昭和56年11月12日から14日までの三日間で完成した【紅の歌】
最初は四国青年部が作成して・・・研修道場に来ておられた池田先生にお見せする!
それから先生と青年部との三日間闘争が、と云うより池田先生の推敲が始まる
そして三日目の11月14日に完成する、・・・・その場所へ35年後の同じ日に我々が!
私が創価学会に入会したのが、その翌年の昭和57年1月24日であった
私にとって、この昭和56年は生涯忘れられない年となったのである・・と云うのは
この年の秋に=ミラノスカラ座の引っ越し公演があった年である
詩吟の元お弟子さんから連絡があり、「行きたいけど高いやろ~」と云うと
24000円との事、でもその彼が「三回月賦でいけますね~」との事で行くことに
これが切っ掛けで、翌年・・・大嫌いだった創価学会に入会するのである
今回の四国研修は私にとって大変に意義深い研修になったのである
バスで京都の右京文化会館を出発、名神でいきなり渋滞に巻き込まれ、二時間遅れで到着
到着してまず一番に、紅の歌発祥の地であるその場所に・・・研修道場に入る前に皆が向かったのが・・・
紅の歌の歌碑の前でした・・・カメラを持って走る人も・・・私でした
折角来たので・・・お願いして記念の写真を撮ってもらう 今回の四国研修の責任者も自分から前に立たれました
ここは二階のロビーです・・・・・瀬戸内の海が見事に輝いていました・・・前に見えるあの島がハンセン病の人たちの島です
研修の部屋に入ると・・・ようこその歓迎の文字が、嬉しかった 窓からは瀬戸内海が一望でした
全国の研修道場には必ず ”恩師記念館” があります、ここの四国恩師記念館は今迄で、最高の規模でした
夕暮れ迫る研修道場を後にして、この日の宿泊ホテルへと向かいました
研修道場の人たちに見送られながら・・・・ バスも研修道場から外へ向かう坂道を・・・
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