紫の落書き帳

唯、思った事を書き殴ってる丈の馬鹿馬鹿しいブログです。読者受けやアクセス数は全く意識してません。

『御爺ちゃんのマスターライン』

2024-02-18 10:40:38 | 乗り物
RS46Pと思われるマスターラインダブルピックです。














《本文》
 「認知症になったおじいちゃんの笑顔が見たい」。その一心で、車庫に眠っていた半世紀以上にわたり祖父が大切にしてきた宝物のマスターラインを復活させることを決意。心ない誹謗中傷を受けながらも、その過程をSNSにつづり、反響を呼んだりかさん(@rika_mayu_ai)。昨年、祖父の他界後、一度は受け継ぐ決意をするが「おじいちゃんの笑顔」という目標がなくなったなか、車にはまったく興味がなかったりかさんには迷いが生じる。思い出の“おじいちゃんのマスターライン”が歩んだ57年間の道のりと未来について、りかさんと母・保枝さんが語ってくれた。

「おじいちゃんの為に、車を修理した。おじいちゃんの為に、車でお出かけをした。でも大好きなおじいちゃんが亡くなって、心にぽっかり穴が空いています。。私自身が車好きというわけではないから、これから何を原動力にしてどんな投稿をしたらいいのか不明で悩んでいます。。」

 祖父の宝物だったマスターラインを受け継いだ孫のりかさんが、Xにこんなつぶやきを書き込んだのは、今年1月31日。

「いろいろ忙しいなかで、何もできなくて。宝の持ち腐れになっているんじゃないかって悩んだり、応援してくだる方々に向けて、(SNSに)動画もあげなければという使命感もあって。ちょっと迷子になってしまったんです」(りかさん)

 『トヨペット マスターラインダブルピック』(1967年式)という超希少車。なぜこんなに注目を集めたのかというと、事の発端は2021年に、りかさんが投稿した1本の動画がきっかけだった。さまざまな事情から車庫に眠っていたこの車の売却を宣伝するため、TikTokに投稿するとそれが大バズリした。

「『貴重な車だから売らないでください』というコメントと同じくらい、『おじいさんが長年大切にしてきたことが一目でわかる』とか『この景色がなくなってしまったらおじいさまの心が心配』など、おじいちゃんに関わるコメントをたくさんいただきました。それを見て、この車はただ古くて希少なだけではなくて、おじいちゃんの想いも乗っている車なんだと気付かされたんです」(りかさん)

りかさんの祖父が、新車としてこの車を購入したのは、1967年(昭和42年)。保枝さんは当時の様子をこう振り返る。

「電気屋を営んでいた父は、それまでもピックアップトラックに乗っていました。でも新たに開発された6気筒エンジンを搭載したこのクラウンの話を聞き、購入を決めたそうです。当時、弟が生まれて家族が増えたこともあって、後部座席のある6人乗りであることも気に入ったようです」(保枝さん)

 時は高度経済成長期。冷蔵庫・洗濯機・白黒テレビの“三種の神器”を経て、カラーテレビ・クーラー・カーの“新三種の神器(3C)”が憧れの象徴として世を賑わせていた時代。“おじいちゃんのクラウン”は、多くの人々の夢を各家庭に届ける一方で、休日にはさまざまな名所に出かけ、家族との思い出も紡いでいった。

「1970年に開催された万博に行ったときは、初めて高速道路を走りました。100km/hが出たとき、家族で感動したことを覚えています」(保枝さん)

 車好き、メカ好きで、修理も得意だった祖父は、自身でメンテナンスもこなし、大切に維持。その年月の積み重ねによって、マスターラインは自慢の相棒になっていった。

「1988年に瀬戸大橋が完成したときに母(りかさんの祖母)と2人でドライブに出かけ、そこで広島のクラシックカークラブの方に声をかけられ、加入したことで、さらに熱は高まったようです。その後も自慢度はどんどん高まっていって、マスターラインの話をし出したら止まらないくらいでした(笑)」(保枝さん)

 70歳を超えてからは日々の移動に軽自動車を使うようになりながらも、大切にメンテナンスを重ね、車検も通し、常に走れる状態を維持してきた。だが最愛の妻を亡くし、認知症の症状が出始めた祖父は、2019年に85歳で免許を返納。認知症の進行とともに、介護費用や家の修繕費などお金が必要となったこともあり、保枝さんは車庫で眠っていたマスターラインの売却を決意し、一任されたりかさんはメルカリに出品した、というのが事の顛末だった。

それまで車にはまったく興味がなく、クラウンに対しても、単なる“おじいちゃんが乗っていた古い車”程度の認識しかなかったというりかさん。だが、寄せられたコメントをきっかけに、大好きな祖父が愛した車について深く考え、すぐに出品を中止。さらに、“おじいちゃんのクラウン”を再び走れるよう復活させることを決意する。

「コメントの中に『おじいさまが最後まで車を見られるようにクラウドファンディングをしてみませんか』とあって、“いいね”がたくさん付いていたんです。そんな方法があるのかと思っていろいろ調べていくなかで、リターンとして何ができるのか悩んでしまって。それもSNSに載せたら『ただ走っている姿が見られればいい』『おじいさんが笑顔になればいい』というコメントをたくさんいただいて。それならと実施を決めました」(りかさん)

