前回のあらすじ
2度目の「あけぼの」に出会いました。
2013/12/28 6:15 ワシントンホテルプラザ高崎
本州といえど、冬の朝は日が昇るのが遅いです。午前6時台の高崎はご覧のように真っ暗です。
しかし、今回はこの時間から出ないとスケジュールが大変なことになってしまうので致しがありません。
真っ暗闇の中の高崎駅。
早朝、それも土曜ということもあって人気がありません。
ずっと使ってきた『北海道&東日本パス』もこれで3日目。駅員に見せて改札を通ります。
朝から元気に働く115系(写真は伊勢崎行621M)。しばらく観察していたいところですが、時間が差し迫っているのでまた次の機会に。
たどり着いたのは3番線。切り欠きホームになっている八高線専用のホームです。
本日の1番列車は、この224Dとなります。
八高線の時刻表。朝早いこの時間でも、224Dは3番列車です。これを逃すと1時間空いてしまいます。
八高線は文字通り『八』王子と『高』崎を結ぶ路線ですが、運行系統は高麗川で分断されています。高崎~高麗川が未だに非電化ということもありますが。
偶然にも先頭からキハ110-207、キハ112-207、キハ111-207と、ハイフン以下がそろっていました。
昼間はワンマン運転のため運賃表があります。
私以外に10人ほどの客を乗せて、224Dはエンジンをふかし高崎駅を発車したのでした。
[八高線 224D 高崎6:34→高麗川8:02]
《高崎 6:34発》
留置線を過ぎる頃、朝日が昇ってきました。
1つ次の倉賀野を出ると、高崎線の下り線を渡り単線の線路に入ります。本数の多い高崎線を渡るにもかかわらず平面交差です。かつては信号場だったようですが、現在は倉賀野駅の構内扱いになっています。
上越新幹線をくぐると、しばらく朝焼けの中を行きます。
《寄居 7:13着》
夏にも訪れた寄居に停車。秩父鉄道・東武鉄道との乗換駅です。
下り列車と交換をします。
《寄居 7:17発》
寄居を発車すると、掘割で秩父鉄道の下をくぐります。開業は八高線がかなり遅れている(寄居駅到達は秩父鉄道は1901年、東武鉄道が1925年、八高線が1933年)ため、八高線は寄居町を大回りする不利な線形になっています。東京都西部と上州を結ぶバイパスとして建設されながら優等列車がほとんど設定されなかった理由も分かるというものです。
八高線には山のすそを走るためこれといったアップダウンはありませんが、他の鉄道より後に開業しているため線形の悪さが目立ちます。
《高麗川 8:02着》
[(川越線・)八高線 764E 川越7:27→八王子8:42]
《高麗川 8:04発》
高麗川駅では息つく間もなく乗り換えます。乗っているのはまたも209系3100番台です。
(前回は2013夏帰省―前半14回を参照)
向かいには205系3000番台がいます。
箱根ヶ崎で205系との交換。これだけ乗っていて209系ばかり乗っているのはどういうことでしょうか。
ちなみに、八高線に乗るのはこれで4回目のはずなのですが、内3回が209系3100番台です。9編成中2編成しかいない電車に3度もあたるなんて……(確立としては9分の2の3乗なので約1パーセントです)
《八王子 8:42着》
停車するごとに乗客は増えていき、八王子に着く頃には立ち席もいっぱいいっぱいの状況でした。
降りてすぐ、中央線のホームに向かいます。
横浜線との間の側線にはタンク車が整列中。中央本線には、根岸から高島線・南武線経由で南松本に向かうガソリン輸送列車が設定されています。内陸部の人にとっては命の綱とも言える列車です。冬には灯油輸送もします。
で、この駅で何を待つのかといえば、8:53発の「ホリデー快速富士山1号」です。以前は「ホリデー快速河口湖」だったのですが、富士山が世界遺産に登録されたのをきっかけに今の名前になりました。そのせいで静岡―御殿場間の臨時快速が「富士山トレイン」とかいうダサい名前に……
8時52分。長いタンク車の列のおくから臨時快速が現れました。
車両は今や危うい存在となった189系。豊田車両センター(八トタ)のM50編成です。以前は同幕張車両センター(千マリ)のマリ31・32編成が担当していましたが、この帰省の1週前に廃車回送されてしまいました。
行き先は「~河口湖」時代と変わらず河口湖です。
ここで注意しなければならないのは、大月から富士急行に入ることです。JR線の切符は大月までが有効範囲です。今回の帰省で『北海道&東日本パス』を使用しているのは、ひとえにこの快速に乗るためでした。
それでは、富士山に向けて出発進行!
