ホテルでも酒盛り三昧です(^_^;)
私は早々就寝してしまい、翌日は朝4時に目が覚めてしまい、朝風呂を1人でのんびりと入りましたが、誰も居ない真っ暗闇の露天風呂は中々恐く、30分で上がっちゃいました(^_^;)
そして、朝早くチェックアウトして、前から申込んでいた、坂本龍馬ツアーに参加することにしました。
まずは、集合場所でもある宝福寺に向かいました。
ここで宝福寺の住職さんからのお話を聞きます。
この話がめちゃくちゃ面白いんです
話術が達者で引き込まれましたね
しかし、下田と坂本龍馬ってどんな繋がりがあるのかな?
実は土佐藩を脱藩していた坂本龍馬を、勝海舟が土佐藩藩主・山内容堂に、許してもらった場所が、まさしくここ宝福寺なんです。
容堂公は大の船嫌いで有名でしたが、大鵬丸という船を使って移動することになります。
その途中で嵐にあい、下田に避難します。
しかし部下の板垣退助が、「こんな嵐でビビッてどうする!?すぐに出発じゃ~!」とすぐに嵐の中に飛び込みます
再び転覆しそうになり、下田に引き返します。
そんな中、勝海舟も龍馬を連れて嵐の中、下田に避難します。
幕府軍艦奉行並・勝海舟入港の噂は、すぐに容堂公の耳に入ります。
容堂公は勝海舟を酒の席に誘います。
海舟は僅かな部下(土佐藩の若者3人)を連れて宝福寺に参上、謁見します。
奥座敷に海舟1人が通されます。
小さな部屋には、容堂公と土佐藩の幹部の方々が勢ぞろいしています。
幹部の方々は、海舟は容堂公を前にひれ伏して挨拶をすると思っていましたが、入室するや数十人いた幹部たちを一喝します。
「こんな嵐の中に、容堂公を連れて航海するとは何事か!!!!!」
それを聞いた幹部たちは、すぐに海舟の大きさを感じとり、ひれ伏して詫びたそうです。
容堂公は大喜びしたそうです。
実は、船嫌いの容堂公は、船や乗組員を持っていなかったので、全て他所の藩から借りてきていて、部下の板垣退助も常日頃可愛がっていたので、今回の件で怒りをぶつけることができずにイライラしていたそうです。
そこへ海舟の一喝が、気持ち良かったのでしょうね。
海舟も実は全て計算されていて、事前のリサーチで容堂公の気持ちを把握していたそうです。
海舟は下戸で、お酒は飲めませんが、頃合いを見計らい容堂公へ龍馬脱藩の免罪を請いました。
容堂公は、海舟が酒を飲めないのを承知で「ならば、この酒を飲み干してみよ」と無茶ぶりをします。
海舟は、ためらうことなく盃を受け取り一気に飲み干します。
容堂公は大笑い!
この部屋で、そんなことがあったとは・・・
容堂公から、勝海舟へわたされた盃です。
どの盃で、お酒を一気に飲み干したのかな?
酒の上での約束は怪しいと、海舟は容堂公に書面にて、坂本龍馬脱藩の罪を免除することを記してほしいと頼みます。
容堂公は大笑いして、自分の扇子に筆である事をしたためます。
「歳酔三百六十回鯨海酔候」
旧暦は360日なので、「俺はいつも酔っている」という意味です。
これを見た海舟は容堂公の意図を汲み取ります。
この時、龍馬は遊郭で吉報を待っていたそうです。
昔の方々は、みんなイキで度胸がありますね
まだ続きますよ
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