ShifoWEB~RELAX~

福島に行ってきました

浪江町というのは原発事故被害で

いつ家に戻れるかわからない人達がいる町でした

その人々の中に

昨年私が大熊町に慰問に行った際

お知り合いになれた教育委員の鈴木先生がいて

今回は自分の地元の人達との久々の再会の席で歌ってくれないか

とお誘いをいただき

昨日会いに行ってきました




先生はご自身も大変な被害にあわれているにもかかわらず

ご自分の仕事では子供たちのケアやコーディネイトに熱心に活動しておられ

今回、ご自分の小さいころから幼馴染の地元の人達を紹介していただき

私も大事な会に来る事ができたことをありがたく

大切にしなくてはと縁をいただいたことに感謝しました



津波被害にもあわれ

テレビもつかない中翌日消防団からとにかく非難しろと言われ

1万人が避難した30キロ先は放射能が一番飛んできていた箇所だったと・・・

原発があったからこそ町は経済的にうるおい

仕事もたくさんあった

しっかり洗脳されたし

それが打ち崩されたときは絶望だったと

今改めて考えると

やはり原発はなくなった方がいいと思う

とそこにいた人から聞いた話は本当に説得力がありました


悲しいと泣いてひたっていられるほどの時期をすでに超え

それでもふるさとに戻りたくても戻れない悲しみを抱えた人たちが

たんたんと日本国中に離れ離れになって生きておられました


直接聞かないとわからない

自分だけの力ではどうしようもできない力が働いていて

なんとかこの現状を人に知ってもらいたい

という声がありました



「ふるさと」という歌がこんなにも心にしみるとは

ふるさとに帰れなくなって初めて歌のよさを知りました

今度歌ってと言われました


自分達の親族にも脳疾患で倒れた人もたくさんいて

クーペさんのことを他人と思えない

応援していますよがんばって

と逆に励まされました


「この方たちは寝ずに東京から来てくれました」

なんて紹介されても

越えてきた苦労の比にもならずとてもじゃないけどかなうわけがありません


正直いって午前中のライブではじめはからまわり

何を歌ってもなんだか届いない感じがしました

でも最後はうちとけて

とくにクーペさんのMCがはじまってからは私達の歌と心はきちんと届いたようでした





無事ライブが終わり

一緒に昼食をいただきそこでたくさんお話も聞けました

今度は3月ありますからまた来てください

と言われて

最後に帰るときのあいさつで

「また3月来ますのでみなさんお会いしましょう!!」とクーペさんが言ったときに

大きな拍手がわき起こりました


本当に少しずつでしか心の距離は埋まらない

同じ苦しみを一緒に経験してきてはいないけれど

会って話を聞くと

それはテレビのニュースで感じることとは違う

直接知ってその人たちの気持ちと同じ立場に立てるようになる


私達が地元でやるライブはやはり

今後も復興支援を願うライブになると思うし

自分達が感じてきたことを伝え、歌うライブにしたいと思った


そんな心が共鳴した出逢いをあとにして

徹夜明けのドライブで東京に向かう途中

福島の空に虹がかかっていた

高い建物がないせいか空一面にしっかりとかかった虹に見送られて

「行ってよかった・・・」メンバーそれぞれが思い

福島をあとにしました




今回も福島行きにあたって

慰問ライブということでカンパをいただいたり

行く事ができないからと記念品を用意してくださったり

私たちの思いに賛同してくださった方たちに感謝しています

今度行くときはまた一緒に仲間みんなで行きたいと新たにおもいました

(東京帰途の西日)


気分上々↑↑作曲のシンガーソングライターShifoの日常と活動をお届けしています。

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