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誰も知らない、ものがたり。

巡りの星 93

 アサダさんはうずくまったまま目を閉じ、しばらく自分の胸に両手を当てて動かなかった。
 光となって自分の中に同化した小さなアサダさんの温もりを、その手で確かめるように。
 少しして、それまで小刻みに震えていたアサダさんの肩が、呼吸に合わせてゆっくりと落ち着きを取り戻したように上下する。
 無言でその細い肩にそっと手を触れると、アサダさんはようやく立ち上がり、俯いたまま私の胸に顔をうずめる。
 私は再びアサダさんをしっかりと抱きしめた。

「・・・ありがとう」アサダさんの小さく掠れた声が聞こえてくる。
「子供の頃の意識が、いま私の中でつながった・・・イナダくんに助けられちゃったみたいだね」
 身体の中に溶け込んでいった小さなアサダさんの意識と、いまアサダさんは一つになったのだ。
 それは過去の自分自身との邂逅で生まれる、意識の安定。
 不可思議な時間と意識のパラドックス。今の私には、なぜかその全てがすんなりと理解できる気がした。
 しかし、それは束の間の安堵であることも、同時にわかっていた。

「・・・ごめんね」アサダさんはそう言いながら顔を上げ、私の目を見てまたすぐに目を伏せてしまった。

 上を見上げると、さっきよりも更に大きく近づいた月が見える。
 静かに、ただ静かに、月はこの世界の大地を吸い込み続けていた。
 周りを見渡すと、ヒカルやリン、おばあちゃん、そしてもうひとりの眠り続けるアサダさんを残して出てきた丘の上の小屋の屋根が見えた。しかし、そのすぐ先に深遠で底の見えない闇の谷がすんでのところまで迫っている。
 意識体となって湖の上に浮かんでいる私たちの周りの僅かな土地を除いて、この世界はもうあらかた月に呑み込まれていってるようだった。

 私は理解せざるを得なかった。もう間に合わないという事実を。
 この世界の消滅は、同時に宇宙の消滅を意味することを。
 これまで命を懸命につないできてくれた過去の人たちの営みが、すべて無に帰すということを。
 この先もずっと続くはずだった、未来の選択肢が消滅するということを。

 そして、この土壇場に来て、ようやく思い知らされた気がする。アサダさんが悪いんじゃない。月にも罪はない。自分はただただ、あまりにも無力だった。
 すべては巡り合わせの結果で、今この世界のターニングポイントが訪れているのだ。
 無数の人と人の縁が糸のように絡み合い、複雑に織り重ねられた”巡り”。それは、自分ひとりがあがいた所で、どうにもならないのだ。だから、これからもう数分もしない内に訪れる世界の終焉は、こうなるように定められた、避けようのない運命だったのではないかと。

 自分の心の中で灯すことができると、どこかで信じ続けていた希望の光が、今まさに風前の灯火として消えようとしていた。


・・・つづく
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