病は気からと昔から言われているけれど
自分の体の病気は自分の心から生まれてそれがサインとして出てきているものだとは
感じていたものの信じきれていなかった
パーキンソン病の始まりはクーペさんの死を体験して強烈なストレスと
30代から無理して走り続けた自分のペースを強制終了させられた形の表れだと思う
初めパニック症候群に罹り
強烈な不安感が頭の中に襲ってきて「このままでは死んじゃう!どうしよう助けて!!」
と布団に横になりながら気が狂ってしまった時があった
言い換えると「死にたくない」という心からの願いである「恐れ」が
体は過度に守る形の表れとして固縮し始めたことが
私のパーキンソン症状の始まりなのではないかと思う
チュソンは20年前ピースボートで同じ水先案内人として
時期はずれていたけど知り合った仲間で
コモンビートという市民ミュージカルをアメリカから日本に持ってきて
日本全国にブームを起こしたカリスマのスーパーウーマン
飾らずおごらず愛に溢れていて人間的に素晴らしく
私も大好きな尊敬する存在
8年前大きくしたコモンビートを後進に譲りスパッとやめて
自分のためにこれからは生きると福井の古民家で自給自足生活を始めた
その時胸にしこりが見つかっていたらしい
自然派の彼女はできれば西洋医療ではなく自力で治したいと調べまくって
できることはなんでもした一年の間
それでもしこりは大きくなってきてしまい
頼りにしていた存在からもいい加減に病院行けと言われ
病院に行ったらやはり乳がんで全摘出と言われ手術日を決め覚悟を決めた
手術までの間
より人生について深く考え見つめ直す時間になった
シコリ先生とあだ名をつけて
胸のしこりができたことによって感じる
当たり前の幸せへ心から感謝した
人間生まれたら死なない人はいない
いつから人は「死」というものを悪いもの
そして恐怖と捉えるようになり
死なないようにあれこれもがくようになったのだろうか
生まれた赤子はやれ立った、歩いた、でそれを成長と呼び
いつから時が過ぎることを老いると呼ぶのだろうか
成長と老いは同じ意味で体が動かなくなったり死に向かっていくことは
ずっと成長続けたまま体から魂が学びを経て卒業することが「死」と呼ぶのではないか
それならばいつか魂が体を卒業するその日までこの尊い体と共に
1分1秒を大切に生きていこう
そう思って毎日を過ごせば自ずと話す言葉も変わってくる
一瞬を生きる生活を大事にして行動するようになる
大切なひとを愛おしく愛すようになるし
相手に対して対応も変わってくる
自分が誇れる後悔のない死に方をしよう
しこり先生気づかせてくれてありがとう
ありのままのこの私を芯から愛し過ごします
と思ったら
ある時しこりがおできになって体の外に出てきたのだと!
そしてかさぶたになり取れては三回に渡り徐々に出てきて
自然としこり先生は体からいなくなって
事実上治ってしまったのである
感動してしまった
私も自分の病を自力で治したいと思ってできることはなんでもやってこの一年
チュソンの心の向き合い方と照らし合わせながら
チュソンと対話しながら私の心の中と向き合ってみた
体はますます動かない ピアノも弾けない 歩けない
けれどまだ歌うことができ
支えてくれる仲間がたくさんいる
迷惑かけても引き受けてくれる愛してくれる人がいる
何もできない私をそのまま受け入れてくれる
今を諦めずに精一杯生きていればどんな自分でも愛すべき存在なんだ
そうか
体が固縮してしまっているのは
「このままじゃ死んじゃうよ〜!気づいて〜カチンコチン」て過度に脳がバグって
固縮させてしまっていたんだね
そんなことに気づいた私は
「守ってくれていたんだね〜・・・。気づかなくてごめんね。ありがとね・・・。」て
心の中、体の細胞に心から感謝をした
そして固縮は体が表に表すSOSサインなのに
病気を治す!
と敵対視していた自分の気持ちにも気づき
敵対じゃないんだ
サインとその理由を心の底から認めることなんだと理解した
そうしたら2年苦しんでいた首の付け根の固縮が「プシュ〜〜〜〜」と緩んで
固まっていた首から解放されてしまった
チュソンと対話して4時間くらい経ってただろうか
普段だったら椅子にそんな長く座っていられないのに
体が緩んで楽になっている・・・不思議・・・
チュソンの言霊はすごい
生き方を改めたことで言葉一つの使い方も本当に命が宿ってる
言霊ってそういうことなんだ
薬でもパーキンソンは治らないのに
私はチュソンの言霊で2年の辛い体の苦しみから一瞬で解放されてしまった
今もそのまま首のロックはなくそれだけで体はとても楽
ピアノはまだ弾き辛いけど
それでもできなかった弾き語りが少しまたできるようになってきた
歩くのはまだまだだけどそれでも少し楽になってきた
とにかく2年間悪くなっていく一方だったことが
快方に向かったことは私にとって奇跡だ
本当に嬉しすぎて
踊れなかったのに知らぬ間にリズムをとって踊っていた
それを横目で猫が見てまた目を瞑ってしまった
病は
本当に「気」からということを実感した
一喜一憂してもしょうがない
もしこれが一時的でも構わないし
病気を敵対していた概念を学べたことに感謝している
(新しく学べたことを忘れないように
そして病で苦しんでいる人がいたらヒントになるかもしれないので
共有できるように記しておきます)