瀬戸の都通り商工振興会

地域の魅力 お店の魅力を発信中!!

【初めまして!】ぼくらの街の小さな商店会、瀬戸の都通り商工振興会です

2025-02-21 14:06:32 | 日記

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みなさま初めまして。

香川県高松市にあります瀬戸の都通り商工振興会と申します。

当商店会は、高松市旧市内の西部兵庫町アーケードを西へ抜ける 錦町、扇町、西宝町あたりの商店で構成しております。

高松の玄関JR高松駅から西へ徒歩15~20分ほどのところにあり、住宅街が混在する下町の小さな商店街となっております。

    商店街の南側に香川大学、その西側に高松市中央図書館(サンクリスタル高松)もございます。2025年には北側にある高松JR駅前に徳島文理大学高松キャンパスが出来ます。

今後、高松市の玄関にも近い文教地区としても発展して行く街と考えております。またよ~く調べてみますと素晴らしい歴史もございました。

地元に 高松市、香川県誕生に関係した幕末から明治にかけての歴史遺産が3つもあり、「高松の文明開化発祥の地」とも言える街だったのです。

また自治会活動も盛んで、住んでよし、くらしやすい文教地区となっております。

今では商店数は減っております(現在13店舗)が、山椒は小粒でピリリと辛いと言うような個性の光る、そして心温まる商店を目指して商店会活動をしております。

 

この度、手作り感満載のホームページ(ブログ形式)を作り、一歩ずつですが商店情報、地元の話題をご案内してまいりますので、お近くへお越しの節は是非お立ち寄り頂きましたら幸いでございます。

 

ぼくらの街の小さな商店会  瀬戸の都通り商工振興会

 会長 渡辺哲夫

watanabe@bisyu.com

 

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【ぼくらの街探検の続き】初代高松駅舎の絵図と写真でわかるだいたいの位置関係

2025-02-16 22:34:43 | 歴史

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それでは前回のお話での宿題を

地図とか参考文献のご紹介は、思ったよりご紹介ご案内できない資料もありますが、文面だけでは、ややこしいので・・・

「だいたいこっちゃからみよったんとちゃうん」さぬき弁?!

(訳大体こちら側からみていたのではないでしょうか?)と言う

「なんがでっきょんな的な」(なにをしておられるのですか?)「おもっしょいでないんな」(おもしろいですね)的な気持ちで見ていただければ幸いです;。

 

 

地図 高松市旧市内の西部 扇町 香川県立視覚支援学校(旧県立盲学校)付近 google map 使用

 

 

出したい位置は、旅客ターミナル貨物ターミナル石炭給水塔等

そのためには撮影した場所絵図を描いた場所を特定しながら、関係する諸要素をできるだけ満たす位置を探ってみました。

 

この場所は、初代高松駅ができる前は、高松の旧市内の西はずれ、田畑が一面に広がる村のイメージ。

西から伸びてきた線路もまっすぐ埋設する事に何も問題はなかったと考えます。

〇 西宝町に入ってから駅舎までまっすぐ線路がひけたと考える。

 

江戸時代からあった2つの道や旅客ターミナルに続く道も基本直線的に続く道があったと考える。

〇 江戸時代から存在していた克軍寺から続く道A

〇 江戸時代から存在していた万日墓地から続く道B

〇 旅客ターミナルの玄関入口の中央に続く現在の旧盲学校の東側の南北の道、道C

 

完成時には小さいながらも陸と海との物流、交通を考えていた。

〇 西浜港から運河を掘り港として、小さいながらも陸と海の連携を考えた配置 → 貨物ターミナルは北寄りにあった。

仮に2番ホーム(仮称)があれば、貨物ターミナルは当然1番、2番ホームの北側で港ふ頭との中間点あたりと推測。

どちらにしても、貨物ターミナルの北寄せを支持できると考える。

 

〇 絵図の絵師が描いた場所の東側に、石炭給水塔があった。

石炭給水塔の北側に1車線を挟んで、燃料補給用の小ホームがあった。

また石炭給水塔の南側にも1線を挟んで、燃料補給用の同じ形態の小ホームがあったと推測できる。

石炭給水塔に関しては、当時の1線路の幅を調べるとわかれば、もう少し正確にあらわせそうです。(宿題)

絵図によれば、線路数は旅客ターミナルがある線路から南に線路が4から5列、石炭給水塔を挟んで2列、合計の線路数は6から7列と推測できそうです。

6から7線分の距離+石炭給水塔関連施設幅で鉄道の敷地の南側の位置から南北の位置をより正確に割り出せるでしょう。

 

