今夜はお二階の飼い猫の中のチャッピーの様子が変だった。もしかするとジェリーは今夜が峠かもしれない。今年は二階の飼い猫が立て続けに3匹亡くなっている。もしかすると我が家の災厄の身代わりになってくれているのかな?と悲しくなる
ジェリーは18年前の2000年に我が家に来た。拾った時から下半身不随で、オシッコもウンチも自分では出来ないので連れ合いが獣医さんに教わって17年半の間毎日搾ってあげていた。二人の絆は特別だが、何故かジェリーはロクに世話しない僕のことが好きで、さっきも鼻づらを僕の鼻でツンツンするとクリティカルにもかかわらずグルグルいった。主治医はもう老衰と言ったらしいが、お別れが近いのはやはり悲しい。自分は唯物論者ではないのであの世での再会も有ると信じているが、それでも悲しい事に変わりはない。ジェリーが拾われて直ぐに入院して最初の面会の時、僕の顔を見てグルグル言ったのが心に残っている。猫と人間という間柄で種は違うが、心の繋がりがあると感じる、ある意味ソウルメイトの様な感じ。
子供の居ない自分に疑似体験をさせてくれた。
亡くなってしまうとジェリーロスに苦しむのだろうな。
仏教聖典でも生老病死は避けられない定めでそれを乗り越える事が悟りへの道と言っていた。避けられないのは理性では理解するが、感情では苦しい。これも人生の中の一里塚なのか?せめて苦しまずに逝かせてあげる事が自分達に出来る最後の感謝の印かなと思っている。
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coconya
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