国指定史跡 讃岐 さぬき 遍路 へんろ 道 みち -根香 ねごろ 寺 じ 道 みち - 四国八十八ヶ所霊 場 れいじょう を巡る遍路 へんろ 道は,四国 4 県にまたがる空海 くうかい (弘法大師 こうぼうだいし )ゆかりの寺院を巡る 1400km におよぶ壮大な巡 礼 じゅんれい 道で,古来より人々の往来や文化交流の舞台となり,数多くの石造物等の 文化財が残されています。また,札所 ふだしょ 寺院や庵 あん ,遍路道では,地元住民が遍路に対して食べ物を提供し たり,必需品を提供したりする「お接待 せったい 」という行為が行われており,この「お接待」と呼ばれる心の 文化も民衆が長い歴史の中で創り上げたものです。このように遍路道には物心両面にわたり,人びとに よって今日まで受け継がれてきた巡礼に関する文化財や習俗が残っています。 四国八十八ヶ所霊場を巡る遍路の始まりについては定かではありませんが,第 80 番札所国分寺本堂 には永 えい 正 しょう 10 年(1513)の落書に「四国中辺路,同行只二人納申候」の墨書 ぼくしょ 銘 めい が残されており,遍路の 歴史が中世末まで 遡 さかのぼ る可能性があります。 香川県には 22 ヵ所の札所寺院とそれらをつなぐ約 185kmの遍路道があり,そのうち第 81 番札所白 しろ 峯 みね 寺から第 82 番札所根香 ねごろ 寺間の遍路道である「根香寺道」は,高松市と坂出市にまたがる五色台にあ り,歴史的な面影を残し,道沿いには道 標 どうひょう ・丁 石 ちょうせき 等の石造物が残っています。道標は,主に白峯寺か ら根香寺の遍路道と別の札所寺院へ遍路道が分岐する場所に設置されています。丁石も道標と同様に重 要な構成要素で,白峯寺から根香寺間の遍路道沿いに約 109m間隔で 50 基設置されていたようで,現 在も 41 基が確認できます。 承 応 じょうおう 2 年(1653)の澄 禅 ちょうぜん による『四国遍路日記』には「白峰ヨリ五拾町往テ根香寺ニ至ル」,貞 じょう 享 きょう 4 年(1687)の真念 しんねん による『四国遍路道指南 みちしるべ 』には「これより根香寺まで五十町。」とあり,現在の丁 数と合致しており,少なくとも江戸時代前期には現在の遍路道が使われていたことがうかがえます。 以上のように,讃岐遍路道-根香寺道-は歴史的な面影を色濃く残し,江戸時代前期まで溯ることが 確認でき,歴史的価値が十分あることから,平成 25 年 10 月 17 日に国の史跡に指定されました。
根香寺までの道は全体的に暗くアップダウンが続き足下は比較的に歩きやすいみちです。
自分のペースで歩くことが出来る。
雑木林の間を抜ける感じです。
丁石が距離を表すことは後で知りました。
江戸時代のの面影が残る国指定の史跡に触れることが結願の道への願望でした。
81番白峯寺13:30頃着き打ち終えて直ぐに82番根香寺の遍路道に入ってからまだ一度も休憩していない。
根香寺道を3km満たない遅いペースを保って歩き続けていた。
休むことは時間の無駄を産んでしまい、これから先のことまで考えると無事に着けるか不安がいつも脳裏を過り歩くことに専念していた。
白峯寺への遍路小屋で食べて以来の休憩をとりました。
まだ残っていたおにぎりを食べることにした。
ベンチに座って残っている5個の内2個を味を確かめながら食べる。
雨がぽつりぽつり降ってきました。
山の中は雑木林があって多少の雨は夏の鬱蒼と茂ったはが満ちて傘代わりになって少しの雨は防ぐことが出来た。
雨の降る中リュックの中から雨具と雨合羽を取り出している内に降る雨の状況は激しさを増してきた。
雨具の上下は身につけた物の激しい雷雨の雨には雨合羽を思うように身につけられなかった。
この雨合羽は頭からすっぽり入って顔だけ出せる仕組みになっていて降る雨の勢いに負けて等々着れなかった。
びしょ濡れにはならなかったけれどびしょ濡れに近い濡れ方をしました。
雷雨はほんの一時で雨は止み濡れてしまった持ち物を整理しながらリュックに詰め込みました。
持参した雨合羽 雨具の上下
四国88カ所歩いて回ってきた中で初めて出会ったお接待サービスがありました。
根香寺道を歩いて1時間以上歩いたと思いますがこんな山の山中にジュースが飲めることに感謝しました。
疲れた身体には休憩と飲み物があるなんて事大変うれしかった。
感謝に気持をノートに走り書きしました。
お接待サービスの横には19丁を示す丁石がありました。
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