松凬からくり帖

松凬さんが73年の人生と吟道50年からの体験や、これから起こるであろう!未体験談を写真と共にお届け!

高倉健さんの『少年時代』が二年前、絵本??に

2018-01-23 18:31:56 | 日記

今日、下京図書館で借りてきました「健さん」の【少年時代】

あの任侠の世界の「健さん」から想像できない、素の?健さん

この本の内容は「父のカメラ」から「幸せは海の向こうにある」までの21項目

今回、紹介したいのが、21の中の3番目に出て来る「一銭の満足」です

私の子供の頃とダブるのです、私の時は ”一銭洋食” とは言わなかった??

お好み焼き・・とも言わなかったような気がするけど、べた焼き?やったかな~

健さんは自分の事をこの様に書き出している・・・

 ~オデキが出来やすく、すぐ下痢をする腺病質な子供だった。

  五歳から中間幼稚園に通い始めた。お弁当の時間が楽しみ

  だったという以外、何も覚えていない。通園の行き帰り、

  家の近くの病院の看護婦さんたちによく会った。

  礼儀正しく笑顔で挨拶して、菓子や果物を貰っていた。

  それを次々と食べて下痢を繰り返した。思い余った母は、

  ”この子に、食べ物を与えんといてください”

  と小さな布に書き、ぼくの服の胸に縫い付けた。

  その服を嫌がりもせず着て、外に遊びに行っていた。

  父は大笑いしながら、当時の恍けた顔の僕を写真に撮った。

何か、その時の状況が目に浮かびそうだ、凄いお母さんやね~と感心

そして次に、いよいよ一銭洋食が出て来ます・・甘酸っぱい思い出が

 ~中間市には、二軒の駄菓子屋があった。

  安い方の店にほとんど毎日、僕は通い続けた。

  学校から帰ると、お手伝いさんに一線を貰い、

  走ってこの店に出かけた。店先には大勢の子供たちが

  並んでいた。「一銭洋食」を買うためだ。

  水に溶いたメリケン粉を鉄板で焼き、

  安物の削り節と青葱をのせたおやつ。 最後に、

  刷毛でソースを一回だけ塗るのが店の決まりだった。

  「もうちょっと縫ってくれん?」

  一人で店を切り盛りしているおばさんに、

  僕ら子どもは必ずせがんだ。「わかっちょると」

  無愛想な声でおばさんは答え、もう一回ソースを

  塗ってくれた。古雑誌を千切った紙に、熱々を包んで渡された

  僕らは先に食べ終わるのが嫌で、お互い焼き上がるのを待って

  一緒に口にした。盃一杯の甘納豆も一銭だった。

  どちらを買うか迷った日もあった。

最後にこの様に結んでいる

  食べ物も玩具も溢れている時代ではなかった。

  それでもなぜか心は満たされていた。

この健さんたちの中に、私も入っているような錯覚するほど懐かしい思い

健さんとは、一回りも歳が違うけれどね~

私の子供の頃も、縁日や夜店で、べた焼き〈一銭洋食〉を買って食べた

ここでは『古雑誌を千切った紙に、熱々を包んで』とありますが

僕らの時は、新聞紙をA4サイズぐらいに切ってあって、それに直接

もちろん、新聞紙にべた焼きが、引っ付きます、でも新聞ごと食べました

そんな時代やったんですよ・・・道に落ちても、拾ってたべてました

高倉健さんは2014年の11月に亡くなっています・・・

それから2年後の2016年の11月にこの本が出版されています

 ―あとがき―の最後に健さんはこの様に結んでいます

 ~決して平坦とは言い難い、思い通りになんかならない

  俳優としての五八年間を、今まで何とか乗り切って来られたのは、

  少年時代に培われた母の「辛抱ばい」の教えだと思います。

  俳優になりたての頃は、与えられた役を無我夢中で演じました。

  そして、役柄を通して数々の人間像に出会い、

  その都度、学んできたように感じます。

素晴らしいでしょう・・・高倉健の人間性を改めて知ることが出来ました

改めまして・・・高倉健さんのご冥福を心からお祈りいたします  

 

 

  

  

 


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