それでは前回のお話での宿題を
地図とか参考文献のご紹介は、思ったよりご紹介ご案内できない資料もありますが、文面だけでは、ややこしいので・・・
「だいたいこっちゃからみよったんとちゃうん」さぬき弁?!
(訳大体こちら側からみていたのではないでしょうか?)と言う
「なんがでっきょんな的な」(なにをしておられるのですか?)「おもっしょいでないんな」(おもしろいですね)的な気持ちで見ていただければ幸いです;。
地図 高松市旧市内の西部 扇町 香川県立視覚支援学校(旧県立盲学校)付近 google map 使用
出したい位置は、旅客ターミナル、貨物ターミナル、石炭給水塔等
そのためには撮影した場所、絵図を描いた場所を特定しながら、関係する諸要素をできるだけ満たす位置を探ってみました。
この場所は、初代高松駅ができる前は、高松の旧市内の西はずれ、田畑が一面に広がる村のイメージ。
西から伸びてきた線路もまっすぐ埋設する事に何も問題はなかったと考えます。
〇 西宝町に入ってから駅舎までまっすぐ線路がひけたと考える。
江戸時代からあった2つの道や旅客ターミナルに続く道も基本直線的に続く道があったと考える。
〇 江戸時代から存在していた克軍寺から続く道A。
〇 江戸時代から存在していた万日墓地から続く道B。
〇 旅客ターミナルの玄関入口の中央に続く現在の旧盲学校の東側の南北の道、道C。
完成時には小さいながらも陸と海との物流、交通を考えていた。
〇 西浜港から運河を掘り港として、小さいながらも陸と海の連携を考えた配置 → 貨物ターミナルは北寄りにあった。
仮に2番ホーム(仮称)があれば、貨物ターミナルは当然1番、2番ホームの北側で港ふ頭との中間点あたりと推測。
どちらにしても、貨物ターミナルの北寄せを支持できると考える。
〇 絵図の絵師が描いた場所の東側に、石炭給水塔があった。
石炭給水塔の北側に1車線を挟んで、燃料補給用の小ホームがあった。
また石炭給水塔の南側にも1線を挟んで、燃料補給用の同じ形態の小ホームがあったと推測できる。
石炭給水塔に関しては、当時の1線路の幅を調べるとわかれば、もう少し正確にあらわせそうです。(宿題)
絵図によれば、線路数は旅客ターミナルがある線路から南に線路が4から5列、石炭給水塔を挟んで2列、合計の線路数は6から7列と推測できそうです。
6から7線分の距離+石炭給水塔関連施設幅で鉄道の敷地の南側の位置から南北の位置をより正確に割り出せるでしょう。
〇 私鉄としての初期の根本的な考えに、琴平、(丸亀)、高松ともに、終着駅的な設計であったと推測されます。
時代は地方私鉄から、四国、岡山とのネットワークを考える時代、はたまた国有化して全国網をどうしていくのかと目まぐるしく変わっていく中で、運河計画をしていたと考えれますが、計画の予想以上に世の中の変化進化が早すぎた感がありますね。
以上の事を考慮した上で、
まず鉄道の線路は摺鉢谷川側を越えたあたりからも直線的に東へ伸びていた。
ウィキペディアの写真の旧高松駅を南から写した地点D点は、鉄道の敷地
より少し南側の、道A上のどこかにあるとします。
そのD点を決めるためには 鉄道敷地の外側で南側道路上から撮影しているとして、写ってる建物等で固定できる場所を特定できるポイントでつないでいきます。
まずは、旅客ターミナルの右側後ろに写る戦前の常福寺の屋根の位置を固定ポイント①、固定ポイント②とします。
(前回のお話の通りこの当時常福寺の屋根の尾根の向きは東西に向いていた)
ウィキペディアの写真に合わして旅客ターミナルの位置を決めるために、旅客ターミナルの位置を道C上をスライドして、位置を決定。
次は絵図を絵師の方が描いた位置ですが、
こちらは、絵図ではありますが、駅舎と後ろ側の風景に描かれた位置関係については正確に書かれていることがわかります。
〇 旅客ターミナルと貨物ターミナルの間に真行寺を描いています。
これについては、貨物ターミナルが旅客ターミナルより北側に実際あった事を証明してくれています
〇 旅客ターミナルの東側の屋根の一部の後ろに煙突を描いています。
これは現在の日本銀行高松支店の位置にあったと言われている高松電灯の発電所の煙突と考えられます。
その位置から絵図を描いた地点と結び、旅客ターミナルの位置を確定します。
ここでは、いろいろ試行錯誤をしましたが、矛盾がない地点を割り出したのがE点です。
この地点は鉄道の柵の中の柵の近くとなりました。
よーく考えてみますと、敷地内で線路上とかで描けることはできません。
また、なんらかの機関からの依頼もあっての絵図として書籍に載せ、おかげで
後世に残せたのでしょから、柵の外から水路や柵越しに道路上で描いたとは思えません。
絵図を描いた場所としてはベストではないでしょうか。
現在私が持っている資料からは、D地点、E 地点、そして建物の位置でいいのではないかと考えています。
まだまだ、ミステリーは続きます・・・
運河を作って2番ホームのありなしや
旅客ターミナルより北側にずれた貨物ターミナルの位置や距離とミステリーは続きます。
また初代高松駅舎の大きさも形状も当然関係してくるでしょう。
この駅舎等の入札時の坪数が香川新報(明治29年8月13日の香川新報)にある事がわかっています。
停車場本屋吹抜貫庇(ひさし)トモ 七十坪六合一寸一才余
貨物取扱場 三十二坪
今回のご案内では、形状と大きさは細かくは配慮できていませんので、後で、皆様と一緒に想像を巡らせてみたいと思っています。
話は2番ホームの存在に変わりますが、
初代?丸亀駅の駅舎の写真で、多度津から→丸亀駅側に行き止まりの2番(仮番号)ホームらしきホームが写っています。
丸亀の貨物ターミナルが、なぜ旅客ターミナルと一直線上に並んでいないかがわかれば、今回の検証でわかった貨物ターミナルが旅客ターミナルと一直線上にならんでいなくて北側にずれている答えがわかるかもしれません。(これについて情報をお持ちの方がいらっしゃったらぜひご教授ください。ご連絡を頂きたいです)
多くの方に、興味を持っていただけたら幸いです。
ちょっとブレイクタイムを・・・