前回までのルート:
1日目 (静岡→戸田公園→高崎→越後湯沢→石打)
2日目 (石打→青海川→新潟→新発田→新津→新潟→(府屋往復+村上往復)→新潟)
鉄道の日に更新できなかったのがつらい……
――2013年8月26日(月)――
大変長らくお待たせいたしました。長かった帰省という名の旅もこの日が最後となります。
最後の日となる本日のルートは、題して「485系祭り」。新潟の485系をこれでもかと乗った後、青森に抜けて「はまなす」で札幌へと帰ります。
本日乗る485系列車はこちらです。
1.北越2号(新潟→金沢) 乗車区間:新潟~直江津
2.くびき野3号(新井→新潟) 乗車区間:直江津~新潟
3.いなほ7号(新潟→秋田) 乗車区間:新潟~秋田(全線)
3本も乗るのは、E653系投入で廃車の可能性が高いT編成に乗れる可能性を増やすためです。「くびき野」はT16・T17編成が限定的に使われていますが、「北越」「いなほ」はR編成と共通運用されているので、どちらがくるかは乗ってみないとわかりません。昨日(25日)の「いなほ7号」もT編成に期待していましたが、結果はR編成でした。
朝7時。泊まったホテルを出発します。ちなみにお値段は1泊約3000円。部屋もちゃんとしたシングルルーム。さらに簡単な朝食(パン+飲み物)付きでこのお値段です。懐にやさしい宿でした。
万代口の改札をくぐり、ホームへ。
1番線にはS12編成を先頭にした普通列車がいました。
本日の1番列車の「北越2号」は8番線です。さて、編成は……
祝! T編成!!
ということで、上沼垂色の485系がお出迎えしてくれました。
編成はT12編成です。
伝統の国鉄書体で書かれた「特急北越 金沢」の方向幕。
先頭車の客室ドアでは、緑のJRマークが存在感を放ちます。
ここからは恒例の車両撮影会です。
最後尾のクハ481-1027から、先頭のクロハ481-1026まで。
太陽の加減で、クロハ481-1026に架線柱の影ができてしまっています。正面だけで20枚近く撮っていますが、全てに影が入っていました。見苦しい写真となってしまったことをここでお詫びいたします。
新潟の駅名板と上沼垂色。駅名板の青は信越本線、赤は白新線のラインカラーです。
上越新幹線の高架と485系。新潟駅は在来線の高架化工事をしており、完成すると新幹線と特急が対面乗り換えできるようになるとのことですが、果たしてT編成はそのころまで残っているでしょうか……
雲一つない快晴の空の下、T12編成は静かに発車を待ちます。
大体とり終わったので、車内に乗り込みます。
1号車のグリーン室。外見は原型のままのT編成も、R編成同様に座席の交換がされています。ことにグリーン車に関してはT・R・Kの全編成が同じものとなっています。この時点では乗客は1人だけでした。
3号車の指定席車両。やはりガラガラです。
直江津までの旅路は4号車の自由席で過ごすことにしました。
写真を撮っていませんが、自由席に当たる4~6号車の座席は、485系登場当時の簡易リクライニング仕様をもつR51改。全体的にチープさがあるものの原型に近い座席でした。
[信越本線(・北陸本線) 3002M 特急 北越2号 新潟7:55→金沢11:31]
《新潟 7:55発》
(編成:新ニイT12)クハ481-1027+モハ485-1016+モハ484-1016+モハ485-1015+モハ484-1015+クロハ481-1026 →金沢
新潟と金沢を結ぶ「北越」は、数多くの列車が走る日本海縦貫線の中でなかなか芽が出なかった列車です。
「北越」が登場したのは1969年。大阪と新潟を日本海沿いに結ぶ特急として誕生しました。第4回でも書きましたが、新潟を素通りする(=羽越本線経由)列車が多いのは信越本線側も同じで、多くは大阪~青森を通しで走る列車ばかりでした。後に大阪~新潟を結ぶ夜行急行となる「きたぐに」も、この時は大阪~青森間の運転です。新潟駅を通る北陸本線方面の列車は、このほかに特急「白鳥」(大阪~青森:1965年から新潟駅経由に変更)、急行「越後」(金沢~新潟:ある意味現在の「北越」のルーツ)、「しらゆき」(金沢~青森:当初金沢始発は秋田行きだった)があるのみでした。
この年は臨時列車として運転し、翌年から定期運行を開始。しかし、車両・運用ともに「白鳥」や「雷鳥」(大阪~金沢・富山)の補佐的な立ち位置でした。10年後の1978年、2往復になっていた大阪~新潟間の「北越」は「雷鳥」に変更。毎日運行の臨時便だった金沢~新潟の1往復だけが残ります。
