前回のあらすじ
「パノラマエクスプレスアルプス」が撮れました。
2013/12/29 AM8:00 河口湖畔
いよいよ帰省も大詰め。今日は「パノラマエクスプレスアルプス」に乗って静岡に帰ります。
空はこれ以上ないくらいの晴天です。しかし、標高800メートル近いこの場所では、朝の気温はマイナス2度。ちょっと北海道に戻ったような気分でした。
朝の河口湖駅。背後に富士山がそびえています。
駅前広場のモ1号も、臙脂色の車体を輝かせていました。
河口湖駅は1950年に開業しました。写真は開業当初の駅舎に飾られていた駅名板です。当時から富士五湖地域の観光拠点として栄えました。今でも多くのバスが河口湖駅を発着としています。
河口湖駅は富士急の車両基地となっています。順に、1200形1202編成、6000系(編成不明)、1200形1205編成です。
本日は富士急の名物・「フジサン特急」で大月まで向かいます。元165系「パノラマエクスプレスアルプス」の2000形で運転されていますが、今回押さえた「フジサン特急2号」は、「パノラマ(略)」色に復元された2002編成です。
LEDモニターには日本語・英語の他、中国語・韓国語も表示されます。
2002編成でやってくる「フジサン特急1号」は9時丁度。2号発車までの折り返し時間は5分しかありません。
到着と同時に改札が開きます。1番線には1202+1205、2番線には5001が停車中。
そして、3番線に2002編成が停車していました。
LED化された幕。最近は新旧問わずLEDになっていますが、写真写りはすこぶる悪いです。
「フジサン特急」といえばこの展望席。2階に運転台があるため、車窓いっぱいに景色が広がります。「パノラマエクスプレス」の名前の由来です。
展望席は運賃(大月~河口湖で1150円)・特急料金(同300円)の他に100円の整理券が必要で、土日には満席になることも少なくありません。ネットから予約できるので、静サツは事前に買ってありました――が、『指定券』ではなく『整理券』なので、扉が開いてすぐ一列目は押さえられてしまいました。ちくしょう……
結局静サツは2列目の右端に座りました。2列目でも、座席が雛壇状になっているので問題なく前面展望は出来ましたが。
ということで、「パノラマエクスプレスアルプス」に乗って出発進行!
[富士急行 702 フジサン特急2号 河口湖9:05→大月9:55]
《河口湖 9:05発》
河口湖から富士山までは後ろ向きに進みます。これは富士山でスイッチバックするためです。
《富士山 9:10着》
富士山に到着。「マッターホルン」色の1200形と交換します。
富士山駅の停車時間はおよそ5分。撮影できる時間はあったはずですが、なぜか写真がないので割愛。
《富士山 9:15発》
ここからは「パノラマエクスプレスアルプス」の真骨頂。前面展望を独占して大月まで向かいます。
背後には富士山の姿が。さようなら裏富士。
下吉田駅に進入。
115系の普通列車とすれ違います。
東桂では6000系と交換。6000系が直進側にいますが、「フジサン特急」は6000系を待たせてゆっくりと通過します。
カメラに向けて手を振ってあげましょう。下に映っている手は1列目の親子のものです。
十日市場駅を通過。急カーブの多い富士急では、停車駅の少ないフジサン特急といえど軒並み40~50km/hで下るため、パノラマもゆっくり楽しむことが出来ます。
谷村町は1線スルーなので、駅舎側の線路を通過。
それまで順調に進んできた「フジサン特急」は、禾生駅で停車しました。
待っていると、189系の「ホリデー快速富士山1号」が!
