かつて、日本とロシアの戦いがありました。
日露戦争で勝利した日本は、ポーツマス条約により、樺太の南側が我が国のものとなった。
稚内から樺太へ荷や人々を運ぶ連絡船が就航。
稚内は、それらを中継する、重要な駅だったのですね~。
吹雪の日などは大変だったでしょう。
風に飛ばされた雪がホームに積もっていたかもしれない。
転ばないように凍ったホームを慎重に歩く人たち。
貨物列車で運んできた荷物を船に積む仕事も大変だったはず。
風によって大波も襲いかかります。
そのためにつくられたのが北防波堤ドーム。
昔の人の、本当の苦労なんて、今の自分なんかには分からないけれど。
稚内の100年。
凄まじい歴史です。
う~ん ・・・
焼きそばパン (笑)
この子は、頬次郎といいます。
コガモ君は、ホント、かわいいね~
「いや~ そう言われると・・・」