 人々のエールに支えられ、車の修理代や板金塗装代、車検代をクラファンで集めることを決めた途端、温かさに包まれていたりかさんのSNSには、たくさんの誹謗中傷が届くようになる。

「私の動画の作り方が誤解を呼んでしまったこともあったと思います。おじいちゃんを乗せたいというのは、もちろん“助手席に”という意味でした。『老人が運転したら事故を起こすだけ』『車はみんな自分で直して自分で維持してる、クラファンを使うな』『さっさと死ね』などたくさんのひどいコメントが届きました」(りかさん)

 暴走するアンチコメントに、一時はごはんも喉を通らなくなってしまったというが、「家族の支えやSNSで温かいコメントも多数いただいていましたので、そちらに目を向けようって思うことでなんとか精神を保っていました」(りかさん)と、気持ちを切り替え、無事目標金額を達成。そして、2021年11月に3年ぶりに出した車検では、修理になんと約9カ月もかかったものの、無事復活。それを見た祖父はというと……。

「車検に出していることさえ忘れていた祖父でしたが、車に触れると日頃とは一変、見違えるようにイキイキして、カッコいいおじいちゃんになるのが印象的でした」(りかさん)

 保枝さんが、復活したマスターラインでドライブに行こうとすると、頑なに運転席に座ろうとすることが何度もあったという。もちろん運転はできないが、助手席に乗っているだけも、祖父の意識は日頃からは考えられないほどしっかりし、「乗っている時だけは認知症とは思えないほどだった」と振り返る。

「それまで音楽療法をはじめ、認知症に効くといわれるあらゆることを試してきましたが、何よりも勝ったのがマスターラインでした。好きなものに接すると、人間の神経ってこんなにも刺激を受けて働くんだって驚きました」(保枝さん)

「もしあの時売っていたら、入ったお金をおじいちゃんの生活のために使うことができたとは思います。でもそれ以上に、おじいちゃんを笑顔にできて、一緒に思い出が作れて、かけがえのないものをたくさん得られたので、本当によかったと思っています」(りかさん)

 2023年9月21日、祖父は90歳で永眠。亡くなる約1カ月前、入院する直前に近所のガソリンスタンドに行ったことが、“相棒”との最後のドライブになった。

祖父の他界後、りかさんは一度、自らがマスターラインを乗り継ぐことを決意。妊娠9ヵ月ながら、AT限定解除のため教習所に通い、MT免許を取得する。

「おじいちゃんが亡くなった時は、悲しみでいっぱいで、もうこのまま車も動かさずに終わるのかなと思っていました。でも入院前に、おじいちゃんと一緒にマスターラインを車検に出しに行ったときの様子を綴った動画が1万再生、2万再生とぐんぐん増えて。おじいちゃんに『こんなにも見てくれている人がいるんだから車のこと頼んだぞ』って背中を押されている気がして、ちょっと頑張ってみようかなって」(りかさん)

 その後出産・育児と忙しい毎日を送る中、マスターラインに関われない自分を責める思いが、冒頭のXでのつぶやきにつながった。

 長い伝統を誇る物は継承が美徳とされるもの。それが血縁の思いや家族の思い出を乗せたものであればなおさらだ。しかし旧車となれば、保管場所に加え、お金、知識、さらにそれに割く手間も必要。貴重なものとはいえ、維持していくことは決して簡単なことではない。とかく昨今“旧車ブーム”も相まって、一部の車好きは、その人が置かれている状況も考えずに、「貴重な車は継承して残すべき」や「家族の想いを受け継ぐべき」という声を上げがちになるが、そんな“旧車ファースト”な考え方は、車に興味のない残された家族からすれば重荷にしかならない。当然ながら、車を媒介しなくとも、その想い出は残された家族とともにある。

 りかさんにも、そんな見えないプレッシャーがあったのだろう。だが、それを救ったのは、SNSに寄せられた2万を超えるコメントだった。

「『りかさんの負担にならない程度に』という私のことを気遣ってくれるたくさんのコメントに力をもらいました。その一方で、『りかさんの負担になるんだったら、手放すとか違う方法を考えてみてもいいんじゃないか』というコメントや『りかさんがつらい思いをしてまで維持していても、多分、おじいさまは喜びませんよ』というコメントもいただいて、いろいろ考えるきっかけになりました。確かに、私の子どもに大変な思いをしてまで継承してほしいかといえば、それは違うなと思いますからね」(りかさん)

 寄せられたエールは、「受け継いだからには守らなければいけない」「応援してくれる皆さんのために頑張らなければいけない」といった重圧を和らげてくれた。

「たしかにお金の面など大変なことはたくさんありますが、今現在、私は手放すことの方がつらいので、維持したいと考えています。ただ、今後のことはその都度、考えていきたいと思っています。これまでもみなさんのコメントによって、思ってもいない力が湧いてくることや、迷いに対してのアイデアが生まれて、プラスの方向に持っていけることを経験してきました。今後も気負わず、『何かあったらSNSを使ってみなさんに聞こう。みなさんに頼ろう』という気持ちで、動画の投稿も車の維持も、柔軟に考えていきたいと思います」(りかさん)

取材・文/河上いつ子

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