松凬からくり帖

松凬さんが73年の人生と吟道50年からの体験や、これから起こるであろう!未体験談を写真と共にお届け!

【御嵯峨天皇】【亀山天皇】の御陵は天竜寺境内に「ダブル陵」で

2017-12-09 12:51:06 | 日記

いや~・・御陵巡りの中でも・・・一番探し疲れた印象が残っている御陵です

天竜寺境内にあると地図や、入り口の石碑でも確認して、イザ境内へ???

ところがいくら探しても「影も形もありゃ~しね~」なんですよ

目的地の近くまで云っているのに分からないもどかしさ

本堂の右側にあると地図にはあるのですが、仕方なく受付で聞きました

入館券のモギリの女性に聞くと、めんどくさそうに「そこの竹の処から入れます」と

帰りに分かったんですが、本当は下の写真の本堂の右側にある、門から入園禁止の竹を跨いで入るのでした

 

ところが女性の案内が不親切だったのか、私の聞き方が悪かったのか 

その横の竹の垣根から、竹の扉を開けて入って行ったのです、それがこの写真

 

 

とんでもない処に入って来たもんだぐるっと回って出て来た処が

ナント!制札が やりました・・・やっと天皇陵とご対面です

    第88代後嵯峨天皇と第90代亀山天皇の「ダブル陵」が天竜寺の雰囲気そのままの気品豊かな姿を 

      右には御嵯峨天皇【嵯峨南陵】〈さがみなみのみささぎ〉

     

                     

御嵯峨天皇と前帝の四条天皇からの譲位に十日間の空位があったのです

僅か12歳で崩御された四条天皇については前回のブログに掲示しましたが

その後、有力公家たちは、順徳天皇の皇子を擁立しようとしましたが

鎌倉幕府側は「承久の乱」に荷担した血筋を嫌い、御嵯峨天皇を即位させます

しかしこの即位までに問題があったのです、実は御嵯峨天皇の実家土御門家は

この頃、没落していて二十歳を過ぎても元服を出来ない貧しい状態でした

幕府側と公家側との交渉は難航し、四条天皇の死後十一日遅れて即位となりました

この御嵯峨天皇、詔〈みことのり〉が表す通り、嵯峨天皇が行った治政に習って

上皇になると嵯峨天皇の大覚寺から南にあたる天竜寺に離宮を築きます

更に出家後は大覚寺を御所として院政を行うのでした

 

        左に亀山天皇【亀山陵】〈かめやまのみささぎ〉

      

      

亀山天皇は御嵯峨天皇の第二皇子でしたが、大変父母に愛されていて

第一皇子の後深草天皇を十七歳で退位させ、十一歳の亀山天皇を即位させます

更に御嵯峨天皇は、後に亀山天皇の皇子を後宇多天皇として即位させ

亀山天皇を治天の君〈政治を行う上皇〉に指名するのです

これには、後深草天皇も納得いかず、

亀山天皇の系統を大覚寺統、後深草天皇の系統を持明院統とし

この両統の迭立を招き、更に南北朝の対立へと発展するのです

この第88代後嵯峨天皇と第90代亀山天皇が同じ御陵に葬られているのと

同じ親子なのに第89代後深草天皇が【深草北陵】なのが理解できますね

 

ではもう一度、天竜寺さんに物申す

この【嵯峨南陵】と【亀山陵】の表示をこの門の分かりやすい処に設置をお願いしたい        

ここから入れると思いますか・・・〈無断で立ち入り禁止〉の立札があるのに

もう少し親切に「御陵の表示」をすべきではないでしょうか

女性では跨げませんよ、この竹を向こうへ少し押して、その隙間から入るので

悪い事をするようで、入り難いですよ・・・

私は間違って横の竹の扉から入り出て来たのが既に中でしたから

 

 

           


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