「北越」が日の目を見るようになるのは1982年のこと。上越新幹線の開業で、「北越」は長岡で新幹線からの乗客を乗せ、東京⇔北陸ルートの一端を担うようになりました。これを受けて「北越」は4往復体制へと強化。翌年には「しらゆき」の流れを継いでいた福井~青森間の「白鳥」が系統分割され「北越」に編入、5往復になりました。
1988年、人気となっていた長岡以西に「かがやき」が登場します。金沢―富山―直江津―長岡という、新幹線連絡に特化した特急です。翌年には2往復増え4往復体制になりますが、同時に新潟まで走る「北越」は縮小。長岡~新潟が普通列車となったり、運転をやめる列車まででました。
1997年、北越急行経由の「はくたか」が誕生。元は上野~金沢[上越線経由]の特急に使われていた名称(さらに元をたどれば「白鳥」の分割編成)です。上越新幹線開業とともに、長岡~金沢間を「北越」に吸収される形で消滅した恨みなのか、10往復という圧倒的な物量で新幹線連絡列車の座を奪い取りました。6往復あった「かがやき」と長岡発着の「北越」が消え、「北越」は金沢~新潟の2往復のみとなります。
このままでは消滅も間近と思われた2001年のこと。大阪~青森を結んでいた名門特急「白鳥」が廃止され、「雷鳥」「北越」「いなほ」に3分割されました。さらに、新潟発着の「雷鳥」も分割。かつて「北越」と名乗っていた2往復も、金沢以東だけですが「北越」に復帰することになりました。
こうして、「北越」は現在の5往復に至ります。
旧新津市との境になる小阿賀野川を渡ります。
市街地から離れ、あたりは田んぼが占めるようになります。
複雑な配線をぬけ新津駅へ。「SLばんえつ物語」の客車が休んでいました。
《新津 8:09発》
新津からは直線となり、485系の本領発揮。新津製作所の脇をぬけ、なおも加速します。
すれ違う列車がみんな115系なのは新潟では当たり前なことなのです。朝ラッシュは115系をフル活用でしのぎます。
黄金色の田んぼの脇を駆け抜ける485系。
弥彦線との分岐点・東三条に停車。金物業で名高い三条市の中心駅で、特急を含めて多くの列車が停車します。
三条市は新潟県のほぼ中央にあります。ここを出ると、新潟都市圏から長岡都市圏へ。
《東三条 8:28発》
三条は県内では新潟・長岡・上越に次ぐ都市で、線路脇にも住宅が多く建ちます。隣には同じく金物業で名をはせる燕市があり、市街地も連続しています。合併すればよさそうですがなぜかいがみ合っており、新幹線の駅(燕三条駅)や高速道路のインターチェンジ(三条燕IC)では名前の順番でもめています。けんかするほど仲がいい……なわけではないようです。
再び田園風景の中を突っ切ると、右手に上越新幹線の高架が見えてきました。まもなく長岡です。
《長岡 8:47発》
「はくたか」にシェアを奪われたとはいえ、長岡で新幹線と接続する「北越」はリレー列車の役割を担っています。ただ、「北越2号」は「はくたか1号」(金沢10:53着・「北越2号」は金沢11:31着)と同じ新幹線から接続する上、「はくたか3号」(金沢11:59着)の前を走っているため、乗り換えに分があるとはいえません。事実、ガラガラの車内は長岡を出ても相変わらずでした。
こんな調子なので、2015年の上越新幹線開業後は、新幹線リレー列車の「はくたか」と一緒に廃止される方向でした。しかし、新潟県側、特に上越地方の自治体からは廃止撤回要求が出され、この記事を書いている段階では存廃は未定になっています。確かに、「北越」がなくなると北陸~新潟を結ぶ昼行特急が全廃になるため、移動がしづらくなるのは事実です。並行在来線の境目になる上越市では、新幹線の駅(上越妙高駅・現在の脇野田駅付近を予定)と現在の中心駅(直江津駅・高田駅)が違うため、完全に需要を置き換えられるものではありませんが、第3セクター化で値上げとなる直江津以西に乗り入れるメリットは微妙なところです。
