので、今回は良しとしておきます👌
今回は時計周りで歩いたので、鳥居は参拝後に降りてくぐる事になりました💧一礼し、下山開始です。
復路も心地好いグラベルロードでしたが…結構下った先の途中で地図を確認すると「あれ?下ろうと思っていた道と違う!!」…慌てて1km強ほど戻り予定のルートに復帰、急ぎ足で下ると牧山トンネルが視界に入って来ました。地図上では理解していましたが、牧山道路の真上を小道が走っているとは…。
7km/1時間2分の小旅行…無事に下山する事ができました⛰帰宅してやはり改めて地図を確認すると、予定外のルートをそのまま下山して少し遠回りして駐車場へ戻っても、距離的にはさほど変わらなかったみたいです(笑)。いろいろな面で下調べが甘かった今回ですが「改めて時間を掛けて訪れてみたいなぁ」…地味なツアーながら、そう思えた『箟岳観音』『富山観音』『牧山観音』奥州三観音ツアーでした🍀