イマジンを歌って集団的自衛権行使を打ち砕こう
●負の歴史を繰り返すな
今年は第一次世界大戦が始まった年から100年目である。
バルカン半島で起こされた戦火はわずか4カ月後には欧州全域を巻き込み、アフリカなど植民地諸国を覆う、初の世界大戦にまで拡大してしまった。それから20数年後の第二次世界大戦は文字通り全世界を巻き込んでしまった。アジアでは日本が盧溝橋事件をもって一気に戦線を拡大し、泥沼的な侵略戦争にのめり込んでいった。
第一次世界大戦の悲惨を描いた反戦映画の名作『西部戦線異状なし』の中で志願兵の青年兵士が語るように、“戦争に狩り出されているドイツとフランスの人民には何の対立もない。戦争でもうけようとしている資本家と政治家に利用されている”ことが戦争の本質だ。そして彼は最前線の塹壕の中で無惨に死ぬのだ。
今日の世界情勢をみる時、日本での集団的自衛権と集団安全保障をめぐる安倍政権の恐るべき暴走は、前述した地球的規模での負の歴史を繰り返すものとしか考えられない。しかも、故水戸巌氏が語ったように世界中に核兵器と原発が大量に存在しているのだ(『原発は滅びゆく恐竜である――水戸巌著作・講演集』)。想像するだに鳥肌が立つ。自衛隊の他国への派兵を何としても阻まなければならない。
●「名誉ある非国民として生きていこう」
集団的自衛権をめぐる国会内の議論は全部でたらめな議論だ。戦争とはどんな実態なのか、戦争がなぜ起こるのか、戦争の結果はどのようなものか、人間は戦争遂行にたえられるのか、軍隊とは何なのか、日本軍「慰安婦」制度はどのような苦しみをアジア人女性に強制したのか、沖縄で強いられた集団自決の地獄絵を忘れたのか、10代・20代の若者を戦場に送って人殺しをさせるのか、未来ある若者を死地に送るのか、などなど、現代のもっとも根源的な怒りをすべて覆い隠すのが、今の集団的自衛権論議なるものだ。
「憲法9条のもとで認められる武力行使の3要件」だとか「具体的事例としての8事例」だとか「集団安全保障への参加も可能」だとかを焦点にしているが、「限定的」武力行使などありえない。武力行使は武力行使であり、戦火を交えることであって、そこに制限を設けることなどできるわけがない。だから武力行使それ自体を禁止し、完全封印し、放棄するというのが、戦後日本がアジアと世界に向かって誓ったことであり、自らの決意としたことなのだ。
憲法第9条は、戦後日本の反戦平和、反戦・反核の決定的な基準の一つとなった。けれども、憲法第9条があろうがなかろうが、「戦争反対」は日本の労働者人民一人一人が生活の原点にしてきたことなのだ。
日本の反戦運動は、その後、1970年代以降、はっきりとアジア人民への侵略と植民地支配、侵略戦争への加担を明確にさせ、侵略国・帝国主義的抑圧民族の労働者人民としての加害責任を自覚してきた。朝鮮、中国をはじめとするアジア人民との連帯を意識的に追求しながらたたかってきた。この質、この地平を今こそしっかりと踏まえていく時ではないだろうか。
少し前のある集会で落合恵子さんが心に強く響く発言をした。
「国際オリンピックの会議で、『アンダー・コントロール』と原発について仰った、この国のトップに、私たちはその言葉を返しましょう。『あんたの支配下には、絶対入らない』と。
絶対コントロールされない、むしろ戦争をしたいあなたたちを、戦争をさせないと決めた私たちがコントロールしていくんだと、心を込めて、怒りを込めて、無念さを込めて、でも絶望の真ん中にあるという希望はけっして手放すことなく、私たちは、支配させない自分たちを誇りに思いましょう。
従順であることを善き国民と言うならば、私たちは名誉ある非国民として生きていこうじゃないか。」
(3.20「憲法を破壊する集団的自衛権行使反対! 戦争をさせない1000人委員会出発集会」から)
落合さんが言った「名誉ある非国民として生きていこう」という呼びかけはとても大事なことだ。これは、人間としての当たり前の生き方なのだということを皆で確認したい。
最後にジョン・レノンの「イマジン」を思い出して、一緒に歌おうと言いたい。この歌は今さら解説するまでもなく、戦争のない、差別も支配もない新しい世界を歌ったものだ。国家と国家の対立にけっして惑わされず、非国民と非難されることなど少しも恐れず、すべての人間が仲間になれば世界はひとつになる――ジョン・レノンのメッセージは不滅だ。皆で街頭に出て、集団的自衛権行使容認を葬り去ろう。
●イマジン ジョン・レノン作詞・作曲(1971年)
想像してごらん、天国はないと 簡単でしょう
地面の下に地獄もない 私達の上に空があるだけ
想像してごらん、全ての人間を、今日を生きている
想像してごらん、国境のない世界を そんなに難しくないさ
命を奪う武器もなくて 宗教の違いもない
想像してごらん、全ての人間を、平和に生きている
僕は夢見人かもしれないけれど 一人ぼっちじゃないよ
いつの日か仲間になって 世界がひとつになる
想像してごらん、財産のない世界を あなたにできるだろうか?
