随分前のお話しですが…。
絶対諦めない‼️
って決めて自分を信じて突き進んだの…
そしたら奇跡が起きました✨✨
今不妊で苦しんでる方がいたら、私のブログでちょっとでも希望を持ってくれたら嬉しいです。
きっと大丈夫だよ。
溯る…2006年。
28歳の3月。
2004年で結納をし、2005年に大好きな人と結婚した。
私はすぐ子供ができると思ってた…。
でもなかなかできず…
結婚してすぐ赤ちゃんを作るつもりもなかったが、念のため、2006年すぐ婦人科を、初めて受診した。
2.3ヶ月基礎体温を測って様子をみて、できなかった場合、子宮に造影剤検査で卵管の通りを見てみようと、主治医から言われた。
結果…。
卵管の通りは問題なし。
しかし、卵管采が機能していないと。
しかも両方…。
妊娠するには、
1.人口受精や体外受精をする。
2.手術。でも成功率は低い。
まずは大学病院に紹介状書きますと。
告げられた…。
その帰り道は、
号泣で記憶がない。
その時から…
私はパソコンに向かい、必死で自分と同じ症状の方の成功例を探した。自分の症状や体験談を話したり聞く機会はなかなかないけど、ネットの中なら手がかりがあるんではないか…
しかし
自然妊娠の成功体験談…なかった。
妊娠していても、体外受精での妊娠ばかり。
子宝ネットに登録して、毎日不妊のママ達とメールのやりとりをした。
みんな様々な症状で不妊だった。
🧑🍼子作りは競争じゃない!
誰かがわたしに言ってくれた言葉…。
一番印象に残ってる。
周りで友達が妊娠していく…
私は普通に祝福しているのに、友達の方が気を使う…。
私は不妊で可哀想だと思われるのも
なんだか嫌だった。
そして、なにより私をどん底に落としたのは…
義理母の言葉だった。
「私に子供ができないなら、愛人作ってもらってそっちに子供を産ませて、私とはいずれ離婚して、家を出ていって貰えばいい」と言っていたと、
義理妹に聞かされた。
義理母に仲良くしてもらっていると思っていただけに…
絶望に落とされた気がした。
号泣でしたね。
そこから子供ができないという目に見えないストレスと、長男の嫁というプレッシャー…。
心療内科にも行ったなぁ〜
なんだか精神的に苦しくなると薬を飲んだ。
子供ができない私は女として失格なんじゃないかと自分を責めた。
子供好きな旦那を、父親にしてあげれない
罪悪感が私には苦しかった。
旦那には心配かけたくなくて、相談はあまり出来なかったなぁ……。
ある日、手相見てくれる占い師さんのところに行った。
以前も結婚する前に行ったことがあり、どうしても赤ちゃんが私に出来るのか、視てほしかった。
そしたら、意外な言葉が帰ってきた…。
SHIHOさん、子供ができますよぉ〜大丈夫!うん、大丈夫ですよ。
望めば4人出来ます。来てくれます。29歳、最後が41歳まで望めばできますよ(^^)と言われた…。
涙が溢れた…。
初めて希望が見てた気がした。
わたしはそこから諦めなかった。
この言葉を信じ、全力でなんとか頑張ってみようと思えた瞬間だった。
本当に占い師の方の、その言葉を胸に。
いつも思い出し自分を保った。
情報が欲しくて、色んな方に不妊の相談をした。
以前はなんだか不妊の話なんて一切出来なかった…。
でも、一人になり考え込むとすごく不安定になり涙が止まらなくなる。
少しでも気持ちを保とうとスポーツクラブに毎日、
独身から続けていたエアロビと筋トレとサウナに通った。
ちょうど9月に大会があった。
その大会に出たくて、そして、
決勝進出を目指して見たかった♡
専業主婦の私はほとんど日中は練習と筋トレに明け暮れた。
今思えばスポーツ選手みたい。
私体脂肪13パーセントまで落ちた。
体重も落とした。
お腹バッキバキに割れてた👍
専業主婦だったので家事が終わったら、毎日のようにスポーツクラブに通い練習してた。
汗をかいている時だけ、救われた気がしたよ。
何かに取り憑かれたようにやっていた。
楽しかった♡やっぱり汗をかくって大好きだった。
一方で…
地元の大学病院では、
卵管切除ですねと言われた。
片方、もしくは両方だと。
必然的に自然妊娠はムリだということ。
切除なんて嫌だった…
トントンと手術日が決まりそうだった。
手術は待って欲しいとお願いし、模索し続けた。
長いので続きます…
ちょっとお参りに…(*´∀`*)