第110代【後光明天皇】 【月輪陵】の御陵印
江戸時代の天皇が泉涌寺の【月輪陵】に最初に土葬されたのが【後光明天皇】
後光明天皇は大の仏教嫌いで有名な天皇さんでした
後水尾天皇の第四皇子として寛永10年〈1633〉に生誕した
寛永19年に親王宣下を受け、翌年姉・明正天皇の譲位にともない即位した
父・後水尾天皇の余にも早すぎた譲位で、姉の明正天皇の中継ぎを経て11歳で即位
学問好きで頭脳明晰、それに武道もたしなまれた数々のエピソードが残っている
残念ながら22歳の若さで、父や姉よりも先に崩御されている
ここに、江戸時代最初で・・【月輪陵】でも最初になった土葬についてを・・・
後水尾天皇の崩御に際し、朝廷はあくまでそれまでの慣例に従い、
火葬のうえ、【深草北陵】に納骨しようとしたのですが・・・
それを阻止した者がいたのですナント御所で入りの一介の魚屋、「奥八兵衛」です
仏教の葬制である火葬は天皇の意に沿わないと号泣しながら・・・
後水尾上皇の御所や関白の屋敷等を回り火葬の中止を訴えたのです
すると、朝議でこの「奥八兵衛」の建言が採用されたのです
よくぞ朝廷がただの出入り商人の意見を取り入れたものです
この功績から、明治になって「奥八兵衛」に官位が贈られています
結局、鎌倉時代に天皇の葬儀を行い、御陵の実績のある、
泉涌寺に土葬されることになったのです 【月輪陵】に葬られています
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