水の手曲輪予測図
水の手曲輪
馬出曲輪と西Ⅱ曲輪との中間,鞍部状の窪みを平場に造成L字状に空堀をめぐらす水の手曲輪(仮称)がある。東西42m・南北35m,約1032㎡の面積である。西側に「大井戸」と 呼ぶ径4mの岩盤を刻り貫いた丸井戸があり,現状では深さ3mほどであるが,昭和30年代辺りまでは水を湛えた井戸で,危険なため教育委員会と御神社氏子により埋め立てたのである。この丸井戸の周囲は5mほど楕円状に掘り込まれ水汲み場・水屋施設の平場が形成されている。
地元には,「天正19年(1591) 年,城主島崎安定が佐竹氏によって謀殺された折,佐竹勢が島崎城を攻擊,城は落ちてしまう。島崎一族の者が島崎家家宝の黄金の鳥を、この大井戸に投げ込んだ」という伝説がある。全国的に流布する落城金鶏伝説で,一般には落城の日とか正月に金鶏が鳴くという話が付くものである。
さて、この大井戸遺構の東側に,平場が形成される。標高24mで、1曲輪より4.5m,馬出曲輪より5m,西Ⅱ曲輪より4.5m低い。南側一部に空堀に並行する土塁(高さ1.5m) が 残る。この土塁は、空堀 堀底道のカーブ地点にあたり、堀底道への物見台的機能があったとみられる。また,平場は北側に鋭く突出する形で出張るが,これは虎口からの進入に対する物見,横矢に対する出張りである。
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