新潮社から出ている【山本周五郎全集】 の画像が欲しくって
Bookoff買った 一冊が「小説日本婦道記/柳橋物語」でした!全集が欲しい
いやいや、すんまへん!ついついこの一冊が手に入った嬉しさから・・・〈アホですやろ~〉
では本題へ入ります、小説日本婦道記は以前にも書きましたが・・
私の生まれた昭和18年に第17回直木賞に選ばれたのですが辞退しています、40歳の時です
小説日本婦道記の中には17編の短編が入っています、どれも素晴らしいのですが
今回紹介したいのが、その16番目の「風鈴」なんです
三人姉妹の長女「弥生」のお話なんですが・・姉に育ててもらった恩も顧みない妹たち
自分を犠牲にしてでも、二人の妹を見事に育て上げた姉「弥生」の揺れ動く心
この「弥生」の心の葛藤を良人〈おっと〉の三右衛門の言葉で見事に解決さすところ
まさに山元周五郎ワールドと云われている人情回り舞台なんです
物語は二人の妹が「弥生」宅〈三姉妹の実家〉を訪れる所から始まります
~『そらわたしの勝ちですよ』とうしろから来る津留〈つる〉にふり返った。
『このとおり風鈴はちゃんと此処にかかってございます』
『まあほんとうね、呆れたこと』津留は中の姉の背へかぶさるようにした、
『わたくしもうとうに無いものとばかり思っていました、それではなにもかも元の儘ですのね』
『なにを感心しておいでなの』弥生は二人の席を設けながら訊いた
『その風鈴がどうしたんですか』
『津留さんと賭けをしたんですの、風鈴がまだ此処に吊ってあるかどうかって』
『おかげでわたくし青貝の櫛を一枚そんいたしました』
久し振りに実家へやって来た妹二人の会話がこれなんです〈この馬鹿妹たちと思わず言葉に〉
それからの二人は、「弥生」に育ててもらい良家へ嫁げた恩も忘れて言いたい放題
贅沢三昧をして過ごしている二人が「弥生」と三人で温泉へ保養にと誘いに来たのです
それも二人の贅沢な暮らしぶりを「弥生」に自慢しながら〈読んでいて頭にくる〉
『こういうお暮しぶりからまずお変えになるのよ、
お姉さま、時どきはお部屋のもようを変えてごらんなさいまし、
お花を活けるとか、お道具の位置を移すとか、ふすまを張り替えるとか、
お姉さまたまには御召物を違えたり、お化粧をなすったりしなければ・・』
この何気ない妹の一言が胸に引っ掛かり、物思う日々が続くのです
父が亡くなった時は「弥生」15歳、「小松」11歳、「津留」9歳であった
母はそれより数年前に亡くなっていたので、全てが一ぺんに「弥生」の肩へかかってきた
「小松」は18歳の時、望まれて二百五十石扶持の百樹家へ嫁ぎ、
三年後には「津留」も、三百石扶持の秋沢家へと嫁いでいった
しかし妹たちは少しずつ性質が変わっていった、「弥生」の家を訪れるたびに
この家の貧しさを厭う様子が強くなっていき、時には貧しい実家を恥じる様になっていく
いつかは、自分のしてきたことを感謝してくれると信じていた「弥生」に・・あの日
『自分たちには娘時代というものがなかった』という「小松」の言葉にショックを受ける
『そしてお姉さまは年をとって、やがて小さなおばあさまになってしまうのね』とも云われ
一時は部屋の模様替えをしたり、薄く化粧をしたりしてみるのだが、家事に追われて続かない
妹たちの言葉のジレンマに陥る時もあるのだが、良人・三右衛門の言葉に眼を開かされる
それは、今の職よりもっと良い士官の話を勧めに来た上司に三右衛門は・・・
『貧しい生活をしている者は、とかく富貴でさえあれば生きる甲斐があるように思いやすい、
美味いものを食い、ものみ遊山をし、身ぎれい気ままに暮らすことが、
粗衣粗食で休むひまなく働くより意義があるように考えやすい、
だから貧しいよりは富んだほうが望ましいことはたしかです。
然しそれでは思うように出世ををし、富貴と安穏を得られたら、
それでなにか意義があり満足することができるでしょうか』
その後に、人間の欲望には限度がない、富貴と安穏が得られたら更に次のものが欲しくなると
そして最後に我々が常に抱いていなければならない、欲の性で忘れられている言葉を・・・
『たいせつなのは身分の高下や貧富の差ではない、人間と生まれてきて生きたことが、
自分にとってむだでなかった、世の中のためにも少しは役だち、意義があった、
そう自覚して死ぬことができるかどうかが問題だと思います
人間はいつかは死にます、いかなる権勢も富も、人間を死から救うことはできません、
私にしても、明日にも死ぬかもしれないのです、そのとき奉行所へ替わったことに満足するでしょうか、
百石、二百石に出世し、暖衣飽食したことに満足して死ねるでしょうか、
否、私は勘定所の留まります、そして死ぬときには少なくとも惜しまれる
人間になるだけの仕事をしていきたいと思います。』
生甲斐とはなんぞや、ながいこと頭を占めていたその悩みが、
いま三右衛門の言葉に依って、ひとすじの光を与えられた。
それはまぎれもなく暗夜の光ともたとえたいものだった
『そうだ』彼女はしずかに面をあげた、
『少なくとも良人や子供にとってかけがえのない者にならなくては』
そう呟くと、なにかしら身内にちからが湧いてくるようだった
「弥生」は立ちあがり箪笥の小抽出の中から青銅の風鈴をとりだした
秋のころ妹たちが外していったのを、どうしても吊りなおす気になれなかったものである
あのときから気持ちがゆらぎだしたのだ、そしてこの数十日
ずいぶん思い惑ったことはむだではなかった、こうして今こそ生きるみちをたしかめたのだから
そう思いながら弥生は小窓をあけた、外はいつのまにか粉雪になっていた、
『まあ、とうとう』燈火をうけて霏々と舞いくるう雪の美しさに、
弥生は思わず声をあげながら、手を伸ばして風鈴を吊った
何ともない当たり前のことが周五郎の文になると気品あふれる下町人情を醸し出してくれる
小説日本婦道記の中には「風鈴」の他、16篇の人情話が女性を通して書かれている
それにしても、山本周五郎全集、全三十冊の多さに唖然とする
最初に云ったように、この全集を揃えたいものである
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