「北越」の問題はそれだけではありません。カラーリングが変わったとはいえ、車両は登場時と変わらず485系。リニューアル車(R編成)・通常車(T編成のうちT11~T15編成)が分け隔てなく用いられているとはいえ、車両の老朽化は隠せません。T12編成は1000番台でも古い車両を多く含み、2つのモハユニットは2016年に40年の節目を迎えます。新潟の485系は「フレッシュひたち」から持ってきたE653系での置き換えが予定されていますが、今のところ「北越」での運転は予定されていません。仮に運転するとして、E653系に置き換えるのでしょうか。まあ、そうすればいまどき珍しい両電源(50Hz/60Hz)対応のE653系の面目躍如ですが。
「北越」の今後を憂えている間に、列車は日本海へと飛び出します。
写真は柿崎を発車してすぐのスナップ。柿崎以西は平地になり、海面レベル+2,3メートルのあたりを快走します。
上越の文字が見えてきました。下車駅が近づいているようです。
徐々に新潟第3の都市・上越市に近づいています。
上越市は1970年に直江津市と高田市が合併し誕生した街です。名前の由来は新潟県(越後国)を3分割したときに西側から『上越』『中越』『下越』と呼んでいて、このうちの上越地方にあったからです。
よく間違える人がいますが、上越新幹線や上越線とは全く関係ありません(こちらの「上」は「上野国」(=現在の群馬県)の意味)。上越線の通る地域は『中越』地方になります。『下越』は村上・新発田近辺のエリアです。
ほくほく線の合流する犀潟を過ぎ、しばらくは上下線が離れた区間を進みます。
貨物駅をかねる黒井を通過。
車内放送が流れ出し、降りる支度をします。
ガーダー橋で川を渡ると、まもなく直江津に到着です。
9時36分。「北越2号」は直江津駅3番線に到着しました。
《直江津 9:36着》
直江津は新潟から約120km。特急でないと少々厳しい距離にありますが、高速バスも多く走っています。「北越」としては値下げしたいところでしょうが、同じく間には快速「くびき野」が走っており、差別化のためにも値下げできない事情があります。対抗策として、新潟~直江津往復で4000円というとんでもない切符が出ています。新潟から直江津まで指定席に乗ると片道で4500円(通常期)いくので、文字通り破格の設定です。しかしそれは、そこまで安くしないと乗らないという裏打ちでもあります。
さまざまな板ばさみにあいながら今なお走り続ける「北越」。直江津駅で見送りながら、北陸新幹線開業後の「北越」に思いをはせるのでした。
続く!
おまけ:「北越」の今後の予想をまじめに考えてみた
・直江津以東は快速「くびき野」に変更。新井発着に変更
・直江津以西はたぶん廃止
・直江津以西は臨時快速として1往復ぐらい残ったりしそう
・車両は485系のまま。ただし、E653系でT編成は置き換えられて、全部R編成になる。
それぞれの根拠
[・直江津以東は快速「くびき野」に変更。新井発着に変更/・直江津以西はたぶん廃止]→直江津~金沢が第3セクターで値上がりする上、県ごとに別運賃を合算するため。プラス特急料金だと誰も使わなさそう。そうなると、直江津から先は廃止。残った新潟~直江津は「くびき野」とほぼ同じになるので「くびき野」化。これにより、新潟~上越市間には終日1~2時間間隔で快速が走ることになり、上越エリアの交通も保たれる。柏崎なども救われる。
[・直江津以西は臨時快速として1往復ぐらい残ったりしそう]→金沢・富山を通り、親不知を通るなど、路線としての見所は十分。これでT編成が走ったら、しなの鉄道169系みたいに車両自体も売りになりそう。また、上にも書いたとおり、上越市で新幹線駅と拠点駅が離れているので。イメージは肥薩おれんじ鉄道の「スーパーおれんじ」「オーシャンライナーさつま」。
[・車両は485系のまま。ただし、E653系でT編成は置き換えられて、全部R編成になる。]→485系は「いなほ」「北越」合わせて10運用を13編成(R21~R28、T11~15編成。予備としてさらにT18、K1、K2がいる)で回しているが、E653系は7両編成が8編成しかなく、「北越」での使用予告がないため、「いなほ」(5運用)専属になると思われる。一方、T編成は「くびき野」用T16・T17編成を含めて8本で、ぴったり数が一致する。T16編成のように300番台を含む編成もいるので、E653系に居場所を奪われたR編成がT編成を追い出す。既存の「くびき野」と共通化して合計4~5運用ぐらいになると予想。なお、T18編成とK編成は首都圏用ATSを導入しているため他よりは廃車が遅いと考えられるが、E653系にもあるのであとはお察しの通り。
