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映画作家はなにを語るか

10月23日

読んでから観るか、観てから読むか。昔の角川映画の宣伝文句ですが、本も映画も基本的には同じです。異なるのはただ、映画の言語はつねに現在形であることです。大過去が舞台の映画でも、そのスクリーンに描かれているのは、いまここで活動している現在であるわけです。

ところで、優れた映画作家とは誰のことでしょうか?それは自身の、そして前例のない映画言語を創造するひとたちのことです。ブレッソンのような作家はすでに最初期から自身の映画言語を持っていました。チャップリンなんかは、言うまでもありません。

他方、娯楽映画にはこれがありません。饒舌ではあるが、大して中身のない話をするひとみたいなものです。しかし、作家固有の言語を持つ映画はすでにそれだけで価値があります。どもっていたり、言語障害があってもいいわけです。映画の言葉が不完全で貧しいならば、それは耳を傾けるべき兆候であると言うべきで、作家が伝えようとしたものだけはとにかく伝わります。どんな失敗でも、失敗した意味がわかれば、その失敗は肯定されていいはずです。

他方、言語もなにもない娯楽映画には文字通りなにもなく、私には関わりようがない。私は娯楽映画は観ないのです。

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