富士急の線路で、国鉄車同士がすれ違いました。
禾生を出てすぐ、リニアの線路をくぐります。
9時55分。終点の大月では、カメラが待ち受けていました。
《大月 9:55着》
行き止まりホームに到着しました。これで2002編成とはお別れです。
……と、かなり簡潔にまとめてしまいましたが、これには理由があります。ほぼ全区間に渡って動画を撮っていたためです。これは後ほど車庫に上げておく予定です。
最期に、お世話になったクロ2002の内部を見ていきましょう。
「パノラマエクスプレスアルプス」時代からある展望ソファ。自由に座れますが、ここに座っている人はいませんでした。
運転台の入口やソファのおかげで不規則な配置となっています。
車両後方の一般座席の様子。自由席扱いです。
クロ2002の銘板。
終点の大月は、JRとの乗換駅です。
6000系と並ぶ2002編成。
富士山側の先頭(河口湖側とすると、富士山でスイッチバックするので……)のクモロ2202。165系の面影を存分に残した車両となっています。
貫通扉には「パノラマエクスプレスアルプス」サインを再現。
運転台にも。
ここで、「パノラマエクスプレスアルプス」について少し話しておきましょう。
原型となった165系は急行用として開発された電車で、国鉄を語るには欠かせない名車です。勾配対応・3両から編成が組める柔軟さ・車種バラエティの豊富さで全国の直流電化区間ではよく見られました。中でも、富士急が大月で接する中央本線は165系の天下で、「アルプス」(新宿~松本・白馬)を初め様々な急行に使用されました。
しかし、特急「あずさ」への格上げなどで急行は廃止となり、165系は大量に余ってしまいました。関東では臨時列車用として何本か残されましたが、おりしも時はバブル期。それまでにない革新的な車両が求められていました。
こうして誕生したのが「パノラマエクスプレスアルプス」です。
種車となったのはクハ165+モハ164+クモハ165の模範的な3両編成2本でしたが、斬新な発想で原形をとどめないほどに改造されています。
国鉄・JR時代通して6両編成で運転されていた「パノラマエクスプレスアルプス」ですが、2002年に富士急に譲渡されてからは分割した3両編成で運用されていました。そして、その片方である2002編成が2014年2月に引退するに当たって、「パノラマエクスプレスアルプス」時代の外装が再現されたのです。
「パノラマ~」の特徴は全車グリーン車となったこと。これにより、3連2本による定員は200人(座席分。この他に個室・ラウンジあり)と、種車の半分以下となっています。
富士急では自由席扱い。かつてのグリーン車に特急券だけで乗れるのでお得です。
3号車のクモロ2202ですが、「パノラマエクスプレスアルプス」時代の車号が再現され、クモロ165-4(←クモハ165-123)となっています。
実はこのクモハ165-123、元国鉄の車両ながら利用債(国鉄予算用の借用書)の引き受けは富士急でした。中央本線から乗り入れる急行「かわぐち」用に製造された車両だったのです。めぐりにめぐって古巣に帰ってくることになったわけです。
「パノラマ」の名に恥じず、側面のガラスは全て大型化。特急並みのリクライニングシートを装備しています。
2両目のモロ2102ことモロ164-804(←モハ164-846)。
モハ164形800番台が種車となっているので、パンタグラフは低屋根仕様。明治期設計ゆえにトンネルが小さい中央本線を通るための措置でした。
「パノラマエクスプレスアルプス」で最も大きく改造されたのは、先頭のクロ2002(クロ165-4←クハ165-148)です。
名鉄パノラマカーと同じく、運転台を2階において1階の窓をパノラマウィンドウにしてあります。
この姿を見れば、誰もが165系が種車だとは思えないでしょう。それもそのはず。この車両だけは車体を新製しているのですから。
6枚のガラスで構成された展望座席。「フジサン特急」でも人気なのは既に述べたとおりです。
この展望席、2002編成では大月側にありますが、片割れの2001編成では反対側にあります。というのも、パノラマエクスプレス時代は2本が連結したときに展望車が外側に来るようになっていたためです。富士急に入線しても方向転換はしませんでした。
図にすると、
(パノラマ~時代の編成)
←新宿 →松本
クロ165-4+モロ164-804+クモロ165-4+クモロ165-3+モロ164-803+クロ165-3