欲張りや飢餓の心配もない 人類のきょうだい愛
想像してごらん、全ての人間を、世界を分かち合う
僕は夢見人かもしれないけれど 一人ぼっちじゃないよ
いつの日か仲間になって 世界がひとつになる
(王様直訳バージョン 1996年)
2014年6月29日
かおる
●負の歴史を繰り返すな
今年は第一次世界大戦が始まった年から100年目である。
バルカン半島で起こされた戦火はわずか4カ月後には欧州全域を巻き込み、アフリカなど植民地諸国を覆う、初の世界大戦にまで拡大してしまった。それから20数年後の第二次世界大戦は文字通り全世界を巻き込んでしまった。アジアでは日本が盧溝橋事件をもって一気に戦線を拡大し、泥沼的な侵略戦争にのめり込んでいった。
第一次世界大戦の悲惨を描いた反戦映画の名作『西部戦線異状なし』の中で志願兵の青年兵士が語るように、“戦争に狩り出されているドイツとフランスの人民には何の対立もない。戦争でもうけようとしている資本家と政治家に利用されている”ことが戦争の本質だ。そして彼は最前線の塹壕の中で無惨に死ぬのだ。
今日の世界情勢をみる時、日本での集団的自衛権と集団安全保障をめぐる安倍政権の恐るべき暴走は、前述した地球的規模での負の歴史を繰り返すものとしか考えられない。しかも、故水戸巌氏が語ったように世界中に核兵器と原発が大量に存在しているのだ(『原発は滅びゆく恐竜である――水戸巌著作・講演集』)。想像するだに鳥肌が立つ。自衛隊の他国への派兵を何としても阻まなければならない。
●「名誉ある非国民として生きていこう」
集団的自衛権をめぐる国会内の議論は全部でたらめな議論だ。戦争とはどんな実態なのか、戦争がなぜ起こるのか、戦争の結果はどのようなものか、人間は戦争遂行にたえられるのか、軍隊とは何なのか、日本軍「慰安婦」制度はどのような苦しみをアジア人女性に強制したのか、沖縄で強いられた集団自決の地獄絵を忘れたのか、10代・20代の若者を戦場に送って人殺しをさせるのか、未来ある若者を死地に送るのか、などなど、現代のもっとも根源的な怒りをすべて覆い隠すのが、今の集団的自衛権論議なるものだ。
「憲法9条のもとで認められる武力行使の3要件」だとか「具体的事例としての8事例」だとか「集団安全保障への参加も可能」だとかを焦点にしているが、「限定的」武力行使などありえない。武力行使は武力行使であり、戦火を交えることであって、そこに制限を設けることなどできるわけがない。だから武力行使それ自体を禁止し、完全封印し、放棄するというのが、戦後日本がアジアと世界に向かって誓ったことであり、自らの決意としたことなのだ。
憲法第9条は、戦後日本の反戦平和、反戦・反核の決定的な基準の一つとなった。けれども、憲法第9条があろうがなかろうが、「戦争反対」は日本の労働者人民一人一人が生活の原点にしてきたことなのだ。
日本の反戦運動は、その後、1970年代以降、はっきりとアジア人民への侵略と植民地支配、侵略戦争への加担を明確にさせ、侵略国・帝国主義的抑圧民族の労働者人民としての加害責任を自覚してきた。朝鮮、中国をはじめとするアジア人民との連帯を意識的に追求しながらたたかってきた。この質、この地平を今こそしっかりと踏まえていく時ではないだろうか。
少し前のある集会で落合恵子さんが心に強く響く発言をした。
「国際オリンピックの会議で、『アンダー・コントロール』と原発について仰った、この国のトップに、私たちはその言葉を返しましょう。『あんたの支配下には、絶対入らない』と。
絶対コントロールされない、むしろ戦争をしたいあなたたちを、戦争をさせないと決めた私たちがコントロールしていくんだと、心を込めて、怒りを込めて、無念さを込めて、でも絶望の真ん中にあるという希望はけっして手放すことなく、私たちは、支配させない自分たちを誇りに思いましょう。
従順であることを善き国民と言うならば、私たちは名誉ある非国民として生きていこうじゃないか。」
(3.20「憲法を破壊する集団的自衛権行使反対! 戦争をさせない1000人委員会出発集会」から)
落合さんが言った「名誉ある非国民として生きていこう」という呼びかけはとても大事なことだ。これは、人間としての当たり前の生き方なのだということを皆で確認したい。
最後にジョン・レノンの「イマジン」を思い出して、一緒に歌おうと言いたい。この歌は今さら解説するまでもなく、戦争のない、差別も支配もない新しい世界を歌ったものだ。国家と国家の対立にけっして惑わされず、非国民と非難されることなど少しも恐れず、すべての人間が仲間になれば世界はひとつになる――ジョン・レノンのメッセージは不滅だ。皆で街頭に出て、集団的自衛権行使容認を葬り去ろう。
●イマジン ジョン・レノン作詞・作曲(1971年)
想像してごらん、天国はないと 簡単でしょう
地面の下に地獄もない 私達の上に空があるだけ
想像してごらん、全ての人間を、今日を生きている
想像してごらん、国境のない世界を そんなに難しくないさ
命を奪う武器もなくて 宗教の違いもない
想像してごらん、全ての人間を、平和に生きている
僕は夢見人かもしれないけれど 一人ぼっちじゃないよ
いつの日か仲間になって 世界がひとつになる
想像してごらん、財産のない世界を あなたにできるだろうか?
欲張りや飢餓の心配もない 人類のきょうだい愛
想像してごらん、全ての人間を、世界を分かち合う
僕は夢見人かもしれないけれど 一人ぼっちじゃないよ
いつの日か仲間になって 世界がひとつになる
(王様直訳バージョン 1996年)
2014年6月29日
かおる
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