続く!
2度目の「あけぼの」に出会いました。
2013/12/28 6:15 ワシントンホテルプラザ高崎
本州といえど、冬の朝は日が昇るのが遅いです。午前6時台の高崎はご覧のように真っ暗です。
しかし、今回はこの時間から出ないとスケジュールが大変なことになってしまうので致しがありません。
真っ暗闇の中の高崎駅。
早朝、それも土曜ということもあって人気がありません。
ずっと使ってきた『北海道&東日本パス』もこれで3日目。駅員に見せて改札を通ります。
朝から元気に働く115系(写真は伊勢崎行621M)。しばらく観察していたいところですが、時間が差し迫っているのでまた次の機会に。
たどり着いたのは3番線。切り欠きホームになっている八高線専用のホームです。
本日の1番列車は、この224Dとなります。
八高線の時刻表。朝早いこの時間でも、224Dは3番列車です。これを逃すと1時間空いてしまいます。
八高線は文字通り『八』王子と『高』崎を結ぶ路線ですが、運行系統は高麗川で分断されています。高崎~高麗川が未だに非電化ということもありますが。
偶然にも先頭からキハ110-207、キハ112-207、キハ111-207と、ハイフン以下がそろっていました。
昼間はワンマン運転のため運賃表があります。
私以外に10人ほどの客を乗せて、224Dはエンジンをふかし高崎駅を発車したのでした。
[八高線 224D 高崎6:34→高麗川8:02]
《高崎 6:34発》
留置線を過ぎる頃、朝日が昇ってきました。
1つ次の倉賀野を出ると、高崎線の下り線を渡り単線の線路に入ります。本数の多い高崎線を渡るにもかかわらず平面交差です。かつては信号場だったようですが、現在は倉賀野駅の構内扱いになっています。
上越新幹線をくぐると、しばらく朝焼けの中を行きます。
《寄居 7:13着》
夏にも訪れた寄居に停車。秩父鉄道・東武鉄道との乗換駅です。
下り列車と交換をします。
《寄居 7:17発》
寄居を発車すると、掘割で秩父鉄道の下をくぐります。開業は八高線がかなり遅れている(寄居駅到達は秩父鉄道は1901年、東武鉄道が1925年、八高線が1933年)ため、八高線は寄居町を大回りする不利な線形になっています。東京都西部と上州を結ぶバイパスとして建設されながら優等列車がほとんど設定されなかった理由も分かるというものです。
八高線には山のすそを走るためこれといったアップダウンはありませんが、他の鉄道より後に開業しているため線形の悪さが目立ちます。
《高麗川 8:02着》
[(川越線・)八高線 764E 川越7:27→八王子8:42]
《高麗川 8:04発》
高麗川駅では息つく間もなく乗り換えます。乗っているのはまたも209系3100番台です。
(前回は2013夏帰省―前半14回を参照)
向かいには205系3000番台がいます。
箱根ヶ崎で205系との交換。これだけ乗っていて209系ばかり乗っているのはどういうことでしょうか。
ちなみに、八高線に乗るのはこれで4回目のはずなのですが、内3回が209系3100番台です。9編成中2編成しかいない電車に3度もあたるなんて……(確立としては9分の2の3乗なので約1パーセントです)
《八王子 8:42着》
停車するごとに乗客は増えていき、八王子に着く頃には立ち席もいっぱいいっぱいの状況でした。
降りてすぐ、中央線のホームに向かいます。
横浜線との間の側線にはタンク車が整列中。中央本線には、根岸から高島線・南武線経由で南松本に向かうガソリン輸送列車が設定されています。内陸部の人にとっては命の綱とも言える列車です。冬には灯油輸送もします。
で、この駅で何を待つのかといえば、8:53発の「ホリデー快速富士山1号」です。以前は「ホリデー快速河口湖」だったのですが、富士山が世界遺産に登録されたのをきっかけに今の名前になりました。
8時52分。長いタンク車の列のおくから臨時快速が現れました。
車両は今や危うい存在となった189系。豊田車両センター(八トタ)のM50編成です。以前は同幕張車両センター(千マリ)のマリ31・32編成が担当していましたが、この帰省の1週前に廃車回送されてしまいました。
行き先は「~河口湖」時代と変わらず河口湖です。
ここで注意しなければならないのは、大月から富士急行に入ることです。JR線の切符は大月までが有効範囲です。今回の帰省で『北海道&東日本パス』を使用しているのは、ひとえにこの快速に乗るためでした。
それでは、富士山に向けて出発進行!
続く!
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