(フジサン特急時代)
←大月・河口湖 →富士山
2002編成:クロ2002+モロ2102+クモロ2202
(クロ165-4+モロ164-804+クモロ165-4)
2001編成:クモロ2001+モロ2001+クロ2001
(クモロ165-3+モロ164-803+クロ165-3)
基本的に2編成は区別なく「フジサン特急」に使われていたため、展望席がどちら方向になるかは当日にならないとわかりませんでした。もっとも、2013年11月に2001編成が定期検査でお休みになってからはどちらか片方しか動いていませんが。
展望車という名前は伊達ではありません。
ラウンジには一際目立つ大型窓が採用されていました。
「中央本線の風光明媚な車窓を楽しめる」をコンセプトに1987年に登場してから早27年。2002年に富士急に譲渡されて「フジサン特急」として活躍すること12年。様々な人の目を楽しませてきた2002編成も、お別れのときがやってきました。
富士急は2014年夏から新型特急車両を導入することにしました。小田急で「あさぎり」として働いていた20000形ことRSE。これにより、2002編成は2014年2月を持って引退しました。既に部品取り車両として持ち込まれた元三鷹車両センターの169系M5編成も大半が解体されたので、今後も残る2001編成の部品取り車両として使われることになるでしょう。
しなの鉄道の169系が引退した今、最期の直流急行電車となっている富士急2000形。急行電車としては北陸にも475系がいますが、北陸新幹線金沢開業で廃車が確実視されているので、最期の急行電車となる可能性が高いです。
急行という言葉字体が薄れ行く中で、一日でも長い活躍をすることを祈っています。
ありがとう、2002編成。
今回使用した切符類。
さて、あとはJRで静岡に帰るだけです。
富士急大月駅はただいま大改装中。天井まで取っ払われ、架線柱と地上にある看板だけが目印です。
道路を歩いてJRの大月駅に向かいます。
富士急の乗換え口。
次回が最終回となります。お楽しみに!
「パノラマエクスプレスアルプス」が撮れました。
2013/12/29 AM8:00 河口湖畔
いよいよ帰省も大詰め。今日は「パノラマエクスプレスアルプス」に乗って静岡に帰ります。
空はこれ以上ないくらいの晴天です。しかし、標高800メートル近いこの場所では、朝の気温はマイナス2度。ちょっと北海道に戻ったような気分でした。
朝の河口湖駅。背後に富士山がそびえています。
駅前広場のモ1号も、臙脂色の車体を輝かせていました。
河口湖駅は1950年に開業しました。写真は開業当初の駅舎に飾られていた駅名板です。当時から富士五湖地域の観光拠点として栄えました。今でも多くのバスが河口湖駅を発着としています。
河口湖駅は富士急の車両基地となっています。順に、1200形1202編成、6000系(編成不明)、1200形1205編成です。
本日は富士急の名物・「フジサン特急」で大月まで向かいます。元165系「パノラマエクスプレスアルプス」の2000形で運転されていますが、今回押さえた「フジサン特急2号」は、「パノラマ(略)」色に復元された2002編成です。
LEDモニターには日本語・英語の他、中国語・韓国語も表示されます。
2002編成でやってくる「フジサン特急1号」は9時丁度。2号発車までの折り返し時間は5分しかありません。
到着と同時に改札が開きます。1番線には1202+1205、2番線には5001が停車中。
そして、3番線に2002編成が停車していました。
LED化された幕。最近は新旧問わずLEDになっていますが、写真写りはすこぶる悪いです。
「フジサン特急」といえばこの展望席。2階に運転台があるため、車窓いっぱいに景色が広がります。「パノラマエクスプレス」の名前の由来です。
展望席は運賃(大月~河口湖で1150円)・特急料金(同300円)の他に100円の整理券が必要で、土日には満席になることも少なくありません。ネットから予約できるので、静サツは事前に買ってありました――が、『指定券』ではなく『整理券』なので、扉が開いてすぐ一列目は押さえられてしまいました。ちくしょう……
結局静サツは2列目の右端に座りました。2列目でも、座席が雛壇状になっているので問題なく前面展望は出来ましたが。
ということで、「パノラマエクスプレスアルプス」に乗って出発進行!