〇 私鉄としての初期の根本的な考えに、琴平、(丸亀)、高松ともに、終着駅的な設計であったと推測されます。

時代は地方私鉄から、四国、岡山とのネットワークを考える時代、はたまた国有化して全国網をどうしていくのかと目まぐるしく変わっていく中で、運河計画をしていたと考えれますが、計画の予想以上に世の中の変化進化が早すぎた感がありますね。

 

以上の事を考慮した上で、

 

まず鉄道の線路は摺鉢谷川側を越えたあたりからも直線的に東へ伸びていた。

 

ウィキペディアの写真の旧高松駅を南から写した地点D点は、鉄道の敷地

より少し南側の、道A上のどこかにあるとします。

そのD点を決めるためには 鉄道敷地の外側で南側道路上から撮影しているとして、写ってる建物等で固定できる場所を特定できるポイントでつないでいきます。

まずは、旅客ターミナルの右側後ろに写る戦前の常福寺の屋根の位置を固定ポイント①、固定ポイント②とします。

(前回のお話の通りこの当時常福寺の屋根の尾根の向きは東西に向いていた)

ウィキペディアの写真に合わして旅客ターミナルの位置を決めるために、旅客ターミナルの位置を道C上をスライドして、位置を決定。

 

次は絵図を絵師の方が描いた位置ですが、

こちらは、絵図ではありますが、駅舎と後ろ側の風景に描かれた位置関係については正確に書かれていることがわかります。

〇 旅客ターミナルと貨物ターミナルの間に真行寺を描いています。

これについては、貨物ターミナルが旅客ターミナルより北側に実際あった事を証明してくれています

 

〇 旅客ターミナルの東側の屋根の一部の後ろに煙突を描いています。

これは現在の日本銀行高松支店の位置にあったと言われている高松電灯の発電所の煙突と考えられます。

その位置から絵図を描いた地点と結び、旅客ターミナルの位置を確定します。

ここでは、いろいろ試行錯誤をしましたが、矛盾がない地点を割り出したのがE点です。

この地点は鉄道の柵の中の柵の近くとなりました。

よーく考えてみますと、敷地内で線路上とかで描けることはできません。

また、なんらかの機関からの依頼もあっての絵図として書籍に載せ、おかげで

後世に残せたのでしょから、柵の外から水路や柵越しに道路上で描いたとは思えません。

絵図を描いた場所としてはベストではないでしょうか。

現在私が持っている資料からは、D地点、E 地点、そして建物の位置でいいのではないかと考えています。

 

まだまだ、ミステリーは続きます・・・  

運河を作って2番ホームのありなしや

旅客ターミナルより北側にずれた貨物ターミナルの位置や距離とミステリーは続きます。

 

また初代高松駅舎の大きさも形状も当然関係してくるでしょう。

この駅舎等の入札時の坪数が香川新報(明治29年8月13日の香川新報)にある事がわかっています。

停車場本屋吹抜貫庇(ひさし)トモ 七十坪六合一寸一才余 

貨物取扱場  三十二坪

今回のご案内では、形状と大きさは細かくは配慮できていませんので、後で、皆様と一緒に想像を巡らせてみたいと思っています。

 

話は2番ホームの存在に変わりますが、

初代?丸亀駅の駅舎の写真で、多度津から→丸亀駅側に行き止まりの2番(仮番号)ホームらしきホームが写っています。

丸亀の貨物ターミナルが、なぜ旅客ターミナルと一直線上に並んでいないかがわかれば、今回の検証でわかった貨物ターミナルが旅客ターミナルと一直線上にならんでいなくて北側にずれている答えがわかるかもしれません。(これについて情報をお持ちの方がいらっしゃったらぜひご教授ください。ご連絡を頂きたいです)

多くの方に、興味を持っていただけたら幸いです。

ちょっとブレイクタイムを・・・

 

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【ぼくらの街探検の続き】初代高松駅貨物ターミナルへ続く克軍寺からの道の検証

2025-02-15 09:18:36 | 日記

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ぼくらの街探検の続きです。

まだまだミステリーな初代高松駅ですが、

1つ1つ検証をやっていきたいと思っています。

 

今回の検証は、西宝町の克軍寺から現在の旧盲学校の北東にある民間の駐車場からとなっている

敷地の南西の角(こちらのポイントはわかっている)へと続く克軍寺参道の正確な位置と角度です。

 

絵図では克軍寺の敷地の東西の真ん中から続いていますが、

もっと現実的に特定できる場所がある事に気が付きました。

摺鉢谷川にかかる橋の位置です。川の流れを変えていないかぎり

かわらないと考えられるので、こちらで進めていきましょう。

 