1日目 (静岡→戸田公園→高崎→越後湯沢→石打)
2日目 (石打→青海川→新潟→新発田→新津→新潟→(府屋往復+村上往復)→新潟)
鉄道の日に更新できなかったのがつらい……
――2013年8月26日(月)――
大変長らくお待たせいたしました。長かった帰省
最後の日となる本日のルートは、題して「485系祭り」。新潟の485系をこれでもかと乗った後、青森に抜けて「はまなす」で札幌へと帰ります。
本日乗る485系列車はこちらです。
1.北越2号(新潟→金沢) 乗車区間:新潟~直江津
2.くびき野3号(新井→新潟) 乗車区間:直江津~新潟
3.いなほ7号(新潟→秋田) 乗車区間:新潟~秋田(全線)
3本も乗るのは、E653系投入で廃車の可能性が高いT編成に乗れる可能性を増やすためです。「くびき野」はT16・T17編成が限定的に使われていますが、「北越」「いなほ」はR編成と共通運用されているので、どちらがくるかは乗ってみないとわかりません。昨日(25日)の「いなほ7号」もT編成に期待していましたが、結果はR編成でした。
朝7時。泊まったホテルを出発します。ちなみにお値段は1泊約3000円。部屋もちゃんとしたシングルルーム。さらに簡単な朝食(パン+飲み物)付きでこのお値段です。懐にやさしい宿でした。
万代口の改札をくぐり、ホームへ。
1番線にはS12編成を先頭にした普通列車がいました。
本日の1番列車の「北越2号」は8番線です。さて、編成は……
祝! T編成!!
ということで、上沼垂色の485系がお出迎えしてくれました。
編成はT12編成です。
伝統の国鉄書体で書かれた「特急北越 金沢」の方向幕。
先頭車の客室ドアでは、緑のJRマークが存在感を放ちます。
ここからは恒例の車両撮影会です。
最後尾のクハ481-1027から、先頭のクロハ481-1026まで。
太陽の加減で、クロハ481-1026に架線柱の影ができてしまっています。正面だけで20枚近く撮っていますが、全てに影が入っていました。見苦しい写真となってしまったことをここでお詫びいたします。
新潟の駅名板と上沼垂色。駅名板の青は信越本線、赤は白新線のラインカラーです。
上越新幹線の高架と485系。新潟駅は在来線の高架化工事をしており、完成すると新幹線と特急が対面乗り換えできるようになるとのことですが、果たしてT編成はそのころまで残っているでしょうか……
雲一つない快晴の空の下、T12編成は静かに発車を待ちます。
大体とり終わったので、車内に乗り込みます。
1号車のグリーン室。外見は原型のままのT編成も、R編成同様に座席の交換がされています。ことにグリーン車に関してはT・R・Kの全編成が同じものとなっています。この時点では乗客は1人だけでした。
3号車の指定席車両。やはりガラガラです。
直江津までの旅路は4号車の自由席で過ごすことにしました。
写真を撮っていませんが、自由席に当たる4~6号車の座席は、485系登場当時の簡易リクライニング仕様をもつR51改。全体的にチープさがあるものの原型に近い座席でした。
[信越本線(・北陸本線) 3002M 特急 北越2号 新潟7:55→金沢11:31]
《新潟 7:55発》
(編成:新ニイT12)クハ481-1027+モハ485-1016+モハ484-1016+モハ485-1015+モハ484-1015+クロハ481-1026 →金沢
新潟と金沢を結ぶ「北越」は、数多くの列車が走る日本海縦貫線の中でなかなか芽が出なかった列車です。
「北越」が登場したのは1969年。大阪と新潟を日本海沿いに結ぶ特急として誕生しました。第4回でも書きましたが、新潟を素通りする(=羽越本線経由)列車が多いのは信越本線側も同じで、多くは大阪~青森を通しで走る列車ばかりでした。後に大阪~新潟を結ぶ夜行急行となる「きたぐに」も、この時は大阪~青森間の運転です。新潟駅を通る北陸本線方面の列車は、このほかに特急「白鳥」(大阪~青森:1965年から新潟駅経由に変更)、急行「越後」(金沢~新潟:ある意味現在の「北越」のルーツ)、「しらゆき」(金沢~青森:当初金沢始発は秋田行きだった)があるのみでした。
この年は臨時列車として運転し、翌年から定期運行を開始。しかし、車両・運用ともに「白鳥」や「雷鳥」(大阪~金沢・富山)の補佐的な立ち位置でした。10年後の1978年、2往復になっていた大阪~新潟間の「北越」は「雷鳥」に変更。毎日運行の臨時便だった金沢~新潟の1往復だけが残ります。