[富士急行 702 フジサン特急2号 河口湖9:05→大月9:55]
《河口湖 9:05発》
河口湖から富士山までは後ろ向きに進みます。これは富士山でスイッチバックするためです。
《富士山 9:10着》
富士山に到着。「マッターホルン」色の1200形と交換します。
富士山駅の停車時間はおよそ5分。撮影できる時間はあったはずですが、なぜか写真がないので割愛。
《富士山 9:15発》
ここからは「パノラマエクスプレスアルプス」の真骨頂。前面展望を独占して大月まで向かいます。
背後には富士山の姿が。さようなら裏富士。
下吉田駅に進入。
115系の普通列車とすれ違います。
東桂では6000系と交換。6000系が直進側にいますが、「フジサン特急」は6000系を待たせてゆっくりと通過します。
カメラに向けて手を振ってあげましょう。下に映っている手は1列目の親子のものです。
十日市場駅を通過。急カーブの多い富士急では、停車駅の少ないフジサン特急といえど軒並み40~50km/hで下るため、パノラマもゆっくり楽しむことが出来ます。
谷村町は1線スルーなので、駅舎側の線路を通過。
それまで順調に進んできた「フジサン特急」は、禾生駅で停車しました。
待っていると、189系の「ホリデー快速富士山1号」が!
富士急の線路で、国鉄車同士がすれ違いました。
禾生を出てすぐ、リニアの線路をくぐります。
9時55分。終点の大月では、カメラが待ち受けていました。
《大月 9:55着》
行き止まりホームに到着しました。これで2002編成とはお別れです。
……と、かなり簡潔にまとめてしまいましたが、これには理由があります。ほぼ全区間に渡って動画を撮っていたためです。これは後ほど車庫に上げておく予定です。
最期に、お世話になったクロ2002の内部を見ていきましょう。
「パノラマエクスプレスアルプス」時代からある展望ソファ。自由に座れますが、ここに座っている人はいませんでした。
運転台の入口やソファのおかげで不規則な配置となっています。
車両後方の一般座席の様子。自由席扱いです。
クロ2002の銘板。
終点の大月は、JRとの乗換駅です。
6000系と並ぶ2002編成。
富士山側の先頭(河口湖側とすると、富士山でスイッチバックするので……)のクモロ2202。165系の面影を存分に残した車両となっています。
貫通扉には「パノラマエクスプレスアルプス」サインを再現。
運転台にも。
ここで、「パノラマエクスプレスアルプス」について少し話しておきましょう。
原型となった165系は急行用として開発された電車で、国鉄を語るには欠かせない名車です。勾配対応・3両から編成が組める柔軟さ・車種バラエティの豊富さで全国の直流電化区間ではよく見られました。中でも、富士急が大月で接する中央本線は165系の天下で、「アルプス」(新宿~松本・白馬)を初め様々な急行に使用されました。
しかし、特急「あずさ」への格上げなどで急行は廃止となり、165系は大量に余ってしまいました。関東では臨時列車用として何本か残されましたが、おりしも時はバブル期。それまでにない革新的な車両が求められていました。
こうして誕生したのが「パノラマエクスプレスアルプス」です。
種車となったのはクハ165+モハ164+クモハ165の模範的な3両編成2本でしたが、斬新な発想で原形をとどめないほどに改造されています。
国鉄・JR時代通して6両編成で運転されていた「パノラマエクスプレスアルプス」ですが、2002年に富士急に譲渡されてからは分割した3両編成で運用されていました。そして、その片方である2002編成が2014年2月に引退するに当たって、「パノラマエクスプレスアルプス」時代の外装が再現されたのです。
「パノラマ~」の特徴は全車グリーン車となったこと。これにより、3連2本による定員は200人(座席分。この他に個室・ラウンジあり)と、種車の半分以下となっています。
富士急では自由席扱い。かつてのグリーン車に特急券だけで乗れるのでお得です。
