宇多天皇陵は5月29日にブログ100回記念で記載しましたので、この親子の譲位から入ります
まずは、この親子の御生涯と在位期間を比較してみよう
宇多天皇・御生涯=867年~931年 御在位=887年~897年
醍醐天皇・御生涯=885年~930年 御在位=897年~930年
御生涯ですが父の宇多天皇の方が息子の醍醐天皇の崩御より一年後に崩御されている
御在位については、宇多天皇がまだ31歳の時に13歳の醍醐天皇に譲位しています
これは、藤原時平の抑え役として菅原道真を右大臣に登用して、後を息子醍醐天皇に託した
宇多上皇になってからは、30年にわたり各地の山岳に分け入り仏道修行に明け暮れます
晩年は父・光孝天皇の遺志を継いで仁和寺を完成させ、ここを住居とするのです
ですから、宇多天皇の【大内山陵】が仁和寺の山にあるのも何の不思議もないのです
それに、仁和寺近辺一帯を「御室」と呼ばれているのも、天皇の室と云う意味からでしょう
さて続いて醍醐天皇陵に移りますが、醍醐天皇の御在位34年の殆んどを菅原道真の怨霊に悩まされます
最近のデーターでより鮮明になったのが、左大臣の藤原時平と画策して道真を大宰府に左遷した事です
菅原道真の左遷を耳にした宇多上皇は一番に御所へ駆けつけますが、醍醐天皇は開聞しなかったのです
13歳で天皇になった天皇はこの時16歳、やはり時平の操り人形でしかなかったのでしょう
延喜3年〈903〉道真が大宰府で亡くなり、その6年後に時平も突然死します
それから御所の近辺で不可解な事件が相次ぎます、これは、いよいよ道真の祟りかと・・・
延喜23年〈923〉醍醐天皇は道真の右大臣剥奪と大宰府への左遷を撤回するのです
しかし、道真の怨霊はこれぐらいでは収まりません・・・ついに延長8年〈930〉清凉殿落雷事件が起こります
この事件後3ヶ月で醍醐天皇が〈突然死〉崩御されます・・おどろおどろした時代を過ごされたのですね
醍醐寺は空海の孫弟子・理源大師聖宝が建立していて、醍醐天皇が自らの祈願寺として財力をつぎ込みます
だから父・宇多天皇陵が右京の仁和寺なのに・・・醍醐天皇陵が伏見の醍醐にあるのが分かりますでしょう
昨年の6月10日に行きました・・・一回目はナントカメラを忘れているのを思い出したのが醍醐に着いてから
だから、この日は二回目の挑戦??でした
御陵の前がバス停になっていました
周囲は民家で囲まれています 正面左側に制札があります
醍醐天皇【後山科陵】だいごてんのう〈のちのやましなのみささぎ〉と読みます
長い参道の向こうに石の鳥居が見えてますか? 中々立派な御陵ですね
石に醍醐天皇後山科陵と刻んであります
この後、第61代朱雀天皇【醍醐陵】に向かいました・・・次回に掲載しますお楽しみに
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