Local-Liner ~静サツ雑記帳

静岡運転所札幌派出所=静サツへようこそ。
札幌圏の鉄道を軸に、気ままに書き連ねていく日記です。

2013夏帰省 前半-8 全ては1000系のために ~Back and forth by wise and force.

2013年09月07日 | 鉄道 ‐ 旅行(2013年)
前回までのルート:
1日目 (札幌→成田空港→(武蔵野・埼京・南武・横浜の205系)→横浜)
2日目 (横浜→八王子→寄居→羽生→)波久礼→武州日野

[秩父鉄道 1542 三峰口15:10→羽生17:07]



 武州日野駅の時刻表。

《武州日野 15:16発》

 武州日野から長瀞までは前回(前半-7)の逆順となるため、途中の解説は省略します。



 浦山口にて。曲がり具合がよくわかります。

《長瀞 15:50着》



 長瀞に着くと、貨物列車が待機していました。波久礼で見た列車と同じ気がします。



 長瀞は1911年に宝登山(ほどさん)駅として開業しました。最初の駅名からもわかる通り、秩父を代表する神社の一つ、宝登山神社への入り口として作られました。駅正面にある宝登山の中腹から山頂まで、秩父鉄道系列のロープウェイが結んでいます(ロープウェイの麓側の駅までは徒歩で15分ほど)。
 この駅で1000系を待ち受けるわけですが、1000系の到着は16時26分。まだ30分ほどあります。



 ということで、長瀞のもう一つの観光地・長瀞に行ってきました。
 長瀞は岩肌が露出する岩畳の一種です。1924年には国の名勝・天然記念物となりました。現代で言うところの『イチオシ観光地!』とでもいうべき評価を国から受け、長瀞は観光地として発展してきました。この区間の川下りは長瀞ライン下りと呼ばれ(もちろん親会社は秩父鉄道)、大正時代から営業を行っています。



 川岸から続く階段を降り切ると、長瀞ライン下りの乗船場に降り立ちます。正面には変成岩の露出した崖が見えます。



 先ほどの写真から右手(上流)側には、岩畳が広がっています。



 岩畳は、広域変成岩の一つ・三波川変成帯が露出してできたものです。三波川変成帯の場合(※)、岩石が圧縮された結果結晶片岩となって、一定の方向に割れやすくなっています。これが皮膚が剥けるようにぽろぽろととれたできたのがこの岩畳です。
(※……三波川変成帯は低温高圧型。他にも高温低圧型・中圧型がある。)



 上流側を見ると、左岸と右岸で節理(割れやすい方向)が違うのが分かります。右岸は縦方向、左岸は横方向になっているので、荒川を軸に褶曲構造(※)になっているのでしょう。
(※……プレートの動きなどで地層が曲がった構造)
 高校の時に地学を取っていたので、長瀞のように岩肌の多い場所はついそういう目で見がちです。それはそれで楽しいですよ?
 ちなみに、長瀞は『日本地質学発祥の地』と言われています。



 川沿いの石に海パン一丁で寝そべっている若者たちを発見。



 結晶片岩は割れやすいため、ふとした拍子にポロリと崩れる可能性があります。そのため、端から1メートルを残してロープで立ち入り禁止になっています。これだけ深いと近づく気にもなれませんが。

 ところで、私の手には、相変わらず7㎏のスーツケースがありました。
 長瀞に至る手前の階段でも降りるかどうか迷いましたが、ここまで来て引き返すというのも気が引けたので、スーツケースを持ったまま荒川の河畔までやってきてしまいました。
 しかし、岩畳を歩くにはスーツケースは明らかに邪魔です。節理で出来た段差の上をゴロゴロと転がしていくのは不可能でした。結果、片手でスーツケースを持ち上げながら岩畳を進む羽目になってしまいました。片手にカメラ、片手にスーツケースを手に提げ歩いている私を、他の客はどう見ていたのでしょうか。多分とんでもない奴だと思われていたに違いありません。

 5分ほど歩き、これ以上(スーツケースを持っては)進めなさそうと思った場所で引き返します。



 うん、こりゃ無理だ。



 階段を上り、川岸に上がります。



 ここから踏切までの区間は両脇に土産物屋や食事処が並んでいます。どの店もレトロな味わいです。



 しかし、田舎定食。てめーは駄目だ。
 何が悲しくてこんなご飯に1450円も出さなきゃいけないのか。いくら観光地価格とはいえ、長瀞らしさすらないご飯でこの値段はどうなのよ。



 無駄に客が並んでいたかき氷屋さん。1杯350円ですが、田舎定食に比べたらはるかにましです。
 といっても、時刻はすでに4時過ぎ。みんな帰り出す頃です。諦めて帰る客も少なからずいました。



 とある土産物屋さんでは、ブリキ商品が並んでいました。結構多い!



