上高地2日目、大正池に行ってみた。
ワタシ、上高地にはよく来ている方だと思うんだけど、
実は大正池には2回しか行ったことがない。
そのココロは
なんかイマイチ感があるから。
旅行会社などの上高地へのツアー行程には必ずと言っていいくらい、
大正池でバスを降りて散策開始 となっているが。
ワタシたちは終点のバスターミナルまで行き、そこからスタートして梓川をさかのぼるので、
大正池は逆方向でもある。
今回大正池に行ってみたのは、
一番行きたかった小梨平から明神までの梓川左岸コースが通行止めだったから。
2日目になっても道は復旧していないようだったので
「さてそれじゃあどこ行こう?」となり、
あまり行かない大正池を見てくるか、ということになった。
大正池
焼岳の1915(大正4)年の噴火で、焼岳の東斜面から噴出した泥流が梓川をせき止めて1日にしてできた池
と言われていて、
その時の木々が立ち枯れのまま池の中に何本も立っている様子が幻想的、と人気だった。
(※ちなみに、焼岳から流れ込んだのは【火山泥流】であって【溶岩流】ではない)
今は立ち枯れの木はほとんどなくなって、この木( ↑ )と
以前は池の中だったが今は河原となった場所の大きな木が目立つくらい。
早朝など無風で水面が鏡面になれば、
逆さ穂高連峰や、逆さ焼岳が見えるリフレクションが美しい場所になった。
30年ほどでかなり変化したそうだ。
立ち枯れの木も少ないし、リフレクションを見るのもタイミング難しいしで、
あんまり大正池って来なかったのね。
大正池から河童橋方向へ散策道を戻る。
↑ タチツボスミレ?(スミレの種類って見分けるの難しい)
↑ コナシ(小梨)
↑ 草色の蜘蛛が隠れてた
↑ タガソデソウ(誰袖草)
大正池から戻っても、まだ時間に余裕があったので、
小梨平のキャンプ場へ行ってみる。
通行止めは、しばらく無理かな?
と思って確認に行ったら、「通行止め」から「通行注意」に変わってた!!
10時から開通したらしい。
ここからまた明神まで往復でとなると、
ちょっと時間がない(お土産も買わないとならないし)。
でも行きたい、通行止め現場の様子も見たいし
途中まで行ってみた。
↑ カラマツソウ(唐松草)を横目に
↑ すっかり復旧された散策道。
しかし景観は大幅に変わっていた。
砂礫が一面に林の中を埋め尽くし、ところどころでまだ小川のような流れがある。
谷に向かって倒木が埋もれてる。↑
これを見ると、上高地の土壌が実は砂礫なのがわかる。
大量の雨が流れ込めば、砂礫の土砂が流れてくる。
焼岳火山群の活動は、大正池を作るもっともっと前から何度も梓川をせき止めていたそうだ。
約1万2000年前に起こった噴火では、せき止めによって、深い谷だった上高地一帯に、
長さ約12㎞、幅は約2㎞におよぶ巨大な湖が、約5000年にわたって存在したと考えられている。
この「古上高地湖」と呼ばれる湖の底には、梓川流域から流れ込んだ大量の土砂が、
湖を埋めながら堆積し、上高地の平坦な地形の原形をつくった。
盆地のように平らでアップダウンがほとんどない上高地の地形は、梓川の堆積でできてたので、
土壌が砂礫のようなのかな。
今ワタシたちが楽しんでいる上高地の地形って、ほんとに最近できただけで、
どんどん変化している最中なんだねぇ
自然の歴史の流れの、ほんの一瞬を楽しませてもらってるんだな
ありがたや
こうした大雨などで一時通行止めになるのは、こうした散策道だけでなく、
上高地まで入るための県道もそうだ。
(今回の旅も、直前まで通行止めだった)
復旧活動をしてくださる関係者のみなさんも、本当に自然相手で大変だと思う。
こうした方たちのおかげで、いろいろな美しいものを見たり体験できたりしていることも、
感謝したい。
上高地など、こうした自然の風景ってよく【手付かずの自然】って言うけど、
そんなことないんだよな~
たくさんの誰かが自然を破壊することなく維持しようと、
そして人と共生できるように頑張ってるからだよね
本当に白い。それが林の中を大量に流れたの
ですね。地形がまだまだゆっくりと変化を
続けそう。
白い砂礫から、尾白川渓谷を思い出しました。
上高地は行ったことがないのでさっぱり
知識もなく、私には大正池って
画像の記憶があるのみ。それでも
ずいぶん変わったように見受けられます。
そりゃあ、100年以上前に木が枯れてそのまま
立っていろという方が無理ですけどね。
尾白川渓谷、といえば甲斐駒ヶ岳ですね
そうなると、白いのは花崗岩ですかね
石とか土壌のことって、勉強したことないのでわかりませんが、
白いと脆そうに感じます
上高地が存在する時代に生まれてよかったです。