第43代元明天皇〈661~721〉在位「707~715」は天智天皇の第四皇女です
最近、今上天皇の御意向から皇位継承についての話題が注目されていますが?
元明天皇が即位された際に下された宣命が注目されている
それは皇位継承の正当性にふれられたもので、まず藤原京で持統天皇が政治を行い
これを孫の文武天皇に譲り、二人並んで、天下を収めたとする
これは、近江大津京で天下を統治した天智天皇が「天地とともに長く、日月とともに遠くまで、
改ることのない常の典〈不改常典〉として定められ行われてきた法であると説明された
その上で文武天皇が亡くなる直前に自分に後時を託す旨の詔を出したため・・
当初はその任にあらずと固辞したが、天地の神々の心労に思いを致しつつ、
遺詔を受け入れるに至ったことがのべられている・・・中々しっかりした賢い皇女だ、さすが天智天皇の娘
元明天皇の時代に太安万侶〈おおのやすまろ〉によって【古事記】が撰上されている
そして天皇54歳の時、亡くなる6年前に自らの老いと疲労とを理由に譲位の意向を示される
皇太子である首〈おびと〉皇子〈のちの聖武天皇〉は未だ若年であるとして
冷静沈着な氷高〈ひたか〉皇女が位を継ぐこととなった
即位した元正天皇は「朕は天皇の位を譲るという先帝の命令を謹んで受け、
あえて他の人を推して固辞することはせずに天子の位について国家の安寧をはかりたい」との詔を出し
祥瑞である亀にちなんで霊亀と改元した、次の聖武天皇までの中継ぎの天皇でありはしたが
聖武天皇が病弱な上に仏教に傾倒しすぎて政治がおろそかになったため、結局は上皇として
政務に当たらねばなりませんでした、まさに、母の期待のために捧げた一生でした
我が国の女性天皇は推古天皇から後櫻町天皇まで10代・8名です〈二人が重祚〉
その中でも、母の天皇から独身で天皇を受け継いだのは元正天皇だけです
それでは、先月3月20日〈祝〉に参拝した二人の御陵をご覧ください、母の元明天皇から
元明天皇・奈保山東陵〈なほやまのひがしのみささぎ〉です
元正天皇・奈保山西陵〈なほやまのにしのみささぎ〉です
タイトルに書いたように、まさに郷呂を挟んで、東陵と西陵でした
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