天皇を「男系男子」と規定した現行の皇室典範が改訂されなければ
【後櫻町天皇】は日本で最後の女性天皇となるわけです。
我が国の「女帝」は八人十代在位した事が知られています
推古天皇に始まって、二人の天皇が「重祚」〈ちょうそ〉され、
十代の天皇と云っても、実際は八人の天皇なんです
【後櫻町天皇】は櫻町天皇の第二皇女として元文五年〈1740〉に生誕される。
寛延三年〈1750〉親王宣下を受け、宝暦十二年〈1762〉桃園天皇が崩御されるが・・・
桃園天皇には男子の兄弟もなく、次期天皇「後桃園天皇」もまだ五歳
この当時、朝廷では多くの近習が追放された「宝暦事件」の混乱の後遺症ありで
この五歳の「幼帝」を支えられる状態ではありませんでした
「後桃園天皇」が成長するまでの中継ぎ役で女帝【後櫻町天皇】が即位されます
過去、八人の女帝の殆んどが、このような中継ぎ役で即位されている
【後櫻町天皇】は、119年前の女帝「明正天皇」のようなお飾りの天皇でなく
後桃園天皇を傳育しながら、依然混乱を引きずる朝廷をまとめると云う・・
重要な役割を果たさねばなりませんでした
13歳で即位した【後桃園天皇】も在位わずか9年父と同じ22歳で崩御されます
そして、次期天皇【光格天皇】もわずか9歳で即位されます
後櫻町天皇は二代天皇を傳育、補佐をする事になるのです
女性天皇だから?と云うわけではありませんが、院政を行ってませんが
退位されてから、40年間も朝廷のゴッドマザーとして、君臨して
【国母】と呼ばれるほど、朝廷の屋台骨を支え続くて行くのです
そして後櫻町天皇は「未婚」のまま、74歳の生涯を閉じています
亡骸は泉涌寺内にある【月輪陵】に父・櫻町天皇と共に葬られています
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