島崎城には、外周をめぐる水堀があったことは確認されています。
近隣の玉造城にも水堀の跡が今も残っており、同じく潮来市内の長山城にも水堀があったと思われ、鹿行地区の中世の城跡には多数の水堀があったことが知られています。
今から 33 年前の 1988 年に行われた、日本城郭史学会の西ヶ谷恭弘先生の島崎城発掘調査団における発掘調査によると、一の曲輪外周堀では、水の手曲輪と馬出曲輪の間に空堀が残っており、馬出曲輪側の堀切は、昭和 55 年度に埋められ現状のように浅い空堀になっています。また、水の手曲輪側は、岩壁を直角状に掘る「掘り込み型」で、堀が良く保存されています
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