3号車のクモロ2202ですが、「パノラマエクスプレスアルプス」時代の車号が再現され、クモロ165-4(←クモハ165-123)となっています。
実はこのクモハ165-123、元国鉄の車両ながら利用債(国鉄予算用の借用書)の引き受けは富士急でした。中央本線から乗り入れる急行「かわぐち」用に製造された車両だったのです。めぐりにめぐって古巣に帰ってくることになったわけです。
「パノラマ」の名に恥じず、側面のガラスは全て大型化。特急並みのリクライニングシートを装備しています。
2両目のモロ2102ことモロ164-804(←モハ164-846)。
モハ164形800番台が種車となっているので、パンタグラフは低屋根仕様。明治期設計ゆえにトンネルが小さい中央本線を通るための措置でした。
「パノラマエクスプレスアルプス」で最も大きく改造されたのは、先頭のクロ2002(クロ165-4←クハ165-148)です。
名鉄パノラマカーと同じく、運転台を2階において1階の窓をパノラマウィンドウにしてあります。
この姿を見れば、誰もが165系が種車だとは思えないでしょう。それもそのはず。この車両だけは車体を新製しているのですから。
6枚のガラスで構成された展望座席。「フジサン特急」でも人気なのは既に述べたとおりです。
この展望席、2002編成では大月側にありますが、片割れの2001編成では反対側にあります。というのも、パノラマエクスプレス時代は2本が連結したときに展望車が外側に来るようになっていたためです。富士急に入線しても方向転換はしませんでした。
図にすると、
(パノラマ~時代の編成)
←新宿 →松本
クロ165-4+モロ164-804+クモロ165-4+クモロ165-3+モロ164-803+クロ165-3
(フジサン特急時代)
←大月・河口湖 →富士山
2002編成:クロ2002+モロ2102+クモロ2202
(クロ165-4+モロ164-804+クモロ165-4)
2001編成:クモロ2001+モロ2001+クロ2001
(クモロ165-3+モロ164-803+クロ165-3)
基本的に2編成は区別なく「フジサン特急」に使われていたため、展望席がどちら方向になるかは当日にならないとわかりませんでした。もっとも、2013年11月に2001編成が定期検査でお休みになってからはどちらか片方しか動いていませんが。
展望車という名前は伊達ではありません。
ラウンジには一際目立つ大型窓が採用されていました。
「中央本線の風光明媚な車窓を楽しめる」をコンセプトに1987年に登場してから早27年。2002年に富士急に譲渡されて「フジサン特急」として活躍すること12年。様々な人の目を楽しませてきた2002編成も、お別れのときがやってきました。
富士急は2014年夏から新型特急車両を導入することにしました。小田急で「あさぎり」として働いていた20000形ことRSE。これにより、2002編成は2014年2月を持って引退しました。既に部品取り車両として持ち込まれた元三鷹車両センターの169系M5編成も大半が解体されたので、今後も残る2001編成の部品取り車両として使われることになるでしょう。
しなの鉄道の169系が引退した今、最期の直流急行電車となっている富士急2000形。急行電車としては北陸にも475系がいますが、北陸新幹線金沢開業で廃車が確実視されているので、最期の急行電車となる可能性が高いです。
急行という言葉字体が薄れ行く中で、一日でも長い活躍をすることを祈っています。
ありがとう、2002編成。
今回使用した切符類。
さて、あとはJRで静岡に帰るだけです。
富士急大月駅はただいま大改装中。天井まで取っ払われ、架線柱と地上にある看板だけが目印です。
道路を歩いてJRの大月駅に向かいます。
富士急の乗換え口。
次回が最終回となります。お楽しみに!
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