誰も知らない、ものがたり。

巡りの星 04

「え?なんです、それ?」
「シッ!ほら、会議室に部長いるよ…!」
会議室の目の前に立ったアサダさんは人差し指を口に当て、顔を私に近づけながら目を覗き込み、声を出す私をたしなめた。その時、不意にアサダさんの黒い瞳の奥に、私が今まで感じた事のない親密な雰囲気を感じ取り、混乱した私の感情はさらに大きく揺れ動く。

アサダさんが会議室の扉を開けて中に入るなり、少しトーンの高めの声を上げた。
「おつかれさまです、橋爪部長、ただ今戻りました。」
アサダさんの呼びかけに、落ち着いたトーンの男性の、柔らかな声が返ってくる。
「おおアサダさん、お疲れさま。イナダ君もいるね。」

その声の主は、当然私の知る橋爪部長なのだが、そこにいたのは私の知る橋爪部長ではなかった。いや、正確には、見た目も声も橋爪部長そのものであるが、そに瞳の柔らかさ、そして、その柔和な表情や仕草から感じ取れる人物全体の雰囲気からは、これまで、何度も鬼の形相で詰められてきたあの敏腕オニヅメ部長の面影は微塵も感じられず、包容力と思いやりに満ちた、なんというか、すごく暖かみに満ちた、理想の上司の姿そのものだった。

「ん、どうした?イナダ君。何を驚いてるの?」
橋爪部長に問いかけられ、慌てて平静を装うように返事を返す。
「い、いえ、何でもありません橋爪部長。ただ今視察から、戻りました。」

 少し様子のおかしい部下の具合にも、穏やかな瞳の優しい笑みで応える、素敵な橋爪部長。
「いやあ、悪かったね、海外出張中に突然呼びつけてしまって。」

 柔らかな声のトーンに影響されてか、私の心も徐々に落ち着きを取り戻していき、部長に応える。
「いえ、それほど大事な要件ということで、量子テレポーテーションで飛んで帰ってきました。」

「ふふふ、イナダくんったら、しばらくテレポートボケなんですよ。」
 すかさずアサダさんが付け加える。

「そうか、それはご苦労だったな、もう大丈夫かい?」
 気遣いの目を向けてくれる橋爪部長に対して、心配を掛けてしまったことに申し訳なく思う気持ちが突如膨らむ。これまでに抱いたことの無い感情だった。
「は、はい、もう、大丈夫です!ちょっとだけ、混乱してしまったみたいですが、すっかり良くなりました!」
 その言葉を聞いた橋爪部長は笑顔でうなずき、話を続けた。

「ホログラム通信ができるこの時代に、二人に直接話をしたいだなんて、驚いたろうね。しかも、イナダくんは海外出張中に呼び戻されてまで。」
 橋爪部長はアサダさんと私に交互に目を向ける。
 アサダさんもよほど、この素敵な橋爪部長のことを信頼しているに違いない。部長の問いかけに、なんだか乙女のように素直で潤った瞳で受け止めながら応える。

「ええ。でも部長のことですから、通信では伝えられらない、きっと大切なことをお伝え頂けるものかと思って。」

 アサダさんが少し頬を紅潮させているよう見える。ひょっとしたら、女性としてこの橋爪部長に好意を抱いているのでは無いか、とさえ感じる。

「そうなんだ。ホログラム通信は便利なんだが、大事なものが伝わらない欠点がある・・・」

 橋爪部長の柔らかな瞳にまっすぐに見つめられて、同性である私もなんだかドキッとする。少し間を置いて部長は続けた。

「・・・それは、私の熱意の温度だ」

 それまで柔らかだった部長の瞳の奥から、熱くて思い重力のようなものが生まれ、私とアサダさんの心をつぶさに捉えるのが、自分でも手に取るようにわかった。胸のドキドキが収まらない。
 アサダさんもすっかりその重力に呑まれているのが、雰囲気で判った。ちくしょう、なんて素敵な橋爪部長。


(つづく)
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