「北越」が日の目を見るようになるのは1982年のこと。上越新幹線の開業で、「北越」は長岡で新幹線からの乗客を乗せ、東京⇔北陸ルートの一端を担うようになりました。これを受けて「北越」は4往復体制へと強化。翌年には「しらゆき」の流れを継いでいた福井~青森間の「白鳥」が系統分割され「北越」に編入、5往復になりました。
1988年、人気となっていた長岡以西に「かがやき」が登場します。金沢―富山―直江津―長岡という、新幹線連絡に特化した特急です。翌年には2往復増え4往復体制になりますが、同時に新潟まで走る「北越」は縮小。長岡~新潟が普通列車となったり、運転をやめる列車まででました。
1997年、北越急行経由の「はくたか」が誕生。元は上野~金沢[上越線経由]の特急に使われていた名称(さらに元をたどれば「白鳥」の分割編成)です。上越新幹線開業とともに、長岡~金沢間を「北越」に吸収される形で消滅した恨みなのか、10往復という圧倒的な物量で新幹線連絡列車の座を奪い取りました。6往復あった「かがやき」と長岡発着の「北越」が消え、「北越」は金沢~新潟の2往復のみとなります。
このままでは消滅も間近と思われた2001年のこと。大阪~青森を結んでいた名門特急「白鳥」が廃止され、「雷鳥」「北越」「いなほ」に3分割されました。さらに、新潟発着の「雷鳥」も分割。かつて「北越」と名乗っていた2往復も、金沢以東だけですが「北越」に復帰することになりました。
こうして、「北越」は現在の5往復に至ります。
旧新津市との境になる小阿賀野川を渡ります。
市街地から離れ、あたりは田んぼが占めるようになります。
複雑な配線をぬけ新津駅へ。「SLばんえつ物語」の客車が休んでいました。
《新津 8:09発》
新津からは直線となり、485系の本領発揮。新津製作所の脇をぬけ、なおも加速します。
すれ違う列車がみんな115系なのは新潟では当たり前なことなのです。朝ラッシュは115系をフル活用でしのぎます。
黄金色の田んぼの脇を駆け抜ける485系。
弥彦線との分岐点・東三条に停車。金物業で名高い三条市の中心駅で、特急を含めて多くの列車が停車します。
三条市は新潟県のほぼ中央にあります。ここを出ると、新潟都市圏から長岡都市圏へ。
《東三条 8:28発》
三条は県内では新潟・長岡・上越に次ぐ都市で、線路脇にも住宅が多く建ちます。隣には同じく金物業で名をはせる燕市があり、市街地も連続しています。合併すればよさそうですがなぜかいがみ合っており、新幹線の駅(燕三条駅)や高速道路のインターチェンジ(三条燕IC)では名前の順番でもめています。けんかするほど仲がいい……なわけではないようです。
再び田園風景の中を突っ切ると、右手に上越新幹線の高架が見えてきました。まもなく長岡です。
《長岡 8:47発》
「はくたか」にシェアを奪われたとはいえ、長岡で新幹線と接続する「北越」はリレー列車の役割を担っています。ただ、「北越2号」は「はくたか1号」(金沢10:53着・「北越2号」は金沢11:31着)と同じ新幹線から接続する上、「はくたか3号」(金沢11:59着)の前を走っているため、乗り換えに分があるとはいえません。事実、ガラガラの車内は長岡を出ても相変わらずでした。
こんな調子なので、2015年の上越新幹線開業後は、新幹線リレー列車の「はくたか」と一緒に廃止される方向でした。しかし、新潟県側、特に上越地方の自治体からは廃止撤回要求が出され、この記事を書いている段階では存廃は未定になっています。確かに、「北越」がなくなると北陸~新潟を結ぶ昼行特急が全廃になるため、移動がしづらくなるのは事実です。並行在来線の境目になる上越市では、新幹線の駅(上越妙高駅・現在の脇野田駅付近を予定)と現在の中心駅(直江津駅・高田駅)が違うため、完全に需要を置き換えられるものではありませんが、第3セクター化で値上げとなる直江津以西に乗り入れるメリットは微妙なところです。
「北越」の問題はそれだけではありません。カラーリングが変わったとはいえ、車両は登場時と変わらず485系。リニューアル車(R編成)・通常車(T編成のうちT11~T15編成)が分け隔てなく用いられているとはいえ、車両の老朽化は隠せません。T12編成は1000番台でも古い車両を多く含み、2つのモハユニットは2016年に40年の節目を迎えます。新潟の485系は「フレッシュひたち」から持ってきたE653系での置き換えが予定されていますが、今のところ「北越」での運転は予定されていません。仮に運転するとして、E653系に置き換えるのでしょうか。まあ、そうすればいまどき珍しい両電源(50Hz/60Hz)対応のE653系の面目躍如ですが。
