【景行天皇】は垂仁天皇17年に生誕し、同37年に立太子
同99年に垂仁天皇の崩御に伴い即位される
纏向日代宮〈まきむくのひしろのみや〉現・奈良県桜井市に都を移す
景行天皇は日本武尊の父親と云うだけでなく、80人の皇子・皇女だいた事でも有名
この親にしてこの子ありというのが・・景行天皇と日本武尊ではなかろうか??
『古事記』と『日本書紀』には日本武尊をそれまでにない英雄として描かれている
景行天皇は息子の日本武尊を好ましく思っていなかった
景行天皇には二人の息子大碓皇子〈おおうすのみこ〉と小碓皇子〈おうすのみこ〉が居た
兄の大碓皇子が父の言うことを聞き入れないので、弟・小碓皇子が殺してします
これ以来、景行天皇は弟の小碓皇子を嫌うのである
小碓皇子こそ・・・日本武尊である。熊襲退治をはじめ武勇伝で埋め尽くされている
しかし、これでもかこれでもかと日本武尊を休む事無く戦いに出す
熊襲を征伐させ、戻って来たら更に東征へと向かわせ、悲劇的な死を迎える
この様に、息子に対しての景行天皇の仕打ちが神話では悪役的な存在なのかも
さて、その景行天皇【山辺道上陵】〈やまのべのみちのうえのみささぎ〉は
大和盆地の中程の東の山麓にあります、全長310mの大型前方後円墳で
その規模は、日本の古墳として、全国第八位の大きさを誇っている
後ろに控えている森〈古墳〉が途轍もなく大きいのだが、その規模はわからない
この時は、この後「卑弥呼」の墓と言われている【箸墓】に向かった
またの機会にお伝えしたいと思っている
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます