
先程から降り始めた雨のしずくが、頭上の木の葉を揺らし、時折その間をすり抜けた雨粒が私の皮膚にあたる。
外から見るよりも、森の木々は大きく感じられる。上を見上げると高くそびえる木々の枝葉の先に、ようやっと空が少し垣間見えた。
自分の靴が草や枝を踏みつける音を聞きながら、その足が赴くままに歩き続けているうちに、周りが一段と暗くなっていることに気がつく。
「あれ、いつのまにこんな暗くなったんだ・・・」
まるで繋がりのない夢の中にいるように、いつの間にか日は沈んで、この森には夜が訪れていた。もう雨は止んでいる。
森の中で夜になってしまったというのに、今の自分の視界は闇に閉ざされていない。
不思議に思いながら歩き続けていると、目線の先で鬱蒼と立ち並ぶ木々の間から突如キラキラと光るものが見えてきた。
その光に向かって、私は歩みを先へと早めた。
― 湖だ。
木々が立ち並ぶ森の中から不意に拓けた場所へと躍り出た時、夜空の月の光が反射して煌めく大きな湖面が目の前に現れた。
時折微かな風を受けて生まれた小さなさざなみが、水際に寄せてはちゃぷちゃぷと音を立てている。その湖面に夜空の月の明かりが映り込み、まるで湖の奥からこちらにつながる道のような光の筋をつくっていた。そして、夜空には今までに見たことのない大きさの月が浮かんでいる。辺りの闇を幻想的に青白く染めてるのはこの月から放たれる光だった。
なんて大きな月なのだろう。
私は普通の月の2倍も3倍もあるような巨大な月に目を奪われながら、湖の波打ち際まで近づいた。
深い緑の木々が立ち並ぶ森の中に、ポッカリとあいた夜空と大きな月。目の前に広がる湖。
その湖に映る月の光の道は、まるで別の世界に通じているのではないかとさえ思える。
思わず見惚れるような幻惑的な光景だった。
目を凝らして湖面を見ると、風で揺らぐ水と光の中に、ただ1つ動かない黒い影が浮かんでいるのが見えた。
固まっていたその影は、微かに動いた。人の後ろ姿だ。胸から下は湖の中にある。
黒い影が少しだけ横を向いた時、白い頬と鼻、私のよく知る横顔の輪郭を月の光が映し出す。
私は咄嗟に叫んだ。
「アサダさん!?」
その声は湖の湖面をつたい森に響くようにこだました。
しかし、湖の中のその影は動かなかった。
私は居ても立っても居られずそのままの格好で湖の中に足を踏み入れた。
「うわっ!」
一歩踏み入れて靴の中へと染み込んでくるその水は、思わず声が漏れるほど冷たかった。
凍る寸前の温度のようだ。
私の怯んで足を止めた私の心には、湖からの強く硬い拒絶感を覚えさせられた。
こんな冷たい水の中にしばらくいればアサダさんが無事でいれるわけがない。
そう思った私の足は、再び動き出す。
「アサダさん!戻ってきてください!」
枯れんばかりの大きな声で叫ぶ。
ここからのアサダさんと思われる人影までの距離はざっと30m近くはあった。
一歩一歩進むごとに、少しずつ深くなる冷たい水が、私の体と心を凍りつかせるように内側に染み込んでくる。
水圧で体が思うように前に進まない中で、この世界そのもののの温度が失われていくようにさえ思えた。
それでも私は足を止めるわけにはいかない。
こんな冷たい夜の湖の中で、アサダさんを一人にしてはいけない。
その思いだけを唯一の火種として、私の身体は前に少しずつ進んでいく。
何がなんだかわからないけれど、とにかく彼女を救え。
自分の胸は、確かにそう言っていた。
・・・つづく。
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