実は現在克軍寺から続く橋の候補は2橋ありました。

① 克軍寺の東側からの道(細い道で旧道のようにも見える道)で摺鉢谷川にかかる橋で高徳線の踏切のすぐ横にあります。

 

② 克軍寺の西側からの道(現在車が通行できる道)で摺鉢谷川にかかる「本門院橋」

(本門院=克軍寺 地元での呼び名)

 

<大正12年の高松の地図を観る>

旧11号線の高架工事で一部東側では川の流れは変えられているものの

高徳線が大正10年に開通してすぐの地図(国際日本文化研究センター大正12年(1923年))に

現在も摺鉢谷川にかかる橋、「本門院橋」から旧盲学校の手前までまっすぐ伸びる道が

存在していました。(元の橋から場所をずらしての架け替えはなかったようです。)

元の鉄道敷地の南側に突き当たり東へ曲がって、現在の盲学校の南側の道に合流しています。

この大正12年の古地図には江戸時代から残る道がかなり残っています。

 

この橋より北側の旧道は、その後昭和時代になり田畑が整理され昭和町として区画整備されて

なくなったと考えられます。

 

結論から言えば、克軍寺からの道の南側の動かないポイントは現在も残る摺鉢谷川にかかる

②「本門院橋」と言えるのではないでしょうか。

 

おさらいですが、宮脇町の克軍寺から現在の旧盲学校の北東にある民間の駐車場からとなっている

敷地の南西の角(こちらのポイントはわかっている)へと続く克軍寺参道の道上に

初代高松駅の貨物ターミナルがあったと写真から推測されていますから、

この橋から初代高松駅の貨物ターミナルの方へほぼ一直線上に道が伸びていたことで

駅舎の場所特定の正確度が増すのではと考えています。

 (ウィキペディアの駅舎の南側から写した写真の左側、貨物ターミナル部分を拡大)

 

他この古地図でわかったこととしては、

この写真の道の前に鉄道の敷地の柵があり、その外側に水路があった。

克軍寺から続く道は、当時もメインロードとして使用できていたと考えると

石炭給水塔の燃料や水の物資の搬入にも使われた可能性もあったかもです。

(万日墓地からの道からも石炭給水塔への搬入があったかも)

駅舎等の位置確定の重要な資料につなげられるのではないでしょうか。

 

現在の克軍寺から北へ抜ける道が、克軍寺の西側から北へ抜けると

考えていましたが、古地図にある通り克軍寺の真ん中からの道であることが

わかりました。

 

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【ぼくらの街探検】子供たちに大人気!扇町の路地裏アート!!

2025-01-14 10:51:43 | 旅行

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<扇町の路地裏アート>

瀬戸の都通りに 子供たちのみならず、おとなにも大うけ、

一言でいうと「癒される廃材アート作品」を作っておられる

松川暿説(まつかわよしのぶ)さん88歳がいらっしゃいます。

 

奥様と2人3脚で八百屋さんを営んでいた松川さんは

2005年直腸がんで余命3年と宣告され、

痛みを紛らわすために何かに没頭したいと作り始めた。

 

捨てられるだけの廃材の発泡スチロールや段ボールから

見ている人が笑顔になるアート作品を作っている。

 

学校帰りのこどもたちの笑顔を見るのが一番うれしいとの事。

痛みをこらえながらも手作業に力が入る。

 

「おかげで元気をもらっています」と言いながら

ご活躍されておられる松川さんの作品がたくさん並ぶ。

 

写真は2025年1月の私設みんなの広場

(楽しく見れる空間となってます)

路地側に曲がれば自宅兼作業場。

 

みんなの広場にて

 

⇧発泡スチロール他で手作りのバス停のポールには毎日日付を入れ替えている。

 

 

自宅工房にて

⇩お笑いトリオ「ハナコ」さん出演の番組にも作品が登場

 

  

まだまだ紹介しきれておりませんが、自宅工房前に動く作品とかあれこれあります。

日々変化もしてますので楽しめますよ!!

 

おっちゃん からだ めがんよう うまげなもん ようけ こっさえてーたー ほんだらのー

(讃岐弁訳 おじさん お身体壊さないように 立派な作品を たくさん 作ってくださいね では失礼します)

 

 


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20数年前から使用していた「瀬戸の都通り標識」

2024-11-10 10:31:07 | 日記

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20数年まえの当商店会の標識があります。

設置は当商店会の3代前の松本会長時代。

今でも当商店会の松本電機前にあります。

お近くへお越しの折は探してみてください。

久々にHPの「メインロゴ」として登場しました。

 

 


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