「北越」の今後を憂えている間に、列車は日本海へと飛び出します。
写真は柿崎を発車してすぐのスナップ。柿崎以西は平地になり、海面レベル+2,3メートルのあたりを快走します。
上越の文字が見えてきました。下車駅が近づいているようです。
徐々に新潟第3の都市・上越市に近づいています。
上越市は1970年に直江津市と高田市が合併し誕生した街です。名前の由来は新潟県(越後国)を3分割したときに西側から『上越』『中越』『下越』と呼んでいて、このうちの上越地方にあったからです。
よく間違える人がいますが、上越新幹線や上越線とは全く関係ありません(こちらの「上」は「上野国」(=現在の群馬県)の意味)。上越線の通る地域は『中越』地方になります。『下越』は村上・新発田近辺のエリアです。
ほくほく線の合流する犀潟を過ぎ、しばらくは上下線が離れた区間を進みます。
貨物駅をかねる黒井を通過。
車内放送が流れ出し、降りる支度をします。
ガーダー橋で川を渡ると、まもなく直江津に到着です。
9時36分。「北越2号」は直江津駅3番線に到着しました。
《直江津 9:36着》
直江津は新潟から約120km。特急でないと少々厳しい距離にありますが、高速バスも多く走っています。「北越」としては値下げしたいところでしょうが、同じく間には快速「くびき野」が走っており、差別化のためにも値下げできない事情があります。対抗策として、新潟~直江津往復で4000円というとんでもない切符が出ています。新潟から直江津まで指定席に乗ると片道で4500円(通常期)いくので、文字通り破格の設定です。しかしそれは、そこまで安くしないと乗らないという裏打ちでもあります。
さまざまな板ばさみにあいながら今なお走り続ける「北越」。直江津駅で見送りながら、北陸新幹線開業後の「北越」に思いをはせるのでした。
続く!
おまけ:「北越」の今後の予想をまじめに考えてみた
・直江津以東は快速「くびき野」に変更。新井発着に変更
・直江津以西はたぶん廃止
・直江津以西は臨時快速として1往復ぐらい残ったりしそう
・車両は485系のまま。ただし、E653系でT編成は置き換えられて、全部R編成になる。
それぞれの根拠
[・直江津以東は快速「くびき野」に変更。新井発着に変更/・直江津以西はたぶん廃止]→直江津~金沢が第3セクターで値上がりする上、県ごとに別運賃を合算するため。プラス特急料金だと誰も使わなさそう。そうなると、直江津から先は廃止。残った新潟~直江津は「くびき野」とほぼ同じになるので「くびき野」化。これにより、新潟~上越市間には終日1~2時間間隔で快速が走ることになり、上越エリアの交通も保たれる。柏崎なども救われる。
[・直江津以西は臨時快速として1往復ぐらい残ったりしそう]→金沢・富山を通り、親不知を通るなど、路線としての見所は十分。これでT編成が走ったら、しなの鉄道169系みたいに車両自体も売りになりそう。また、上にも書いたとおり、上越市で新幹線駅と拠点駅が離れているので。イメージは肥薩おれんじ鉄道の「スーパーおれんじ」「オーシャンライナーさつま」。
[・車両は485系のまま。ただし、E653系でT編成は置き換えられて、全部R編成になる。]→485系は「いなほ」「北越」合わせて10運用を13編成(R21~R28、T11~15編成。予備としてさらにT18、K1、K2がいる)で回しているが、E653系は7両編成が8編成しかなく、「北越」での使用予告がないため、「いなほ」(5運用)専属になると思われる。一方、T編成は「くびき野」用T16・T17編成を含めて8本で、ぴったり数が一致する。T16編成のように300番台を含む編成もいるので、E653系に居場所を奪われたR編成がT編成を追い出す。既存の「くびき野」と共通化して合計4~5運用ぐらいになると予想。なお、T18編成とK編成は首都圏用ATSを導入しているため他よりは廃車が遅いと考えられるが、E653系にもあるのであとはお察しの通り。
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