今の生活は平日は殆どジムで過ごしています。
マシンから、、歩いて、、泳いで過ごす時間を持っています。
老いて行く自分を長く元気に過ごそうと思う狙いを持っている身体と思いまあす。
さて遍路:憧れていた民宿岡田にとまれると思うと胸が熱くなりました。
まだ遍路を始めたもう17年前に民宿岡田を知ることになりました。
徳島高知を歩いている頃88カ所最高所の位置にある雲辺寺の大変さを知る中で岡田民宿を知った。
四国遍路88カ所の中でも難関の札所と記憶していた。
その頃は知らなかったロープウエイが今では簡単に雲辺寺を打つことができます。
ただ今回は雲辺寺を残して置きました。
最後の遍路旅にしたかった。
ここ雲辺寺は66番札所を歩いて登ることに決めていた。
雲辺寺への登り口が民宿岡田でした。
民宿岡田に着くとご主人、、遍路のお父さんが私を迎えてくれました。
玄関先でお父さんから手招きで今晩お世話になる建物の玄関を案内されてお父さんが玄関戸を開けてくれて中に入りました。
玄関は広さは一坪位で靴棚がありいろいろな飾り物が置かれてありました。
私の履いていた高知県途中からの靴を見ていきなり羽生の言葉が出てきました。
羽生に住んでて遍路靴を作っていた職人がここ民宿岡田に泊まった時の話をされました。
羽生靴職人が自分で作った靴を歩いていた実践している話をお父さんが話しました。
このときに私は実際ネットで遍路の靴を探していました。
たどり着いた遍路靴は埼玉県にある羽生の靴屋でした。
家から一時間以上要る離れた羽生まで車で走らせ買い求めました。
実際店の名前はもう月日が経って思い出すこともなくなっていました。
だが実際民宿お父さんからの羽生の言葉が出て記憶がよみがえりました。
玄関で靴を脱ぎ捨てると同時にお父さんは靴の中に白いボールのような物を詰め込みました。
靴の中の湿気を取り除くための配慮でした。
新日本風土記「空海の旅」からお遍路お父さんが登場すると出迎えた遍路旅客に必ず靴の中に汗抜きの湿気を取る事をしてくれていました。
BSのTV通りの行いに私は改めて感謝して誘導されるまま玄関を上がり直ぐ左手の和室に案内されました。
お父さんも一緒に部屋に入りもう扇風機の回してくれていました。
またエアコンの話もして暑かったら付けてくださいとも話してくれていました。
またお風呂の話から到着したばかりなのにもう風呂に入る浴場まで案内してくれた。
玄関入り口から2~3m廊下を通り抜け突き当たりが食堂になって左に折れて正面流し台がある。
流し台手前に扉があり着替え室になっていた。
着替え室には洗濯済みのタオルが置かれ脱いだ衣類の置き場があり左隣がお風呂になっていた。
扉を開けて一坪位の浴場の中は洗い場半分残りが浴槽に作られていた。
浴槽にはもう既に3分の2の湯が入れられてあった。
浴槽の湯加減は熱くなくちょうど良い湯加減で入ることが出来ました。
ちょっと狭いかな・・と印象が残っています。
贅沢は言っていられない。
15分位の風呂時間終えて和室の部屋に戻って廊下の反対側の正面のガラス窓を開けて外を見渡すと全面には田畑が広がり左手には山が見えた。
今日はこの部屋で一晩お世話になる事を思うと感じる物があった。
民宿岡田に到着した時先客を思い出していた。
三角寺で初めて出会った男性が民宿岡田に泊まる話しをしていた時のことを思い出していた。
男性は私よりも30歳以上若い。
歩く速さは段違い。
私が民宿岡田に着いた時間はもう5時半を回った時間。
もう男性は恐らく私より2時間以上早く着いて寛いで明日に備えているだろう事を想像していた。
風呂に入っているときももう私より後から風呂に入る人はいないだろう・・思いながら身体を浴槽に埋めてぼんやり過ごしていた。
風呂から上がり部屋の戻るともう次に待っている物は洗濯する事。
汗で濡れた匂いが隅々まであるシャツを初め下着を予め聞いておいた洗濯機のある場所へ100円持って行きました。
洗濯機行き場は玄関出て右手外に置き場所がある。
100円硬貨を入れて洗濯機のスイッチ入れると乾燥まで備わっていた。
洗濯機を回してから部屋に戻り明日に備えての準備を始めました。
要る物不必要な物直ぐに取り出せるような物色々とリュックの詰め込みに注意を払いながら詰め込む準備でした。
そうこうして整理整頓していると廊下のガラス戸が開き女将さんが夕食の準備が出来ましたからと言ってきました。
時間は6時半頃だったと思いますが廊下を出て突き当りの食堂の戸を開け入ってみると広さ8畳ぐらい広さの中央のテーブルに囲むように夕食膳が出来上がっていました。
もう先客の若い男性は座っていて私の到着を待っていた。
私と向かい合う格好になっていた。
隣にお父さんが座って女将さんが私達のための夕食準備終えて隅に立っていてご挨拶をして初めてお会いした。
今晩の宿の宿泊は二人だけの夕食でした。
二人の夕食の間お父さん女将さんが付き合ってくれた。
食堂の中の壁は全体が壁一色に写真が貼られていました。
写真全てが民宿岡田に宿泊して送られてきた写真を貼って占めていました。
お父さんと若い男性遍路とで色々と話していた。
私は区切り打ちで今回の遍路が7回目の最終回と決めていましたが
若い男性は通し打ち一度も家に帰ることもなく88番最後打ち終えるまで歩いている。
私はお父さんが地図を広げて話している様子を横目に見ながら聞いていました。
地図というのはおとうさんが自分で作ったコピー地図を明日打つ予定の雲辺寺までの道のりです。
一生懸命教えてくれていた。
若い男性とお父さんの話の内容は他にも民宿岡田に関わりのある著名人の作家の書いた図書を広げて
色々説明をしていた。
私が食堂に入る前からもうお父さん若い男性は会話をしていた。
ここ民宿岡田は沢山の遍路客を泊めていた歴史あるお父さんです。
いろいろな書物から絵画から送られて貼られ飾り付けられ置かれていました。
私は女将さんに夕食に呼ばれたときには撮らなければ・・とカメラを準備して食堂に持ち込みました。
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