国分寺からの遍路道との合流点で根香寺からの距離が(19丁、2km)から19丁と呼ばれている。
19丁を過ぎると遍路道は穏やかな平坦な歩きやすい道に変わります。
山道は2mぐらいの幅がありもうここまで来ると後は根香寺へは何時頃着くか足が早足に変わってくる。
途中にはイノシシの注意看板が目に入った。
ここの山道はイノシシの出てくるような趣のある場所でした。
山中の平坦な雑木林で背丈の低木が雑草が密集していた。
急に身体全身に急に出てこられたら大変とばかりその場を急ぎ脱出するような全身使ってイノシシから逃げるように山中を歩いていました。
遍路道から県道に出ました。
19丁からは30ぐらい掛ったと思います。
県道を歩き足尾大明神を見ながら県道180号を更に歩きました。
途中自販機のある場所ではバイクに乗った男性に残りの距離、根香寺までを訪ねると余り時間の話をしないで
左へ曲がるようとだけ聞かされました。
今歩いている180号の県道は広く両側は山に囲まれて車の往来も少ない所に目の前の方から女性が歩いてきた。
見た目はウオーキングぐらいにしか思わなかったが後で考え思い起こすとこんな山道を一人歩く姿は何だったのだろうか不思議に思えた。
もう年配の女性の姿は荷物を持っているわけでもなく身軽な服装をしていた。
いろいろ思いを巡らしながら道路標識を頼りに歩いていた。
大きな木々を見ながら県道180号は長く続いた。
途中の遍路道があったが目もくれず舗装された県道のみ歩きました。
180号線を歩き始めておよそ一時間歩いたと思いますが根香寺の看板が見えた。
県道から山門に近い脇道を通って山門入りました。
五色台の主峰、青峰山に佇ずむ、かつての巨刹。五つの山に金剛界曼荼羅の五智如来を感じた弘法大師は、密教修行の地とし青峰に「花蔵院」を建立されました。後に大師の甥にあたる智証大師が訪れた際、山の鎮守である一之瀬明神に出会い、「この地にある毘沙門谷、蓮華谷、後夜谷に道場を作り、蓮華谷の木で観音像を作りなさい」というお告げをうけました。智証大師は蓮華谷の木で千手観音像を彫造し、「千手院」を建て安置しました。この霊木の切り株から芳香を放ち続けたことから「花蔵院」、「千手院」を総称して根香寺と名づけられたといわれます。根香寺は後白河天皇の帰依も厚く隆盛を極めました。後に、高松藩主らにより再興され、この時に天台宗へ改宗されました。
寺には次のような伝説があります。昔、青峰山には人間を食べる恐ろしい怪獣、牛鬼が棲んでいました。村人は、弓名人山田蔵人高清に頼み退治してもらうことしました。しかし、高清が山へ入れど、なかなか牛鬼が現れません。そこで高清は根香寺の本尊に願をかけました。すると21日目の満願の暁に、牛鬼が現れ口の中に矢を命中。逃げる牛鬼を追うと2kmほど西の定ヶ渕で死んでいるのを発見しました。高清は牛鬼の角を切り寺に奉納。その角は今でも寺に保存されています。また牛鬼の絵は魔よけのお守りとして親しまれています。
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