 踏切すぐのところにあるお店では、店頭で鉄道模型が走っていました。それもSL。



 鉄橋を駆けるSL。



 踏切を渡り、駅に戻ります。



 おそらくは宝塔を模したと思われる駅舎は、帰りの客で混雑していました。



 7500系の上り列車を見送った後、構内踏切を渡って下り線ホームに移動します。
 そして……





 熊谷方から1010Fが到着!

 というわけで、終点の三峰口まで1時間ほど1010Fに乗っていきます。

[秩父鉄道 1539 羽生15:06→三峰口17:09]
《長瀞 16:28発》



 先頭車のデハ1010に乗車。秩父鉄道の1000系は元国鉄の101系で、デハ1010も元はクモハ100-160でした。クモハ100のパンタは1基でしたが、冷房化の際増設されました。



 車内はそこそこの乗車率。



 運転室の後ろから前方を眺めます。



 基本的に三峰口までずっと上りです。



 荒川を渡ります。



 荒々しく、しかしどこか落ち着いた流れ。



《親鼻 16:33着》

 親鼻で貨物列車とすれ違いました。



《和銅黒谷 16:39着》



 ホームがカーブしすぎて車両端のドアが開かない駅の一つ・和銅黒谷。下り線は発車直後にいきなり25㎞/h制限がかかります。きっつ!



 安定の武州原谷駅。



 工場から延びる線路と合わせ複線のように見えます。



《大野原 16:43着》

 大野原で7500系とすれ違い。



 秩父市街を走る1010F。



 ポイントが多数見えてくるとまもなく秩父。



《秩父 16:47着》

 秩父で運転士が交代します。

 ここから先の写真はないのですが、その理由は車庫の動画をご覧ください。



《三峰口 17:09着》

 日が沈みかけた頃、終点の三峰口に到着。およそ40分の道のりでした。



 平日ということもありホームに人の姿はありません。



 三峰口の名は、ここからバスで50分ほどの距離にある三峰神社からとられています。現在も三峰神社に向かう拠点となっていますが、バスは西武秩父駅から出ていることもあり、駅前は閑散としています。



 構内は2面3線。その隣には側線が何本もあり、車両が留置されています。かつては貨物輸送を行っていました。



 さて、このまま折り返すと思われていた1010Fは、かつての貨物線跡である引き込み線に入ってしまいました。



 見守っていると、1010Fはそのまま側線へと入線。休憩に入ってしまいました。

 次の列車(三峰口17:33発の1550列車)は3番線にいる7500系とのことなので、しばらく駅で待つことに。



 駅舎の壁に掛かる1000系の写真。左から1012F(カナリアイエロー)、1011F(初代オレンジバーミリオン)、1001F(スカイブルー)です。



 駅舎。



 本体は左半分で、右半分は臨時改札口と車庫になっています。



 正面に構えているのは西部観光バスの案内所。



 終バスは17時20分。



 駅裏手には「秩父鉄道車両公園」があります。



 駅に戻ってみても、7500系が待っていました。ちなみに、この編成は私が寄居から熊谷まで乗っていた7501Fです。



 LED表示。



 白久駅方向。



 反対方向。



 7501Fと1010F。



 7800系も休んでいました。



 SLも来る三峰口。張り紙からも、その人気ぶりと駅員さんたちの苦労が知れます。

 側線に入った1000系はというと、動くそぶりが見えません。もしかしたら、今日はこのまま運転終了になのか……?
 駅員さんに1000系について聞いてみました。

静サツ「すいません。1000系って今日まだ動きます?」
駅員さん「おお。19時50分ぐらいのやつに入るよ」

 な、なんですと?

 調べてみると、19時54分発の1558列車がまだ1000系で走るようです。しかし、本日の宿がある熊谷には21時28分、終点の羽生に着くのは22時5分になってしまいます。
 こんな何もないところに夜までいられるはずもありません。どのみち暗くなっては写真が撮り辛くなります。



 結局、次の18時5分発の列車で宿まで向かうことにしました。車両は……また5000系か!
 頭上が夜の空に切り替わる前に、私は三峰口を後にしたのでした。

続く!


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